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二次創作。はじめての方はat first はじめに をご一読ください。
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 前回の文若さんtextに居なかった文若さんご本人登場を、というリクエストいただいたので! ありがとうございます!
 婚儀前の文若さんと花ちゃん。「恋歌あまた」の後です。
 そして、文章中の「彼」にモデルはないうえ名前もまだないです…ごめんなさい。
 
 


 
 
 
 軽い足音が近づいてきて、文若は顔を上げた。今日は、聞こえないはずの足音だ。
 花は今日は、休みである。おかげで部屋が広い。しかも、うっかりすると彼女の名を呼びそうになって黙ることを繰り返し、花の代わりにやってきた若い官に不審な顔をされてしまった。この若者は非常に有能で、仕事は常にない早さで片付けられていく。
 すっかりよい気候になり、執務室の窓も扉も開け放ってある。そこから様々な花の香りが、少し暑くなった風にのって漂ってくる。昨日も花が、いい匂いですねと嬉しそうに言っていた。そんなことを思い出していると、帰りに花の顔を見に寄りたいと思ってしまう。しかしやはり、婚儀前の女子の部屋を訪ねるのは如何なものか。ひと月ほど前の逢瀬を棚に上げて文若は表情を引き締めた。
 その時、扉が遠慮がちに叩かれた。官が振り返り、怪訝そうな声を上げた。
 「花殿。どうされたのです」
 こんにちはと恥ずかしそうに笑う花に、文若は目を見張った。
 薄い緑に紅梅の色を重ねた衣に、刺繍も鮮やかな濃い青の帯を締め、項のところでまとめた髪には大ぶりの白い造花が差してある。髪にも銀の細かい飾りが付けられて体を揺らすときらきら光った。さっきまで漂っていた季節の香りとは違う、しっかり焚きしめられた甘い香りがぱっと部屋に広がった。
 「うわあ、今日はずいぶんお綺麗ですねえ」
 素直に感嘆の声を上げた若者は、気安い笑顔を浮かべて立ち上がった。
 「お休みだって聞いてましたよ」
 「はい。お休みだから、ちょっと着飾ってお茶を持ってきてみました」
 …ちょっと、どころではない。
 女性らしい色合いの衣はふだんから着てはいるが、それ以上の着飾る、ということを花は殆どしない。文若は仕事だから当然だと思っているが、花に構うのが生き甲斐のような彼の上司は、可愛いんだからもっと可愛い衣を着てよ、綺麗な飾りをつけてよとうるさくまとわりついている。文若も、宴以外でこんな着飾った彼女は見たことがなかった。誰がこの衣の世話をしたのだろう。にやけた丞相の顔が頭を横切り、気が遠くなりかける。…もし、そうだったら。もしそうだったら、どうしてくれようか。
 しずしずと両手で盆を捧げて入ってきた花は、文若の机の前まで来ると、頭を下げた。それがやけにゆっくりと見えた。
 「お疲れ様です」
 いや、とか何とか呟いたように思うが、よく分からない。さらさら鳴る袖から滑らかな白い腕がちらちら見えるのが急に眩しく思え、頬が熱い。たった一度だけ抱いた細い体が脳裏に明滅する。
 「お茶、置いておきますね。お菓子はわたしが作りました。文若さんが気に入ってくれるといいんですけど」
 朗らかに言う花に、うまく目が合わせられない。
 「そうか」
 「はい」
 「それじゃ、失礼します」
 くるりと出て行こうとする彼女に、文若は慌てて立ち上がった。
 「花。どうしたのだ…その、衣は」
 花は振り返り、顔を紅くして袖を広げた。身じろぐたびに甘い香りが立ち上って目が眩む。
 「文若さんの侍女さんたちが勧めてくれたんです。若いんだし、お休みの日くらいこういうのもいいんじゃないか、って」
 それでは丞相が構ったのではないのだ、と文若はとりあえず気を取り直した。
 「どこへ行くためにそんなに着飾ったのだ」
