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「こんにちわ」
両手いっぱいに簡を抱え彼の執務室をのぞき込めば、いつもより十倍増の子桓の無表情がこちらを見た。しかし花を認めてすぐあからさまにほっとした彼の表情に、花は小首を傾げた。子桓がこんな表情を浮かべるのは珍しい。
「おや、花殿」
仲達が挨拶してくる。いやに上機嫌だなとまた彼女はいぶかしんだ。仲達は彼女に、決して表立った嫌みや悪口を聞かせるひとではないが、師である孔明が「猫」を三割増し分厚くして挨拶する様子なので、花も自然と観察する目になる。またそれを分かっていて、仲達は至極どうでもいい会話を花に振るのだ。
「こんにちわ、仲達さん」
仲達は立ち上がり花に近づいた。いつもはそんな仕草を見せず子桓と花が話し終わるのを待つのに、どうしたのだろう。
「ええ、ええ、こんにちわ。良かったですねー公子! 天女がおみ足でお訪ねくださいましたよ」
「てんにょ?」
「花、その男のいうことを聞くな」
うなり声に近い子桓の言葉に仲達の肩越しに彼を見ようとするが、さっと仲達が躰ごと動いて遮ってしまう。そうしていかにもな、哀しげな表情を作った。
「だってあなたは公子を選んでくださらなかったし」
「は?」
「かといってあのお淑やかな公子でも、華やかな我らのあるじでもなく、『天下』とは! これぞ、天の意を受けた方に相応しい。しかしその慶事も、ひとりの男として言うに言われぬものがあってわたしは公子を延々とお慰めしているのですが、聞く耳をもってくださらない」
…このひと、ゼッタイ面白がってる。
考えていることを顔に出さないようにしなさいね、と常々孔明に言われていることを、花はすっかり放棄した。上目遣いに睨んでしまった花に、仲達は一瞬、とても嬉しそうな、反論する気をおこさせないような笑みを浮かべた。花が、孟徳に似ているかも、と思ってしまったその隙に、仲達はまるで、不出来な息子の行状を心配する母のように、立て板に水で「子桓の気落ち」とやらを言い募っている。
「とまあこいういうわけで、己の中に沈み込んでおられて」
そこで仲達の口上がぴたりと止まった。花は自分の手首をつかむ子桓をぽかんと見上げた。子桓は仏頂面のまま花から簡を取り上げると仲達に押しつけ、無言で部屋を出た。ごゆっくりー、とかなんとか、呑気な声が聞こえたようだった。
東屋について腰を下ろすなり深いため息をついた子桓を、花は見つめた。
「あの…なんか、ごめんなさい」
子桓がおざなりに手を振った。
「お前が謝らなくていい。悪いのは仲達だ。あいつめ、いったい誰に仕えているつもりだか、俺をからかうのが趣味だと公言してはばからない」
なんとなく孔明を思いだし無言になった花に、子桓はもういちど深い息を吐いて向き直った。花は首を竦めた。
「『結婚したいお相手選手権』のことだよね? 子建さんの遊びかなあって思ったから、ちょっとくらいいいかな、って。」
「子建がやった、というところは当たっている。」
「やっぱり…」
「本当に気に病むな。あれは遊びだ」
しっかりした声に、花は微笑んだ。
「ありがとう」
子桓もようやく、かすかな笑みを刻んだ。
「これに仲達が絡んでいないことだけが救いだ。あいつと子建が悪ふざけで手を組んだら、あとには何も残らん」
「それって、悪ふざけで済むの…?」
花がわざと大仰に声を潜めると、子桓も眉を動かし声を落とした。
「心が切り刻まれる」
「…怖いね」
「怖いなんてものじゃないぞ。どっちも笑顔でたたみかけてくるからな。しかも、嫌いな相手が一致してるからたちが悪い。仲達は俺の下にいるから共闘なんて滅多にないが、あいつらが揃ったらかなりえげつない戦ができる」
どこまでも冗談めかした彼の声に、花はふと瞬きした。
「子建くんも、戦ができる?」
子桓は子どもっぽいような、驚いた顔をした。
「当たり前だ。俺たちは父上の子だぞ。性根と趣味がどうあれ、戦ができぬと言える立場ではない」
立場、と花は内心で繰り返した。
花にとってはまだ幼い範囲でしか理解していなかった言葉は、ここで暮らすうちに急速に身に染みた。自分もその言葉のおかげで、このようなところを歩けている。思いに沈み込みかけた花の肩を子桓が軽く叩いた。
「すまぬ。お前に言うことではない」
「ううん。言いたいことは分かるから、大丈夫」
子桓は小さく頷いた。
「俺とて、戦はないほうがいい。」
「うん」
「まあ、日々ここで生きていくのも戦だ」
子桓がぼそりと言って花は瞬きした。
「子桓くんや子建くんのお嫁さんになるひとは大変だね」
つらりとそんな言葉が出てしまった花に、子桓は躰ごと向き直った。
「何を指してお前にとって大変と言う?」
「え…」
花は瞬きした。子桓が思いの外真剣な表情をしている。
「子桓くん…好きなひといるの?」
「好きなひと?」
子桓はきょとんとした。
「なぜ好きな女、などと」
「だって、お嫁さんにしたい子がいるから、そういう質問が出るんでしょう?」
「好きだのなんだので妻を選ぶのか…」
戸惑った子桓に、花は微笑んだ。
「ごめんね、そういうものだったよね。」
「謝られる意味が分からん」
「あのね、わたしのところでは好きになったひとと結婚するものなの。もちろん、そうでないひともいるだろうけど、そうじゃないひとが圧倒的なの。」
子桓は瞬きした。
「お前もそうか?」
「自然と、そう考えてた。だからつい、違和感を覚えるの。そうじゃないよね。だって、結婚してから大好きって思うこともあるはずだもの」
子桓はまたゆっくり瞬きしたあと、ふっと唇の端をつり上げた。
「俺が真に愛する女でなければ妻にせぬと言えば押しつけられはせんということかな。」
花も同じように瞬きして小首を傾げた。
「でもそれって、じゃあわたしこそが、って名乗りをたくさん上げられると思うよ? だって子桓くん格好いいし。ほら、票もいっぱい入ってたでしょ。」
花が言うと、子桓は笑みを消した。父に似た鋭い視線が花をさっと薙いだ。
「お前の目から見て、俺は格好いいのか?」
「もちろん。あ、姿かたちばっかりじゃなくて、頼もしいところとか」
彼はちょっと考え込んだようだった。
「では、お前が俺の妻になるか?」
花は、彼女の感覚でたっぷり一分は固まった。ぼん、と火が付いたように耳まで紅くした花はあわあわと顔の前で手を振った。
「何を言ってるの、わたしと子桓くんはトモダチだよ」
「友とは婚儀を挙げられぬわけではなかろう」
「そうだけど、そうじゃないっていうか、まだ早いって言うか」
「そんなことでは、いつまで経っても婚儀を挙げられぬぞ?」
子桓の唇に、いつもの、人が悪いような笑みが戻った。それが仲達に似ていると思った。
(続。)
(2011.10.13)
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