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「おはよう花ちゃん!」
扉を開けるなり抱きしめられ、花は瞬きした。女主人が孟徳の肩越しにやんわり笑っているのが見える。しかしそのひとも孟徳を止めようとはしない。
「おはようございます、おじさま」
「あのプランツにひとつだけいいことがあるとすると、こうして花ちゃんが毎朝寄ってくれることかな! これが続くなら会社の就業時間を遅らせてもいいね」
どこまで本当か分からない口ぶりだが、彼は、自分がこうしたいと思ったことはたいてい実現させてしまう。こんなことぐらいで孟徳の会社に働く人たちに迷惑をかけていいはずがない。どうやって止めようと花が思案するうちに孟徳は手を離し、花の姿を見た。
「幼稚園に行くお母さんみたいだねえ」
孟徳の顔には面白がっているような表情しかなかったので、花も素直に顔を紅くした。彼女は、肩から、きのう公瑾が離さなかったタオルケットの入った大きめの紙袋を下げている。お昼寝布団をもって保育園まで子を送る母親のようだと、ここに来るまでのあいだ、何度も考えた。執事が恭しく進み出て、花の肩からその紙袋を受け取る。花は慌てて、鞄からきんちゃく袋を取り出した。
「あの、これ、公瑾くんのミルク用のカップです。昨日買ってきたんですけど、気に入ってくれたみたいなので」
花が気に入りの雑貨屋で買ったそれは、外側に蓮の花弁がずらりと彫られた、弾くといい音のするカップだった。値札にはカフェオレボウルと書いてあったが、それにしては小ぶりで、公瑾の小さい手にも持てそうだった。それを花から渡された公瑾はためつすがめつしていたが、ミルクを飲んだ後も手放そうとせず、あやうく布団の中にまで持って行かれるところだった。
執事は、その手に持つにはずいぶん可愛らしい柄のきんちゃくと、花の手を握ったままの公瑾を見比べ、かすかに唇の端をあげて一礼した。
「かしこまりました」
「花ちゃん、カップならいくらでもあったのに」
呆れたように言う孟徳が、公瑾の頭に手を伸ばした。彼はさっと、花のスカートのうしろに回った。
「そうなんですけど、わたし、お金持ちじゃないから、できることだけはしてあげたいと思って」
ちらりと見下ろすと、示し合わせたように公瑾が顔を上げ、目が合う。孟徳が目を眇めた。
「ねえ、こいつの着てるのって花ちゃんの服じゃない?」
花はゆっくり瞬きした。
「どうしてわかったんですか?」
「俺が花ちゃんのことを忘れるはずないよ。」
そっくりかえる彼が可笑しい。
少年が着るにはいささか大きい、セーラーカラーの付いたシャツは深い紺色で、それが彼の美貌にはよく映えた。花が、自分より似合っているのではないかと軽く落ち込んだほどだ。
「あのお店の服を着たきりにできないから、とりあえず、わたしの服で公瑾くんが着てもなるべくおかしくないようなのを選んだんです。ズボンもちょっと大きいから、借りた服なのが丸わかりで恥ずかしいんですけど」
ふうん、と孟徳が鼻を鳴らした。
「こいつ、自分で着替えとかできるの?」
「できるんですよ! すごく上手に」
花はしゃがみこんで公瑾の頭を撫でた。公瑾が気持ちの良い猫のような表情になる。お風呂にいれた時もこんな顔をした。
ふたりで入るにはアパートの風呂は狭かったし、高級な磁器のような公瑾の肌をドラッグストアで安売りのボディソープで洗っていいものか、大いに迷った。結局、花と同じシャンプーを使った彼には同じほのかな薔薇の香りがうつり、店の服に焚きしめられていた高雅な香りが薄れてしまった。もともとの彼とよく似た香りの石けんがあればいいのに。それとも、この街ではもうめったに見ないハーブの香りのほうが合うだろうか。近いうちに店に聞きに行こうと、花は思った。
するりと出て来た女主人が、公瑾の前に屈んだ。
「じゃあ、あなたが学校から帰るまで、お預かりするわね。さあ、いらっしゃい」
公瑾が花と女主人を見比べる。花が頷いてその頬を撫でると、やっと手を離した。
「じゃあ花ちゃん、今度は俺と行こう」
さらうように手を引いて歩き出す孟徳に引きずられ、花は慌てて振り向いた。ぽつん、という表現がふさわしく、心細そうな表情で立つ彼に駆け戻りたい。しかし花は小さく手を振った。閉まる門扉の隙間で、彼が唇をきゅっと噛んだのが見えた。
(続。)
(2012.5.8)
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