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単発パラレルです。なんとなくファンタジー? っぽい話。「RPG?」の続きではありません。
花は立ち止った。彼女が立ち止ったのに気付いて芙蓉が振り向く。
「どうしたの」
「見て、芙蓉。すごい夕暮れ」
花が指差すと、芙蓉が目を細めて空を見た。日暮れ近い空は生き生きとした赤の濃淡が揺れて、見渡す限りの雪原をこの日最後の眩さで照らしていた。この街道を三日、旅していたが、こんな空は初めてだ。芙蓉はすぐ、花を振り返った。呆れるような目線はそれでも、姉が妹を見るようだった。
「花ってば、呑気ねえ。」
「だって、わたしがいた場所では、夕暮れは赤くならなかったもの。青空が薄くなるばかりで」
「まったく、【観察者】ね、あなたは」
芙蓉はその職業をほめるつもりで言ったのだろう。花が、それを誇りとしているのを知っている。しかし花の微笑はぎこちなくなった。
夕暮れの光がすっと弱くなり、雪原が見る間に灰色に染まる。芙蓉の目じりがきつくなった。
「急ぎましょう。風が唸りだしたわ。吹雪にまかれる前に街にたどり着かないと」
芙蓉は言って、また歩き出した。花も、杖を握りしめた。
街にたどり着いた時には、ちらほらと雪が舞いだしていた。古めかしい大塔がついた門のある街は、夜が来る前に宿に着こうとする人々でごった返している。芙蓉は慣れた様子で門番から宿の場所を聞き出し、いくつか実見したうえで今夜の宿を決めた。花ははぐれないようについて歩くのがやっとだった。こういう作業はいつまでたっても慣れない。
宿は小さかったが、部屋には清潔な寝台が用意され、階下には温かい暖炉があった。部屋に暖房は用意されていないが暖炉の煙突が部屋の隅を通っていて部屋をふんわりと暖めている。昨日の野宿を思えば天国だ。寝台に座り込んで一息つく花を、芙蓉は気遣わしげに見た。
「大丈夫? 強行軍だったものね。雪がひどくなる前にこの城内に着こうと思ったのよ。」
「寒いところを歩くのがこんなに大変だと思いませんでした…」
それは花の本心だった。花が半年前まで暮らしていたのは山奥だったとはいえ、雪は珍しかった。寒さ対策の服が必要なこと、その寒さで頬や喉が痛くなること、汗が冷えるとひどく疲れること、すべて初めてのことばかりだった。芙蓉は腰に下げた剣を外し、寝台に置いた。そのまま寝台に横になり、うん、と体を伸ばす。その瞳がゆっくり閉じられた。
「雪原渡りの定期橇もない地方なんて、わたしも初めて来たわ。人がいるものねえ」
芙蓉は自身のことをほとんど語らない。花が知っているのはかなりの武人であること、大都を知っていること、黒衣の武士に遺恨があり追いかけていることだけだ。そして花との共通点は、その黒衣の武士たちへの遺恨だった。
黒衣の武士、と繰り返すたび、花は落ち着かなくなる。最後に見た師の青ざめた顔が浮かぶ。
花は【観察者】で、師は【観察者】たちの長であった。
空や星を観測し、それにかかわる情報や資料を管理するのが【観察者】だ。彼らの中心は山奥の大きなひとつの塔を拠点として、各地の塔から持ち寄る情報を精査し議論し蓄積していた。その塔はどの宗教にも勢力にも属さないのが誇りであり、求める者には誰であれ情報を提示することになっていた。【観察者】たちは日々やってきては去り、また新たな知らせを携えた【観察者】が来た。そこにとどまるものは知識だけで、唯一の例外が師と花であった。
彼女はいつも言い聞かせられていた。「お前は出て行く者ではない」と。
彼女は両親を知らない。ただ、師と会った日のことも覚えていないから、とても幼い頃から師と一緒なのだろう。彼女が長ずるにつれ、その言葉は禁則として言われるようになった――「お前は出て行ってはならぬ」と。
塔は常に賑やかだった。花はそういった、来ては去る【観察者】たちに、大都で作った精緻な刺繍の手提げ袋を、よい香りのする南国の押し花を、北の鹿角で作った髪飾りを貰った。外の話は彼女を魅了したけれど、誰一人として、彼女を外に誘うものはなかった。今思えば不思議だ。そういう状況を当たり前に受け入れていた自分も。
それが半年前、突如として破られた。夜にやってきた黒衣の武士たちが師をいずこかへ連れ去ったのだ。塔に居た【観察者】たちは殺され、塔は火が放たれた。花は今でも、あの夜のことを思い出して飛び起きる。部屋に火のないことを確認してもまだ、動悸が収まらなくなる。
花の師は異変に気付くと彼女に古びた鞄を持たせ、塔の隠し通路から花を逃がした。その鞄を離さぬようにと緊迫した調子で言った師の顔が閉まる扉の向こうに見えなくなる僅かな間、引き延ばされたようなその瞬間を、彼女はまだはっきり思い出せる。
花は、初めて外を見た。どうしていいかも分からないまま里に来て、花街に売り飛ばされそうになった彼女を助けたのが芙蓉だった。芙蓉と語らううち、初めて花は目的を持った。
師と黒衣の武士の行く先を追うこと。それが花の目的になった。
芙蓉は、花の話をすっかり聞いてから気の毒そうに、あなたが【観察者】だったことは口外しないほうがいいわと言った。花も塔の無残な崩壊を見てから漠然とそう思っていたが、芙蓉とともに旅をするうちに、【観察者】がどう思われていたかを知った。狩人も旅人も、決してその地には近寄らないことにしていた。あるところでは古い技術をもつまじない師であり、またいかさま師であった。またあるところではこの世の秘密を握って王たちを意のままにしているという噂もあった。
