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文若はふと外を見た。白い息が灯りのように見えては消える。
寒空に月はいよいよ冴えている。ずいぶん大きく見えることだと思い、彼は背を震わせた。
花はもう眠っているだろう。そうでなくてはならぬ。手習いを始めたばかりで焦るのは分かるが、きちんと日を暮らすことが先決だ。
…寄る辺なくなった、年端もいかない娘。
その言葉の儚さと裏腹に、あれほど己を騒がしくさせる娘もそう居ない。何やら、あの娘と向き合うと、孟徳相手とは別の意味で己の顔が忙しく動いている気がする。
文若は肩を震わせ襟をかき合わせた。まったく、こんな寒さにいつまでも立っているものではない。風邪でも引いたらあの娘に合わせる顔がない。今朝、今日も冷えますねと頬を紅くしていた娘に諭したばかりだ。歩哨が立てる沓音を聞きながら、文若は身を返した。
「――文若さん!」
さすがに時間を弁えたか小声ではあったが、彼の耳には何よりはっきりとその声が届いた。衣の裾がはためく勢いで振り返ると、夜着に上着を二枚、きちんと重ねた花が嬉しそうに笑っている。
「良かった、間に合って」
「…何をしている」
花は軽い足音を立てて文若の前に立つと、大事そうに手の中の包みを文若に差し出した。
「あの、さっき侍女さんから頂いたので。もし文若さんがまだ帰ってなかったら渡そうと思ったんです」
彼女の両の掌に乗る茶色の布包みを文若はしばらく睨んでいたが、小首を傾げる花の瞳に負けて、それに手を伸ばした。文若が手に取ると、花はほっとしたように笑った。
「あたたかい」
ぼそりと文若が言うと、花は小刻みに頷いた。
「侍女さんがわたしに差し入れてくれたんです。文若さん、帰る時に寒いですよね? だから侍女さんに言って、もうひとつ貰って来たんです。えーと、石を温めたものです」
文若には無論、馴染みのものだ。それを言いかけて、止めた。
「…礼を言う」
声はうろたえるくらい、うわずっていた。思わず伏せた視線の端で、花が恥ずかしそうに笑う。石を懐に入れると、その笑みまで抱いたように暖かい。
「お前には珍しいのか?」
面はゆさを年の功で隠してどうにか視線を戻すと、花は少し眉根を寄せた。文若なら眉間に皺が寄るだろうが、柔らかい彼女の額にはなんの皺もできない。
「そうですね、石を温めるのは知らなかったです。わたしのところは、振ると温かくなるカイロが――ものがあったので」
花は、どこか申し訳なさそうに目を伏せた。
「あちら」を語るとき、彼女はよくこういう目をする。便利ということを恥じているようだ。別に彼女の所為ではないのに。文若は思いのまま、彼女をゆるく抱きしめた。花は声を上げかけたようだが、ぎこちなく顔を彼の胸に伏せた。
「このような夜更けまで起きていたのか」
「ちょっと、眠れなかったので」
それが、声音のたどたどしさばかりではない言い訳と、文若には分かった。鳥の雛のような早い鼓動に、彼女も文若のことばかり考えていたのだと、うぬぼれと自戒しながらも体が熱くなる。
愛しい。
まろい背を抱き直すと、花が無自覚だろう、甘い息をついて身じろいだ。文若は慌てて離れた。暗くて良かったと思いながら後ずさる。
「部屋まで送ろう。それと」
「こんな時間に出歩くな、ですよね? ごめんなさい」
素直に深く頭を下げる花に、文若はうろたえた。確かにそれもあるが、礼を言おうと思っていたのだ。花の言葉に文若は内心で髪をかきむしった。
「それも、あるが。…ありがとう」
甘い匂いのする頬に唇を掠めさせる。花の全身が伸び、強ばった。
「い、い、いいえっ! 失礼しますっ」
まさに脱兎の如く駆けていく娘の後ろ姿を呆然と見送り、文若は肩を落として苦笑した。さて、明日はどういう顔をして出て来るか。ゆるんだ口元を、文若はゆっくり撫でた。
(終。)
(2011.12.5)
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