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二次創作。はじめての方はat first はじめに をご一読ください。
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 ちっちゃくなった公瑾さんと、花ちゃん。完結です。
 おつきあいありがとうございました。


六日目 
 
 
 扉のきしる音がして、小さい人影が庭に降りた。細い月ではその隅々まで映し出せてはいないが、その幼子の顔がひどく白いことが目につく。幼子はなにか探しているように庭を見まわし、それから東屋へと慎重に足を踏み出した。
 歩きやすいように整えられた小道をたどり、東屋へあがる。ほっとしたように小さく息をついた彼は、ゆっくり振り返った。
 庭に、青年が立っていた。どうしたわけか、光の少ない庭でその髪の毛の一筋までもはっきりと見えている。美男子とうたわれる白皙の顔を見据え、幼子は唇を引き結んだ。青年は微笑んだ。艶やかな、やさしい微笑だった。
 「きがすみましたか」
 青年の唇から洩れたのは、言葉もつたない幼子の声だ。
 いっぽうの幼子は、年に似合わない寂しい笑みを口の端に刻んだ。
 「気が済む、ということはありますまい。妻の腕の中はたいそう居心地がよい」
 幼子の口からは艶のある、しっかりした声が聞こえた。青年は子どもを見下ろし、柔らかに睨んだ。
 「はながどれだけなくか、しっていていうのだから」
 「それもわたしゆえです。」
 子は小さくかぶりを振った。
 「此度のことを、わたしはきっと謝らなければならぬのでしょうね。花を泣かせました」
 不服そうに口ごもった幼子に、青年はくすりと笑った。
 「それものぞみだったのでしょう? はは、こわいこわい。なるほど、あのいとけないむすめごを、きろうとなさっただけのことはある」
 「それはそれです。」
 幼子は急に顔を険しくした。
 「花には、謝りましょう。しかし、わたしが今の今まですべて忘れて幼子で居た、というのは何故です」
 「さて、それは」
 青年は外套をばさりと直した。
 「このあめつちのあいだには、なにともしれぬものが、おおくねづいております。そのひとつが、あなたのこころにかんじただけのこと。あなたが、このすがたにもどろうとおもえば、そくざにきえる、あさつゆよりもはかなきもの。」
 芝居がかって青年は頭を下げた。
 「どういう、意味です」
 「あなたがた…というより、あなたはわれわれのようなものを、めにもとめますまい。しかしあのむすめごはわれわれをよりふかく、そのはだみでしるところからきたのです。くさがなびくをかみのあしあととゆめみ、はながさくをかみのおとめのえみとしる、あのむすめ。」
 幼子は不愉快そうに髪を振った。
 「…わたしの心とは」
 「あなたは、はくふ、と、はな、という名をいつもよんでいる」
 幼子が目に見えて身を竦めた。
 「はくふ、はな、とくりかえし、そのふたつだけをこころによんでいる。うみのしおさい、やまのかざなり。それにもにて、はてもつきせぬそのこえを、われらはいつしかのみこみ、みずからのものとした。それほどののぞみを、わたしたちこそききたいもの。」
 幼子は似合わぬ皮肉げな笑みを唇に刻んだ。
 「なるほど、古い神とでも仰る。しかしあなたがたに望むことなど、このわたしにあると思いますか。おのれの失態で友を失い、おのれの浅慮で恋を斬ろうとしたわたしに、定かならぬ者に掛ける願いなど、ありはしない」
 「しかしあなたはおさないすがたになった。」
 楽しげに言う青年に、幼子は唇を引き結んだ。
 「さて、あなたにおもいあたらぬとするならば、あなたになるだけのこと。」
 「どういう、意味です」
 「そのままです。あなたをけし、このすがたであのあいらしいおくがたをなぐさめましょう」
 「それはなりません」
 歯を食いしばって幼子は告げる。しばらく経って、食いしばった歯のあいだから、ぎりぎりと息をついた。
 「わたしは、伯符ともういちど育ちたかった。花に抱かれ、花に守られ…あの輝かしい友と、もう一度やり直したかった。それは常に、この心に在ること。わたしの妻と、あの信じがたい『過去』というものに行った時に、その疑念が生じたと言えば嘘になります。…しかし伯符は、どこにも、もう居ない」
 青年が黙って笑みを深める。幼子は彼をにらみ据えた。
 「わたしには、花が居る。」
 幼子は一歩、青年に近寄った。
 「そのためにわたしの敵も味方も魅了してきた眩いもの、名に潜んだ昏い妖しいもの、わたしに笑みを向け、手を差し出し、唇を求めるすべてを有するあの名。…あなたが古い神と言うのなら、わたしの花はわたしだけの光だ。」
 青年は軽く笑い声を上げた。
 「よう、かたりなさる。ではくれぐれも、そのおこころおだいじに。」
 からかうように言うと、その姿が俄に光った。
 「おわすれなさいますな。われらはもとより、おのがすがたをかりそめとしる。そしてただ、おもしろきとおもわばすぐにそのすがたをかえるもの。あなたのようなゆらぎは、とかくわれらにちかきゆえ、ゆめ、ごゆだんなされぬよう。」
 幼子が眼を閉じ、そうして開けた時には幼子の姿は消えていた。
 公瑾は己の胸を、腕を、顔を撫でた。手のひらをつくづくと眺めた。血に固くなった手のひら、剣を振るうために太い腕、戦場を駆けるための足。そして彼は走った。もう広いとは感じない庭を突っ切り、寝所の扉を開け放つ。その物音に、紗の向こうの人影が身じろいだ。足音を殺さずその寝台の上、妻の懐に潜り込む。
 「こうきん…さん?」
 夢うつつに妻は呟き、嬉しそうに微笑んだ。彼であることを疑わぬようにそのまま寝息を繰り返す。その温もりを体中で抱きしめ、公瑾は深く息をついた。
 
