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孟徳さんと花ちゃんで、とのことでしたが。指定のシチュエーションはうまくいれられたかなあ…お気に召していただければ嬉しいです。
花は、卓に散らばった簡を見ながらため息をついた。
「困ったなあ」
そのつぶやきにさんざめいて反応する侍女たちも今はいない。夜もふけて、あたりはしんとしている。灯りをしぼった寝室はひっそりとしていた。
花はふと、顔を上げた。聞き覚えのある、というか間違えるはずもない足音が近づいてくる。彼女は急いで立ち上がり、扉の前に立った。本当は扉を開けて駆け出したいが、俺によく似た不埒者かもしれないでしょ花ちゃんに何かあったら云々といつものように説き伏せられ、扉が開くまで待っていることになった。なんとなく、お行儀のいい犬さんか猫さんみたいだと釈然としないが、孟徳の顔が一瞬でも早く見られるなら、いい。
護衛の兵と囁き交わしていた孟徳が、扉を開けて笑った。
「ただいま」
「お帰りなさい」
近寄ろうと踏み出す足より早く、抱きしめられる。
「お疲れ様です」
「うん。今日は客が多くて面倒くさかったよー。むさくるしいのばっかりだしさあ」
花は苦笑した。いつか、花の世界には政治的立場の高い女性がいると話した時の食い付きようったらなかった。あのひとたちは孟徳の言う「女の子」ではないし、知性と理性で世の中を作っているひとたちだ。もしかしたら孟徳さんなんか手玉に取っちゃうかもしれませんよとからかっても、毎日楽しくなるのにとしばらくのあいだぼやくことが多かった。それじゃあ働かせてください、といつぞやの話を持ち出したらそれはまた別、と笑顔できっぱり斬られた。
相変わらずぶりかえす胸のもやもやに内心、苦笑した花は、彼がふいに顔を覗き込んできたので瞬きした。目が合うと、彼の笑みが一段深くなる。
「夜も遅いのに、どうしたの? 文若が無茶な書き取りでも要求した?」
「違います。この次のお休みのことをちょっと、考えてました。…孟徳さん、白湯でいいですか?」
「うん、ちょうだい」
なんとなく未練そうに花を離した彼は、上衣を脱ぐと椅子に座って深い息をついた。さっきまで花が眺めていた簡をひとつ、手に取る。
「これ、花ちゃんのところの言葉だね。」
花は、人肌より少し熱いくらいにぬるくなった湯を孟徳の前に置いた。
「はい。今度は無くなる可能性のないお休みなんでしょう? なにをしようかなって考えてて」
話しながら花は、手のひらを打ち合わせた。
「そうだ、こうしましょう」
花は簡を四枚手に取り、トランプのばば抜きをするときのように、孟徳には字が書かれていない面を向けて広げた。
「孟徳さん、選んでください」
「なに? どういうこと?」
瞬きした孟徳は簡と花を交互に見ている。
「孟徳さんが選んだ簡に書いてあることを、今度のお休みにやりましょう。」
「えーずるいよ、何て書いてあるかも教えてくれないのに」
「じゃあ」
花は目を閉じた。
「いちにちお昼寝、わたしの手作りご飯三食にお菓子つき、お弁当つき遠乗り、お忍びデート、です」
言い終わって花が目を開けると、孟徳は面白そうに笑った。
「考えたね」
「孟徳さんが、わたしが決めていいよって言ったから…」
「そうじゃなくてさ。読み上げるときに目を閉じてたでしょ。俺が君の視線を追うって考えたんだね?」
花はこくりとうなずいた。
「孟徳さんには隠し事ができません」
「そうだねー」
至極楽しそうに彼がうなずく。これを言われて笑っているのはお前が口にした時だけだと文若が言っていたことを、ちらと思いだす。
孟徳は口元に人差し指を当てたが、すぐに手を伸ばした。すばやく、簡をすべて掴んで笑う彼に、花は見開いた目をゆっくり眇めた。
彼女は、クラスで一番の人気者だった男子を思い出した。彼が教師をうまく出し抜いた時の顔が、夫のいまの表情によく似ている。
「孟徳さん」
「一枚選んでくれとは言わなかったよ?」
「そうですけど…」
「だいたい、さっきの素晴らしい内容のどれかひとつしか選べないなんて、俺の主義に反する。それに、昼寝のときに花ちゃんの膝枕、という項目がなかった。」
仕事のときのように厳然と言う彼に、花は肩を落とした。
「…すみません」
「ああごめん、謝らないで。でも、肝に銘じてね。」
孟徳は簡を卓に広げた。
「花ちゃんの世界の字を習う、のもいいかな。」
墨の痕を彼の指がたどる。それをぼうっと見ていた花は、瞬きして我に返った。
「困ります」
簡から目を上げずに、彼の口元がほほ笑んだ。
「何が?」
「孟徳さんがお休みだと思うと、やりたいことがたくさんあって…孟徳さんは疲れてるからあんまり頑張って考えないようにしてるんですけど、これじゃ、子どもですねえ」
「そんなことないよ。俺とふたりきりになるのが楽しみなんでしょ?」
あっさり言われて頬に血が上る。
「うれしいよ」
でれん、と笑いかけられて花は俯いた。卓の上をさまよっていた手を、彼の大きな手がつつむ。
「この季節の遠乗りもいいけど、秋の終わりころもいい。あちこちでたくさん、いろんな実が生っていてね、それを摘みながら行くんだ。冬の城下はそりゃあもう寒いから花ちゃんにはおすすめしないけど、北の珍しい毛皮がたくさん売られている。俺のところに献上されるものとはまた違った雰囲気のものがあるんだよ。花ちゃんの作るご飯は、花ちゃんはしきりに謙遜するけどすごく美味しいからいつだってどんな食材だって食べたいなあ。お昼寝も、花ちゃんがいるなら昼寝と言わず朝でも夜でも寝ていたいね。」
立ち上がった彼を見上げるより早く、後ろから抱き締められた。
「ずっと一緒、でしょ?」
柔らかく熱い囁きに、今度は全身が熱くなる。
「…はい」
「いつもは花ちゃんがそう言ってくれるからね。たまには俺から言ってみました。」
「ありがとう、ございます…」
「どういたしまして。」
くすくす笑って袖を開いた彼を振り返る。
「えーと、じゃあ、今度のお休みは…」
「花ちゃんとふたりならなんでもいい」
言うと思った、と苦笑しながら、喉が少し熱い。花は孟徳に抱きついた。広い胸に顔を押し当てる。
大好き、大好き、大好き、と。
どうしてこんな言葉しか残っていないのかと思うときもある。もし何かがあって、自分だけが、また彼だけがこの世に残されたら、それすら無くなってしまうのに。
でも自分がひとりになったら、こんな他愛ない夜をきっと思い出すだろう。文若の足音から子どものように隠れたり、元譲と立ち話をしていたらおそろしい早さでさらわれたり、明日を疑いなく望んだこんな夜ばかり、孟徳が選んでくれた数多の玉の輝きのように抱くことだろう。
花は背伸びして彼の頬に口づけた。
「また明日。おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
染みるように笑う彼があんまり眩しくて、花はまたその胸に顔を埋めた。頭上で彼が苦笑する気配がしたけれど、何も急かさないまま手は優しく髪を梳いてくれるから、それにもう少しだけ、甘えることにした。
(終。)
(2012.7.21)
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