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寝床がゆっくりたわんで、花は眠りから覚めた。闇に子龍の瞳が浮かんでいる。腕を伸ばすと、その中に彼が身を寄せてきた。
「おかえりなさい」
寝起きで、きちんと言えたかどうか分からない。けれど子龍は静かに、ただいま、と返した。軽く体をぬぐったのだろう、温かいというほどではないが、土埃の匂いはしない。
「遅かったね」
肩に頬をすり寄せると、子龍が花の髪を撫でる。
「花は、ずいぶん早くから寝ていたんだな?」
「寒かったから」
子龍が小さく笑って花の額に額を付ける。
「このあいだ、炭を買ったばかりだろう?」
「うん。火鉢も、雲長さんからお下がりを貰ったね」
「あれはいいものだった」
大輪の花文様で装飾された火鉢を思いだし、花は笑った。部屋ひとつ暖められそうな大きいそれを、雲長は素っ気なく、貰ってくれとだけ言った。
「雲長さん、わたしが寒がりだから気を遣ってくれたんだね」
「あのような立派な火鉢は、玄徳様のところにも備えられていない」
「師匠のところにもないよ? うちみたいに部屋が小さくても、あったかくしておくには炭がたくさん要るね」
子龍の長い睫が瞬いた。
「もしかして、それで寝床に入っていたのか?」
「あはは。ひとりで火鉢にあたってるのって、ちょっと贅沢でしょ」
「…それくらいの俸禄は頂戴しているが」
少しむっとしたような夫を、花は見つめた。
「あのね、子龍くん。わたしね、こっちに来るまで、冬がこんなに寒いなんて思ったことなかったんだよ」
また、子龍が瞬きした。
「寒くてもすぐ温かくできたんだよ。火じゃなくて」
「孔明殿がよく、花が薄着だと言う」
「そうなの。長年の癖ってなかなか抜けないね。」
今日も孔明に、もう一枚上着を買って貰いなよと言われたことは内緒にしておく。花は子龍との隙間を少しつめた。
「でもね、こんなにひとが温かいって知らなかったよ。」
はな、と子龍の口が動いた。それに笑いかけ、子龍の胸に額を押しつける。心臓の音が聞こえた。
「あったかくて嬉しいなんて知らなかった。だから、わたしが先に眠ってる時に子龍くんがこうして入ってきて…温かさが二倍にも三倍にもなるのが、好き。」
子龍の息が耳元で震える。花は目を閉じて体をもっとすり寄せた。
「だから…気をつけて行って来てね」
子龍がはっとしたように身じろいだ。ややあって、その体から力が抜ける。
「孔明殿、か」
「師匠だけじゃないけど。そういうことは分かるよ」
賊徒の襲撃が激しい場所に集中して討伐をかける、その任に子龍が選ばれそうなことはずいぶん早い段階から知っていた。本決まりになるまで、自分の気持ちを整理していただけだ。子龍が適任なのはもちろん分かる。けれど、妻としての自分を落ち着かせるのに、大げさでなく、七転八倒した。今までだって三日や四日、出かけることはあったけれど、賊徒の被害が広範囲に及んでいることから、厳しい戦闘も予想されることはすぐ分かったからだ。
子龍が躰を離して花の顔をのぞき込んだ。
「ならば、わたしが居ない間、花を宮城に住まいさせて貰いたいと…孔明殿に相談していたことも、知っているのか」
「うん。…子龍くんありがとう。でも」
瞬きする夫が、急に年相応に見えた。花はうん、と心に力を込めた。
「今回の子龍くんの仕事は一ヶ月くらい家を出るんだよね。…すごく残念だけど、今回みたいなことは今後もあるかもしれない。そして、わたしは子龍くんがいなければ家にひとり。そのたびに玄徳さんや師匠に頼っていたんじゃ…ちょっと自分に納得いかない感じなんだ。」
「よく…分からない」
「ひとりで居て駄目だったら、ちゃんと師匠や雲長さんや芙蓉姫を頼る。だから、この家で…子龍くんと居る家で待たせて。」
あなたが、もういちどここに帰ってきてくれるように。この世界のどんなまじないだって及ばないくらい強く、思いを編んでおくから。
子龍がふっと表情を真面目にした。
「では、わたしからも」
花は寝床で背を伸ばした。
「相手が誰かを確認してから戸を開けること。暗くなってから出歩かないこと。少しでも体調が悪いようなら無理せず休むこと。」
生真面目に言う彼に、僅かな反発心はすぐ消えた。花は頷いた。
「分かった」
子龍の腕が自分をかき抱く。
「本当に、本当に、気をつけてください」
「うん。…子龍くん、大好き」
苦笑のような笑みが、端正な顔に滲んだ。
「何よりの餞別だ」
花は頬を膨らませた。そんな、最後の台詞みたいに取って欲しくない。しかし、そこに軽く口づけられてすぐ笑みに変わってしまう。大好き、ともういちど言おうとした唇は柔らかく塞がれた。
(2012.2.9)
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