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では、文若さんと花ちゃんです。
花は窓辺に座って目を閉じていた。
花嫁は寝台で待つものと言われたし、彼女の乏しい知識からもそうするのが自然と思えるのだが、そう思えば思うほど逃げ出したくなる。かと言って、本当に逃げ出す考えなどあるはずがない。だから、寝台からも出入り口からも等間隔の場所にある、壁を丸くくりぬき、華やかな花模様を織りだした布を貼った窓辺に居る。
今日はどんな天気だったろう、と花は思った。花嫁は夜の明けぬうちから着付けに化粧にと大忙しで、花婿衣装の文若にぼうっと見とれたと思ったら、もう夜の宴になっていた。以前に宣言された通り、式は花がひるんだほど豪勢であったし、招待された人員も多い。次々訪れる人々のざわめきや酒の匂いでくらくらしていた花を、文若が先に部屋に引き取らせてくれたのだった。
文若の足音はまだ聞こえて来ない。花は扉を見て、はあっと息をついた。
彼と一緒に夜を過ごすのは初めてではない。花は手首をかざした。いつか彼に貰った腕飾りを指先でなぞる。今夜もこの珠のように青く沈んで見える。
婚儀の日が決まってからはそれこそ毎日のように孟徳に背中に貼り付かれ、ほんとに文若と結婚しちゃうのと言われ続けた。それにいちいち律儀に怒っていた文若の顔を思い出すと笑みが零れる。それでも、今の今まで実感は無かった。これなら、文若に初めて口づけされた時の方が緊張していたかもしれない。あの時は、「あちら」に帰る帰らないの瀬戸際だったせいだろうか。
「奥さん、になるからかな…」
呟くと、身震いする。奥さん、という仕事は寝台だけではないのに、どうしてこんなに緊張するのだろうと疲労で眠くなってきた頭で考える。
そのとき扉が開いて、花ははじかれたように立ち上がった。夜着を着て髪を下ろした文若が、疲れたような色を顔に滲ませてこちらを見ている。その表情がいつも仕事の時に見ているものに似ていて、花はふだんどおりに駆け寄ろうとし、足を止めた。文若が怪訝そうに眉を上げる。
「どうした」
「い、いえ…」
「済まない、ずいぶん待ったろう?」
「いいえ、待ってません! あ、いえ、待ってましたけど、待ってないというか」
あわあわと弁明し始めようとした花を見て、文若が小さく笑った。それを見て俯いてしまう。足音だけが近づき、止まった。
「花」
「はい」
返事はしたけれど、あとはなんの声も無かった。花がおそるおそる顔を上げると、文若は困ったような顔をしていて、それでも視線が合うと微笑んだ。
「…困ったな」
「え?」
彼は実際に困っていても口に出すことは少ないし、困った顔と怒っている顔の境が難しい。だから問い返すと、彼は笑みを深めた。
「ああ。困った」
「…どうしてですか?」
「夫、として、何を口にすればよいのかと思っている。」
花はぽかんとした。文若は軽く咳払いした。
「…その」
「はい」
「わたしはお前を幸せにしたいし、ともに生きたいと願っている。それに…」
ゆるく首を振りながら眉間に皺を寄せ始めた彼に、花は抱きついた。彼の言葉が途切れる。
「文若さんが好きです。凄く、好きです。」
おそるおそる、といったように背に腕が回され、急に強く抱きしめられた。
「花」
「大好き」
今までだって、何度も言ったことのある言葉だ。でも、こんなにすべてを掛けて言ったことはないような気がする。
「わたしも、花がいい。…こんなことしか言えぬ夫では駄目か?」
国随一の能吏とも思えぬ心細そうな声に、花は抱きしめる腕を強くした。…顔を見てなど言えない。
だいてください。
うなじに感じる彼の息が止まった。次の瞬間、ほとんど掠われるように抱き上げられる。
初めて文若にすべてゆだねた夜も、こんな風に抱き上げられて暗い道を進んだ。あの時は硬く目を閉じているばかりだった。妻になる日にはきっと文若のすべてを見ていたいと思ったのに、今夜も触れている胸の鼓動ばかりが肌に響く。
肌を触れあわせれば分かることが男女にはたくさんありましてよ、と訳知り顔の侍女に言われたことがあるけれど。
彼は分かってくれるだろうか。花が、もうこの体でしか伝えられないくらいに好きという気持ちに胸が詰まってしまっていること、あなたばかり欲しいと夢を見ることを。花は目を閉じ、ただ自分に染みてくる彼の声に身を任せた。
(2010.10.21)
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