噂に、花はいつも混乱する。発見と思索が交差していたあの塔にはいったい、何があったのだろうと思う。
小さい宿ながら、食堂は人でいっぱいだった。他の宿からも食事だけに来ているらしく、やっと座った席でありつけたスープはスプーンが立つほど具が入り、こってりしていて体が温まる。薬草もふんだんに入っていて、わずかな苦みもおいしく感じる。いつの間にか夢中で食べていると、おかわりのパンが置かれた。固い黒いパンは、スープにひたしてたべるとちょうどいい。
人々はとても静かだった。無口というのでなく、食べながら話もしているのだがさらさらと梢が鳴るようで、うるさくはない。いつの間にか入れ替わり、また新しいスープが注がれる。こういう食堂では色々情報交換がなされるものだが、こんな静かな人々の中ではあまり聞きまわっても目立ってしまう。芙蓉はあきらめ顔に、花に片眉を上げてみせた。
「どこから来たかね」
隣に座っていた、実直そうな初老の男性が芙蓉に声を掛けた。彼女の美貌は様々に目立って、よく声を掛けられる。だが、東の文様を刺繍した分厚い毛皮を腰に巻き、刀身が反った短い刀を腰に下げたその男性は、平べったい顔をしていて、細い目は大人しそうで色恋のふうは見えなかった。芙蓉が、前に立ち寄った街の名を上げると、ああ、と低く言った。
「あんた、これからどこへ行く?」
「ここから西へ行こうと思います」
「だったら、ここを出ると凍った川につきあたる。その右手の森には決して立ち入らんことだ。最近、塔にあかりがともる」
芙蓉と花は顔を見合わせた。
「塔?」
「森の奥に古い塔があって、そこに最近、あかりがともっているというんだ。あの塔は不吉だというんで誰も近づかないはずなんだが、あかりがともるなんて、あんなところに何の用なんだか」
塔、と聞くと花の背はこわばる。芙蓉は花を見ずに、首を横に振った。
「盗賊でしょうか。よくあるでしょう、そういうところを根城にするとか」
「だとしたらまた近づけんな。あの森には特に高い薬効のある花が春先だけ咲くんだが」
男は花の特徴と、いかに高価に買い取って貰えるかを愚痴っぽく語った。
その花は図鑑で見たことがある。根はとても強い毒性を持っているが香りは非常によく、花弁と蜜に特に薬効がある。本当に存在しているんだなと花は何度目か分からない感慨を覚えた。
男は食事を終えるとすぐに出て行った。ふたりはゆっくりと食事を終えると、部屋に引き上げた。後ろ手に扉を閉めた途端、芙蓉の表情は険しくなった。
「まずいわね」
花は頷いた。
「わたしたちはその塔を目指して来たのに…」
「もう少し聞き込みをしてみましょう。あなたの師だって、何かあるからその鞄に地図を入れておいたんでしょうから」
花は黙って頷いた。
師から持たされた鞄は、今も大事に持っている。あちこち擦り切れ、焦げさえある鞄には、師が着ていた黒衣、手のひらに収まるような読めない文字をつづった本、ぼんやり光を発するいびつな形の石、いくつかのしるしが書き込まれた地図だった。地図は古いものだが書き込みは師の手だ。これもまた、花が読めない言葉で書いてある。その地図に描かれていたのが、先ほどの話に出てきた塔のはずだった。
花は鞄を撫でた。それからいつものようにそれを枕の下に入れた。
どこかで水が流れている。
すべてが暗く、饐えた匂いと悲鳴と呻きで満たされたこの地下牢でも、水音は平穏に聞こえる。おそらくあの水は水責めに使うだろう。拷問によって流れた血を、臓物を洗うこともあるだろう。しかし外界と変わらぬ平凡さで水音は聞こえ続けている。
上の方で、扉が開いた。重い鍵と閂の外される音が聞こえる。軽い足音はやがて牢の前で止まった。場違いに甘い香のかおりがする。これから女でも口説きに行くような。
「おはようございます」
声は滑らかだった。蝋燭が顔に近づけられ、まぶしさと熱で彼は僅かに顔をしかめた。手足を壁に固定され立たされている身では、顔もろくに背けられない。
「あの黒衣を、どこへやったのです?」
彼は沈黙していた。しばらくして、聞こえよがしなため息が聞こえた。
「あの衣を持つ者が追われるだろうことは分かっているのに、あなたも頑固ですね。」
「焼いたと、何度言えば分かる」
「ご冗談を」
声音に責める色はない。
「あなたがあの衣を焼くはずはありません」
「お前や、お前の主君が持つよりは焼いたほうがましだ」
「主君に対してはまったくその通りです」
さらりと言ったのち、まあいいでしょう、と短い嘆息が聞こえた。
「あなたは殺さないほうがよいのだそうです」
人ごとのような話し方だった。
「主君が、塔を再興してもらわなければならないと言いますものでね。わたしはあんなところ、なくてもかまいませんが、主君が決めたことを覆すのも面倒ですから。」
本当に面倒以外の感情がなさそうな声音だった。
「また参ります。」
唐突に相手は告げた。羽織の翻る音がする。
「ああそうだ。塔で死んでいた者たちの身元が全部、判明しましたよ」
靴音は遠ざかっていった。また鍵が掛けられ、閂が取り付けられる。
――それでは、足りぬ者も分かったということだ。
彼は捕らわれてから初めて、焦燥を覚えた。
(2015.6.12)
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