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先日募集しました、幻灯リクエストの返礼となります。
「花文若さんと奉孝さん」で、シーンはとくに指定ありません、ということでした。お気に召していただけますように。
寒い、と目を覚ました。ぼんやりと目を開ければ、机の上のまっさらな簡が目に入る。いつの間にかうたたねをしていたらしい。筆など持っていなくて良かった。変な書き損じを作れば、余計な手間がかかってしまう。彼女は頭を巡らせた。
窓の方を見ると、自分が覚えている明るさとさほど変わっていない。それでは、眠ったのはそう長い間ではないのだ。立ち上がると、体中が痛い。まったく、いい年なのだから無理は禁物だ。苦笑して扉を開けると、ざわりと風が吹き込んだ。裾が激しく波打ち、思わず袖で顔を覆う。背が震えるような、冷たさを持った風だ。
風が収まって袖を下げると、人影があった。深く息をつく。
「奉孝殿」
「こんにちわ」
甘い笑みに背を伸ばす。瞬時に自分の表情が変わったのだろう、彼の笑みがさらに深くなった。これはもう習いだ、仕方がない。ふと、目を細める。
「何を持っているんです」
「あなたが気にしていた案件です。」
いかにも軽く簡を振る手に、頷いた。それひとつではないはずだが、そこは追求するまい。しかしどうも気になることがある。
「そうじゃありません。後ろ手に、何を隠しているのです?」
奉孝は笑い声を上げた。
「お見通しですね」
「子どもみたいなこと言わないで。簡ではないなら、それはお持ち帰りください」
「何かも分からないのに?」
「あなたが持ってくるものなんて、ろくでもないものばかりですから」
「どなたと比べているのかな」
「比べているのはあなたでしょう」
自分たちの上に広がる紅の衣は、いつも緊張をもたらす。
彼はすいと間合いを詰めた。香りが強くなる。
「あなたに見せたくて。」
差し出されたのは、艶やかな色の花だった。娘の唇を最初に飾る色のような晴れ着にと夢見るような、異国の香りさえする色だ。こちらではとても珍しい花で、薬にと貰ったことがある。彼女の知る店ではいつも、いちばん高い場所にあった花だ。彼女は小首を傾げた。
「誰から貰ったんですか?」
「あなたに、ですってば。ほら」
奉孝が開いた手のひらに、かすり傷があった。
「わたしが採ってきたんです」
こういう時の男子は、どんな年齢でも変わらない。いつも誇らしげな顔をする。
「きれいな方の爪ではないのですか」
笑って言ったので、奉孝も寛いだ笑顔になった。
「きちんと断っていただいて来ましたよ。」
ふと不安になり、彼女は眉間に皺を寄せた。
「まさか、丞相の庭からではないでしょうね」
「さすがにそこまで命知らずではありません。…おや」
「何の話だ」
声と同時に、視界に紅が翻った。振り返るより早く、後ろから抱きしめられる。奉孝が面白そうに唇を曲げた。
「下々の噂通りだ。あなたは本当に油断も隙もない」
「油断も隙もないのはお前だ。いい加減、俺の張子房に手を出すのは止めろ」
「あなたと同じで、可愛いひとに挨拶をしているだけですよ」
彼女はことさらに咳払いをした。
「あなたのものになったつもりもありませんし、可愛くもございません。丞相こそ、この手をお解き下さい」
「いやだ」
「丞相」
「茶を飲ませてくれたらな。」
のんびりと言うあるじの横顔には、口調とは裏腹な疲労が色濃く出ていた。彼女は小さく息をついた。わたしは結局、甘い。こんな場面を見せられるとすぐに、このひとを助けたいと思ってしまう。これはともに過ごした時間への労りだ。それだけだ。
「…茶葉をお持ちくださるなら」
満足げな息が耳元をかすめる。
「よし、言ったな。おい奉孝、聞いたろう。俺の勝ちだ」
奉孝が微笑んで目の前に花をかざした。
「茶の席には美しい花も要りようです」
「そんな花、俺の庭にはいくらでもある」
「わたしは己で摘んで参りましたからね。あなたはどうせ誰かに頼むでしょう」
「じゃあ俺は湯を運んでやろう」
彼女は張り合うようにして歩いて行く男たちの背中を見て、肩の力を抜いた。
こんなことで安堵を覚えるなんて本当にばかげている。でも、片方はこの環でまだ失われていない。もう片方との分かれ道にはまだ至っていないけれど、このひとが残っているなら、きっとまた、あのひとの望む道にたどり着けるだろう。
そこにしかわたしの夢はない。それは忘れない。だから、茶の湯気が消えない間くらいは、この騒ぎを楽しませてください。
「文若」
孟徳の声に、彼女は顔を上げた。回廊の曲がり角でふたりがこちらを振り返っている。
「何でしょう」
「お前はその花が好きなのか?」
眼差しは真剣に、口調は明るかった。彼女はゆっくり微笑んだ。
「嫌いです」
奉孝がかるく瞬きした。
「なぜ?」
「その花の前で背伸びばかりしていた頃を思い出しますから。」
ふたりの男はそれぞれに頷いた。片方は意味ありげな眼差しで、片方は温かく。彼女はそれに微笑み返し、男たちが再び歩き出すまで奉孝の指先で揺れる美しい色をじっと見ていた。
(2014.2.25)
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