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公瑾さんと花ちゃんのほのぼのしたの、ということでしたが…いかがでしょうか。
どうか、気に召して頂けますように。
公瑾は長い息を零した。雨のせいで薄暗い部屋に、それは重く落ちた。
「本当に、出てはいけませんか」
「駄目です」
両足を踏ん張り、腰に手を当ててこちらを睨んでくる新妻は、文句なく愛らしい。
「一昨日、わたしが止めるのを、大丈夫ですからとか言って出て行った挙げ句に熱を出したひとには、言い訳は許しません」
彼女には言い慣れないだろう強い口調をからかってみたくなる。けれど、言い分は確かにその通りだ。彼女が己の健康に敏感なのはすべて、身から出た何とかというものだろう。その何割かに、妻という理由があればなお、いい。
花は身をかがめ、寝台に半身を起こしている公瑾の襟元に、そっと手を添えた。
「長引いたらいけないんですよね、来月には仲謀…様と一緒に出かけるんでしょう? 半日でも、出かけるんですよね?」
「ええ」
「風邪じゃないってお医者さんも言ってましたし、寝てるだけならきっと明日にはよくなりますよ」
口調は明るいが、眼差しはそれを裏切ってひどく心配そうだった。このところ、夫の帰宅が深夜になることが多かったためだろう。
じりじりと待つよりも何かをして側に居たい彼女の気持ちはよく知っている。しかし、彼の職務は執務室に留まることが少ない。必然的にひとりで置いておくことになるが、己が城に居ない時まで室に置いておけるほど仕事ができる訳ではない。
彼もよく知っている、それは分厚い建前だ。この世の男で、いったい誰が、「友人」を作ることがたいそう得手な妻をひとりで置いていくことに耐えられるだろう。自分が知らぬ笑顔を他人の前で浮かべているなど、理不尽きわまりない。そんなことに平気な夫は、神か仙人に違いない。
彼は花の手を撫でた。近頃は水仕事も針仕事もぎこちないながらこなしているので、出会った当初のような姫君めいた印象はない。それでも、どんな女より柔らかい。
「分かっています。」
花は途端に笑顔になって手を離した。公瑾の寝台のまわりを指さし点検し始める。
「えーと、お水とお薬は準備したし、窓は閉めたし…その掛布で寒くないですか?」
「大丈夫です。」
花はにこにことこちらを見ている。公瑾はまたため息をついて身を横たえた。記憶の中の母に似てきたような気がしないでもない。彼の様子に、花は心底ほっとしたように肩から力を抜いた。
「じゃあ、この布を下ろしますね」
寝台の四方に下げる薄布に手を掛けながら花が言う。公瑾は目を眇めた。
「お待ちなさい。あなたはどこに居るのです」
寝台の上に膝を立てた状態で花は首を傾げた。
「え? えーと、隣の部屋でしょうか? それなら、公瑾さんが呼んでも気がつきますよね?」
公瑾はことさら厳めしく彼女を見た。
「この部屋に居なさい」
花はまるで叱られたかのような目で彼を見返した。
「邪魔になりませんか?」
「こう、日の高いうちから寝かされても寝付けるものではありません。…いまのわたしには、あなたを見ていることぐらいしかできないのですから」
花は紅くなった頬を膨らませた。
「そんな調子のいいこと言っても駄目です、今日は!」
「分かりましたから、この部屋に居なさい。そして、その帳も下ろさなくて結構です。」
「はぁい」
唇を尖らせたまま返事をした花が寝台から降りる。ぱたぱたと、部屋の反対側にある、常はその前で着替える衝立をめぐらせた場所でなにやらやっている。しばらくして、墨の匂いがしてきた。課題を出してあったから、書き取りでもするのだろう。彼は寝返りを打って花を見つめた。椅子に姿勢良く腰掛け、既に集中した横顔がよく見える。
咄嗟に言ったことだが、あなたを見ることしかできない状況というのは存外に良いものだ。これも彼女が己の妻なればこそだ。
もし彼女が玄徳の――あるいはあるじの思い者でもあったなら。
「花」
ひょい、と彼女がこちらを見た。
「何ですか?」
公瑾はゆるく微笑した。
「呼んでみただけです」
花が唇を尖らしかけて、仕方ないひと、というように肩から力を抜いて微笑った。
ああ、あなたはどこでそんな笑みを覚えるのか。男に慣れた女のようなその顔を覚えさせたのが他ならぬ己なら、このひとはどこまで女に成るのだろうか。
「おやすみなさい、公瑾さん」
「ええ」
また、彼女は横顔だけをこちらに向ける。その頬が、項が、肩のすぐ後ろがどれだけ滑らかで甘いか、己だけが知っている。
花、と唇だけで公瑾は呼んだ。そして目を閉じて、夢の中までその響きを楽しんだ。
(終。)
(2012.7.16)
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