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文若さんと花ちゃん、婚儀後です。お子さんがおります。
これで、このカテゴリが100となりました。いつもお読みくださるみなさまのおかげです。ありがとうございます。
風が冷たくなってきた。花は身震いして襟元に手をやった。窓から見える庭も急に日差しが傾いたように思える。花は生まれたばかりの娘が眠るゆりかごの上にもう一枚、薄布を掛けた。
ここ数日、とても暖かい日が続いていたから油断したけれど、そうだ、まだ冬が終わったばかりだった。日差しにすっかり油断して、侍女たちや家令夫人と冬物の片づけについて相談したばかりなのに、まだ仕舞えないだろうか。そういえば夫も、昨日、北の領地は大雪だったようだと言っていなかったか? 天気予報もインターネットもない不便さは慣れたつもりだったが、経験から天気を予測するのはまだ未熟で、こんなことなら星読みだけでもできるようになっておくんだった、と何度目かわからない淡い後悔を覚える。
花は立ち上がって回廊に顔を出した。反対側の端で何か話していた侍女がふたり、花に気づいて礼を取る。
「あの」
呼びかけると、侍女たちは小走りに花に近づいた。
「あの子はまだ戻っていませんか?」
侍女たちは顔を見合わせ、深刻そうに眉根を寄せた。
「いいえ」
「いちど、学問所からお帰りになったのは見ましたが…」
まるで、あるじの文若が帰ってこないかのような深刻さが侍女たちのあいだに降りた。この丁寧さはちいさい文若、といった外見のせいかとも思うが、由緒ある家の長男ともなるとどうもこういうものらしい。幼い息子がそれに狎れて粗暴になるようなことはまだないが、自分の幼いころを顧みても大事にされすぎているような気はする。
おそらく、花が楽天的なのだろう。戦乱の業火も愛しいひとの昏い眼差しとて身に染みて知るものを、文若がきちんと帰ってきてくれる日々を当たり前にしてしまった。
「もう夕方なのに」
寒いのに、と花は思った。昼は汗ばむほどだったので、薄着だったかもしれない。そう思ったとたん、色々な可能性が頭を駆け巡って身が竦んだ。風邪や誘拐や、そういう怖いことはよく言い聞かせていても飛び込むのが子どもなのだから。
「探して参りましょうか」
言った侍女のその言葉の余韻が消えないうち、小さい足音が聞こえた。
姿を見た途端、肩の力が抜けたのを感じる。だが、子の名を呼ぼうとして子の後ろからついてくる文若に気づいた。帰ったのを気づかなかったのは恥ずかしい。なぜ家令や侍女が告げなかったのだろう。いつもなら呼んでくれるのにと思いながら花は夫に笑いかけた。
「お帰りなさい」
「ああ」
いつもなら笑ってくれるその表情が硬い。戸惑って息子と見比べると、息子もむっつり黙り込んで下を向いている。文若は息子の肩に手を置いた。
「母上に謝ると約束したな」
花も久しぶりに聞く、重々しい声だ。驚いて息子を見ると、下を向いていた息子の頭が小さく動き、視線が上がる。花はかがみこんだ。
「どうしたの?」
息子は口をもぐもぐさせて何も言わない。文若は目尻をいっそう厳しくして息子の肩に置いた手に力を込めた。
「…ひとりで、みせにいきました」
花は目を丸くした。
この都はまさに花の盛りといった繁栄を誇っていて、人も店もとても多い。夫がそういった場所を好まないので花もあまり出かけることはない。けれど、このあいだ、文若の休みに親子三人で初めて出かけた。息子も邸にばかりいるわけではないけれど、さすがに桁違いの人ごみのなかでずっと目を丸くしていた。西の美しい娘たちが広場で踊っていたのを見たときは離れようとしなかったくらいだ。文若はあまりいい顔をしなかったが、せっかく来たのだからと店先で買い与えた菓子をなかなか食べようとせず、三日くらいかけてその手のひらほどの小さい菓子を食べていた。あまりに名残惜しそうなその様子に、ひとりで出かけてはだめだと念押ししておいたのだが。
「ひとりでああいうところに行ってはいけないと、父上もわたしも言ったよね?」
小さい頭が縦に振られる。
「どうして行ったの?」
「…見たかった、から」
「なにを?」
「とり。」
少しおいて、花は思い出した。鸚鵡を見世物にしていた男がいたのだ。からくりがあるのだろうけど、鸚鵡が客の持ち物を当てるという趣向で、なかなか盛り上がっていた。甲高い独特の声に、息子は怯えていたようだけれど、早く行こうとは言わなかったっけ。
「しゃべる鳥?」
「…うん」
花は息子の腕をつかんだ。手のひらに強く力を込める。
「行きたいときは、父上かわたしに言いなさいって言ったね。ひとりでは、絶対に、だめ。お前は今日、おやつ抜きだよ。わかるよね、だめだって言われたことをしたんだから」
息子は今朝、おやつに花が作るものを食べたいと言って、通い始めたばかりの学問所に出かけていったのだ。息子は唇を思い切りひん曲げかみしめて、わずかにうなずいた。
「ごめんなさいは?」
「…ごめん、なさい」
花は息子の腕から手を放し、頭を撫でた。
「うん、よく言いました。夕ご飯まで部屋に行っていなさい。」
とぼとぼと歩いていく息子の後ろを、侍女がついていく。花は息をついて立ち上がった。文若を見上げる。
「途中で会ったんですか?」
夫は、むっつりと頷いた。
「あれは、門番がよそ見をした隙に入ろうとしていたらしい。わたしが話していたので入るに入れず、うろうろしていたようだ。店に出かけたものの、鳥がいたところにはたどり着けなかったようだがな」
「文若さんにつかまえてもらってよかったです。」
文若はもういちど頷き、花に向き直った。
「お前はあの子に甘いのではないか」
花は彼をじっと見た。
「怒り方が足りませんでした?」
彼のいう子育て「論」はとても厳しい。それは彼の育ってきた世界の故だろうし、あの子もその場所に住む。だからたいがいは夫のいうことを聞いているけれど、さっきのはどうなんだろう。花は黙って伺ったが、彼はなかなか言い出そうとしなかった。
「文若さん?」
重ねて問うと、文若は短く息をついた。
「わたしが無茶をすると言って怒るときはもっと違う」
声音がきちんと拗ねていたので、花は吹き出しそうになった。まるで孟徳あたりが言いそうな台詞だ。その気配を察したのか文若の目がさらに剣呑に細められた。
「なにかあったんですか?」
「…別に、なにも」
嘘ばっかりだ。さっきも思ったけれど、孟徳か、あの年上のおいあたりに何か言われたのだろう。
「文若さんは大人ですよ。あの子に対する態度と違って当たり前でしょ?」
「だが」
「わかりました。じゃあ文若さんにも明日から膝の上でご飯を食べさせてあげますし、お風呂にも一緒に入りましょうか」
笑顔で言うと、夫は目をそらして小さく息をついた。
「…それは、別にいい」
「あら。あの子はそうするととても喜ぶのに」
「やはり、お前は息子に甘い」
花は文若の腕を軽く叩いた。夫はやっと微笑して、「今日は何をしていた」と、いつもの声音で言った。花は彼の腕を掴んで、子らと自分のことを話し始めた。これでは、まるで子が自分に対してするようだと可笑しくなりながら、ただ夫の笑みが見られるようにと願った。
(2014.4.7)
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