 
 
後日。
 
 
 
 「結局、どういうことだったんでしょう」
 花が小首を傾げて寝台に半身を起こした公瑾に椀を差し出した。この薬湯は匂いは良いが、唇が曲がるほど苦いのを彼女もよく知っている。まるで押しつけるようだと公瑾はかすかに笑った。
 もとの姿に戻って二日。微熱が引かない公瑾を、花はひどく強情に寝台に追い返している。仕事も気に掛かるし、自分的には体調は悪くないと思うのでいい加減、この場所から出たい。だが、甲斐甲斐しく世話を焼く妻が心地よいのも本当だ。
 「悪戯だそうですよ」
 「…納得できません」
 く、と喉の奥で公瑾が笑うと、花は裳を握りしめて彼を睨んだ。その手に手を重ねる。
 「わたしがぐずぐずしているのがいけないのだそうです。」
 「誰がそう言ったんですか?」
 「わたしになりすましていた者、です。」
 花は唇を尖らせ、ふいと顔を背けた。
 「何も話してくれないんですね。」
 「違います。どう言うべきかわたしにも分からないのですよ。」
 「じゃああのちっちゃい公瑾さんは、公瑾さんじゃなかったんですか?」
 「わたしです。」
 「もう、何がなんだか分かりません!」
 公瑾は手を伸ばして花を抱き寄せた。唇を尖らせながらも素直に腕におさまる妻に、また笑みを零す。
 「わたしを呼び戻すのは、いつもあなただということですよ。」
 「…だって、公瑾さんですもん。どんなに小さくたって、公瑾さんは公瑾さんでしたよ?」
 「どのようなところが?」
 「拗ねた顔が…あ、いけない」
 公瑾は抱き寄せたまま花の頬を軽くつねった。
 「公瑾さん!」
 「もう大人になりましたからね、こういうことをしてもいいでしょう」
 花は上目遣いで夫を見、彼女には似合わない、にやりとした笑みを浮かべた。
 「小さかった時のこと、覚えてますか?」
 「どうでしょうね」
 「猫がきらいとか雷が怖いとか」
 「小さい子なら、誰でもそうでしょう」
 「仲謀と話してるわたしに拗ねて壁に枕をぶつけたとか。」
 「あなたが他の男子とふたりきりになるのを好まないのは今でも変わらないことです」
 「やっぱり覚えてるんですね、ふふ」
 自信満々に微笑む妻に、公瑾は眉をひそめた。
 「何を根拠に?」
 「教えませんー。…ね、公瑾さん」
 「なんですか」
 「わたしが小さくなっても放り出さないでいてくれますか?」
 公瑾は花の顔をつくづくと見、にこりと笑った。
 「無論、添い遂げましょう」
 「え!? 子どもと?」
 「あなたなのでしょう? 問題ありません」
 「大ありですっ! 公瑾さんそういうひとですかっ」
 「そういう、とはなんです。あなただけですよ」
 暴れる花をきつく抱きしめ、公瑾は声を上げて笑った。
 ――伯符。
 花。
 自分は繰り返し呼ぶ。そこにはいつも悔恨がある。忘れる日など来るものか。ただ今は、自分の怯懦を影に押し込めているというだけのこと。そう、あれは油断するなと言った。自分が落ちてくるのを、入れ替わることのできる日を待っていると。
 (渡すものか)
 彼はひっそりと唇を歪ませた。
 幼い身で感じた花の腕とその胸の心地よさは、なかなかに忘れがたいけれど。
 こういうことを思うから花に怒られるのだろうと、すっかり膨れた妻の頬に、彼は唇を滑らせた。
 

(終。)
(2011.5.23)

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