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苦手な方はどうぞ引き返してください。
いい香りの紅茶も効果がないようだ。
まあ今夜は最初からおかしいと孟徳は花の横顔を眺めた。いつもなら、そのかわいい自立心のせいで、孟徳がよほど力を入れて引き留めないと夕食をともにしないのに、ちょっとお願いしただけで頷いた。もの問いたげな雰囲気をあえて気づかぬふりで、いつもより豪勢な夕食を用意させた。花の好物ばかり、話しかければ答えてくれるけれど本来の笑顔は無かった。食後に用意させた紅茶もひとくち口にしたきりで黙り込んでいる。
公瑾は、ちらちらと花を見ている。彼を膝に乗せた花はぼんやりしている。孟徳はそれを見て目を眇め、かたわらに立つ女主人を見上げた。女あるじは変わらぬ笑みのままかすかに首を横に振る。孟徳は小さく息をついて立ち上がり、花のかたわらに立った。その小さな頭に手を乗せる。はっと顔を上げた花に、いつもの笑顔で笑いかけた。
「どうしたの」
花の顔がすっと曇った。視線が彷徨い、公瑾を見て、彼をゆるく抱きしめる。
「あ、の、おじさま」
「ん?」
「わたし…知らなかったんです」
「何を?」
「観用人形が『枯れる』って、こと」
孟徳は僅かに笑みを減らした。花は公瑾の肩口に顔を埋めている。
「わたし、生きたお人形くらいにしか思っていませんでした。お人形は死んだりしません。わたしが忘れるだけです…でも、この子たちが、その、人みたいにいなくなってしまうなんて考えもしなかった。しかもそれが」
花が唐突に口を噤む。孟徳はその柔らかい髪に手を置いたまま、黙って待った。彼女はまた唐突に顔を上げ、孟徳を見つめた。
「愛さなく、なったら、駄目だなんて」
大きな目が潤んでいる。
「子どもみたいですよね。わたしには…わたしには死ぬことが」
花の喉が大きく動いた。
彼は体をかがめて、花の頬を撫でた。そのまま彼女の脇の下に手を差し入れて抱き上げる。公瑾が地面にずるりと落とされたが、気にしない。孟徳は花を抱きしめた。いつもそうしてきたように、淡く抱きしめる。ちいさな者が花と孟徳のあいだに割り込もうと努力しているようだったが、諦めたのか、花の後ろから足にしがみついた。
うすい茶の髪の間からのぞく、柔らかい耳に唇を寄せる。
「花ちゃんたちの年頃は愛だの恋だのって言葉が好きだね」
「おじさま」
「知ってたよ。」
花の背が大きく揺らいだ。
「こわい、です」
「そっか」
「ただ別れていくだけ、じゃなくて、枯れるなんて」
「人だって、愛されなくなったら死ぬよ。少なくても俺は、花ちゃんにもう二度と会いたくないって言われたら死ぬね」
花がぱっと顔を上げる。涙がにじんだ目は、怒りで歪んでいる。
「そんなこと言わないでください、おじさまってば!」
「うん、ごめんね。…ね、花ちゃん。このちびは、天国の涙を流していたんだろう?」
花は、痛ましそうな表情を浮かべた。
「…はい」
「観用人形の店主、天国の涙のことをなんて言った?」
瞬きした拍子に、花の目尻から涙が一筋おちた。それを指先でぬぐう。
「ええと…極上の環境で慈しみはぐくまれた人形だけが流すもの、って…」
「うん、そうだね。置いていかれてもこのちびは枯れなかった。もとの持ち主はそばにいないのに、泣いても眠っていた。…ねえ花ちゃん。このちびが、前の持ち主とどういう時間を過ごしたのか俺たちには知るすべがないけど、こいつは泣いても、こうしてまた花ちゃんを見付けた。またその涙を流すことがあるかもしれないのに。それだけだよ。花ちゃんがそんなに重荷と思うことはないんじゃないかな。それとも花ちゃんは、棄てていくすべてのものを抱き留められる訳じゃないだろう? 誰もそんなことはできないように。」
花は鋭く打たれたかのように身を強ばらせた。その額に額を付ける。幼い頃からしていたように、その距離で微笑む。花が我に返ったように真っ赤になった。
「おじさま!」
「あはは、花ちゃんは相変わらず可愛いなあ」
「あ、あの、もうおろしてください、怖い」
「花ちゃん、下をご覧」
花がかくんと視線を下ろす。孟徳の足もとで、公瑾は飛び跳ねていた。小さい手を抱き上げられている花に伸ばし、何度も飛び上がる。それを見た花の表情がゆっくりゆるんだ。
「ね、こいつだって、黙って置き去りになんかされない。花ちゃんはその時の花ちゃんのありったけで向き合えばいいだけだ。…ねえ花ちゃん、俺を好き?」
花はきょとんとした顔を孟徳に向けた。
「はい」
「すごく?」
「はい、大好きです」
光が滲むように花が微笑う。
「俺も君が好きだ。花ちゃんを見るたびに、花ちゃんと話すたびに、ごく自然に思うよ。愛だの恋だの持ち出さなくても、これは俺の血液で、俺の空気だ」
「お、じさま、大げさ、です」
真っ赤になった花を、まだそれくらいで許してやろうと思う。彼女にはもうずっと、まるで本心しか話していないけれど。だから努めて軽く言う。
「そんなものだよ。」
そんなもの、と花は口の中で繰り返した。
そのとき、ぎゅっと唇を噛んで仁王立ちになった公瑾が孟徳の足を蹴飛ばした。花は、あっと小さく声を上げた。
「公瑾くんったら!」
孟徳はわざとらしく大きく顔をゆがめ、花をさらに高く抱えた。
「観用人形ってさ、他の子もこんなにアグレッシヴなもの?」
「ど、どうでしょう…」
「お前、そんなことすると、返してやらないぞ。まあ返さなくても、花ちゃんは俺のものだけどな」
「おじさま、もう、おろしてください」
「えー、このまま添い寝してあげようと思ったのに」
「公瑾くんに踏まれちゃいますよ」
「ふん、痛くもかゆくもないね」
「おじさまったら」
花が笑う。孟徳が願う「いつも」のように温かく眩く。彼はそっと彼女を下ろした。公瑾が待ちかねたように花に飛びつく。花が彼を抱え上げると、公瑾は小さい手が白くなるような力で花に抱きついた。花が、苦しいと笑う。
自分と花もああしていた、と孟徳は思った。
(続。)
(2012.6.18)
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