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苦手な方は回避してくださいませ。
無心に眠る花を寝台に置いてこようとする文若と孟徳の間でひとしきり不毛な言い争いがされたあと。
妻を、今は広い寝台に一人寝かせて東屋に戻ると、孟徳は真面目な表情で文若に身を乗り出した。
「どうするんだ」
からかう声音は一切無かったので、文若は背を伸ばした。
「どうしようもございません。こうした場合に用いる手段など存じませんから。丞相はご存じですか」
「花ちゃんのためなら知ってると言いたいところだけどなあ。まったく知らん」
「わたしも、残念ながら存じません」
子建が悩ましげにため息をついた。
「仙薬など探してみましょうか」
「いや、待て。思いも寄らない効果が出る可能性もあるからな」
「…やはり、公子が仰ったように穏やかに暮らす他、ございませんな」
文若は杯に残った茶を飲み干した。孟徳があさってのほうを見ながら、すっと眼を細めた。
「よし、そうと決まったら俺はちょっと出てくる」
「仕事場にお戻り下さい、丞相」
「ではわたしも」
「公子」
「すぐ戻りますからご心配なく」
美しい笑顔を置いて出て行く親子を見送り、文若は深いため息をついた。どうせ、おさなごの服を見繕いに行ったのだろう。彼も少し静かになりたかったので、止めなかった。
寝所に戻り、腰を下ろすと子どもの寝息が聞こえる。彼はかすかに苦笑を浮かべた。妻にはいつも心やすくあって欲しい。それがこんな場合であってもだ。
子どもが、何か寝言を言った。文若は立ち上がって寝台に近寄った。妻はころりと寝返りを打って、ふくよかな手を敷布の上に彷徨わせた。いつもそうするようにその手を握ると、彼女はふわふわと笑った。そしてまた、寝返りを打った。文若は顔をしかめた。このまま転がると寝台から落ちてしまう。文若は上衣を脱いで寝台に入った。小さい体を後ろから抱きかかえるように横になる。いつもより熱い体温に、子とはこういうものかと思う。
己の子も、いつかこうして抱きかかえて眠ることになるだろうか。愛しいものだけを抱いていられたらいいのにと、ふと埒もない考えが浮かぶ。この幼い姿にあてられたかと苦笑を浮かべようとするが、彼の手は妻を抱き直しただけだった。せめて今ぐらい、甘くても良かろう。
「わたしの妻としての記憶も失っていなくて、本当に良かった」
低く呟くと、妻は何かむずかるように体を動かし、文若が手を緩めると彼に抱きつくようにまた、寝返りを打った。文若はふっと笑った。
「甘えたで困るな」
起きていたら妻に叩かれていただろう台詞を気取って言うと、彼は今度こそ目を閉じた。
「つまらないなあ」
孟徳は山のような包みを背にして、東屋に座り込んだ。先に戻っていた子建が茶をゆっくりと飲んで微笑った。
「父上もそれを承知で居られるのでしょう」
非常に恐縮した様子の家令が夫婦ともに休んでいると告げると、孟徳と子建は起きるまで待つ、と晴れやかに言った。慌ただしく用意された茶菓は、家のあるじの趣味をうつしてたいそう美味である。
子建は飲み干したそれを卓に戻し、悩ましげにため息をついた。
「あんな可愛らしい子が居るといいのに」
「お前は本当にひとの物ばかり欲しがるな」
卓に頬杖をつき、干果をつまんだ孟徳が口元だけで笑った。子建は袖で口元を覆って寝所のほうを見た。
「それにしても気がかりですね。下手な呪いでないと良いのですが。あの奥方を気にしておられる方はたくさん居りますし」
「筆頭は、お前か」
かり、と孟徳の口元で木の実が砕かれる。子建はふわと笑みを浮かべた。
「わたしは父上の子です。それをお忘れではありますまい?」
「残念ながら片時も忘れたことはない」
「良うございました、お年の所為でお忘れかと。ならば申し上げるまでもございますまい。」
僅かに背を伸ばした子建には威厳がゆらめいていた。その姿を見る者が居れば、彼の父親の好む緋の衣の如くひれ伏さずにはいられない絶対的なものをもって、彼は父を見つめた。孟徳が酷薄に笑んだ。
「己と差し違え、盗るか。だから甘いんだ、お前は」
子建がゆらりと頭を傾けた。礼をしたようにも、ただ風の音を聞いたようにも見えた。そこに先程までの気配はもう無かった。孟徳も威圧的な気配を消して首を傾げた。
「もし帝や俺にこのような行為がなされたらどうだ? 放置しておくわけにはいかないだろう。お前ならば如何する」
子建はちょっと考えたようだった。
「都の門を出てすぐの村に、南から流れ着いた呪術師が居るそうです。よく星を見、人々を治すとか。」
孟徳は眼を細めた。
「星を見る、か」
「それになかなかの色男だそうです。さる高官の妹姫が入れ込んで極秘裏に後押ししているそうで…父上がそういったものはお嫌いですから男たちの間には入り込めますまいが、どうして、その奥方に広まっても面倒なことになりましょう」
「まあ、それだけ噂が高ければ、男どもにもすぐ広まるだろうな。」
「そうですね。結局のところ我々には、好きな女の関心を引くのが重大事なのです」
年齢に似合わぬ天真爛漫さで子建が微笑む。
「じゃあ、花ちゃんが起きるまでそいつへの策でも練るか」
色鮮やかな上等の衣を卓に広げ、孟徳が言った。子建も己の後ろに山と積まれた包みから子ども用の帯を取り出すとそれに乗せた。途端に孟徳が眉をひそめる。
「駄目だ駄目だ。それじゃ花ちゃんの魅力がじゅうぶんに出ない」
「そうでしょうか、愛らしさが増すと思いますが」
「いや、こっちのほうがいい」
「それでは派手でしょう」
俄にやかましくなった東屋を、遠目に文若の家令が眺めてため息をついた。彼には知りようもない。そこでは、文若の補佐として長い年月を過ごした家令でも想像だにしない剣呑なやりとりが、衣選びより軽んじて行われていた。
(続。)
(2011.11.28)
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