 花の後ろで、若い官が目を細めた。何かおかしいことを言ったろうか。花はもっと顔を紅くした。
 「文若さんに、お茶を届けに行くのに、着たんです」
 彼は何度か口を開け閉めした。
 「…それだけ、か」
 呟くように言うと、花は深く深く俯いてしまった。ごめんなさい、と蚊の鳴くような声が聞こえた。
 「なぜ、謝る」
 「その…侍女さんが気を遣ってくれるのが嬉しくて、きれいな服を着たらもっと嬉しくなって…その、今日は文若さんはお茶はどうしてるんだろうって思って…お休みなんだから休んでればいいんですよね、ごめんなさいっ」
 床に付くほど勢いよく頭を下げて、花は走り出ていく。
 「花!」
 叫んだ文若に、若い官がため息を零した。
 「今のはちょっと可愛そうです」
 「なに?」
 文若の深い深い眉間の皺を気にした様子もなく、彼はさらりと続けた。
 「あんな可愛い子に、きれいな衣を着たのをあなたに見せたくて、なんて言われたら普通、礼を言うところだと思いますけど。」
 「礼?」
 「だってそうでしょう、お茶を届けに来た、なんて言い訳までして。それにしても、早く追いかけたほうがいいと思いますよ。」
 「…何故だ」
 「花殿は令君が怒ったと勘違いしてますよ。今頃、部屋で泣いてるんじゃないですか」
 「なぜわたしが怒るのだ」
 「それだけなんて誤解されるような言葉を言うからです。…可愛くなかったですか、さっきの彼女」
 じっと見つめられ、目をそらす。
 「…愛らしかった、が」
 「そうでしょう~? じゃ、追いかけて行ってください。仕事中だ、なんて言ったら、俺は丞相に、あの子と令君が別れましたって言いに行きますよ」
 堂々とした脅しに、文若は呆れて部下を見返した。
 「お前もずいぶん言うようになった」
 「任せて下さい、後釜狙ってますから」
 文若は思わず目を細めた。
 「…どちらのだ」
 「勿論、尚書令です」
 へらっと言われ、苦笑が深くなる。
 「ではわたしが戻るまで、あの山を片付けておけ」
 指し示した机の上を見やり、若い官はにこやかに礼をした。
 「畏まりまして」
 重々しく頷いた文若は、部屋を出た途端に走り出した。頭の中で、言い訳が渦を巻く。ただひたすらに花が泣いていないことを祈りながら、彼は回廊を急いだ。
 この扉までがこんなに長く感じられたことはない。そっと分厚い扉を叩くと、はい、というすっかり沈み込んだ声がした。
 「わたしだ」
 答えると同時に、部屋の中から大きな音が聞こえて文若は身構えた。
 「どうした!」
 「何でもありません! 椅子を倒しただけですからっ」
 それきり、部屋はしんとした。彼は大きく息を吸った。
 「さっきは、済まなかった」
 部屋の中からすぐに返事はなかった。たださらさらと衣擦れの音が近づいたので、花が扉の近くに来たことが分かる。
 「わたしこそ…ごめんなさい」
 厚い扉のせいでくぐもった声が聞こえた。いつもなら誰より側で聞いて居るその声がにぶく聞こえ、ひどくもどかしい。
 「いや、お前が謝ることではない。…動転しただけだ」
 「やっぱり、かえって、お仕事の邪魔をしてしまいましたね」
 寂しそうに笑っているような声が聞こえ、文若は強く唇を噛んだ。そういう笑い方をする娘だ。そしてあれほど、胸をつかれる微笑みもない。矢も楯もたまらず抱きしめたくなるが、文若が常々注意している通り、扉には鍵がきちんとかけてあってびくともしない。
 「それだけかと言ったのは、誤解させる言い方だった。」
 「…本当だからいいんです」
 「いや、わたしのためにそんな努力を払ってくれて嬉しい」
 部屋の中は、また一瞬、静まりかえった。
 「努力なんかじゃないです! わたし…わたし、ただ見て欲しかっただけで、見て笑って貰えたら嬉しいなって思っただけだったんです。ごめんなさい…ごめんなさい」
 扉の向こうの声はだんだん小さくなっていく。花が消えてしまうような幻が彼の頭を過ぎり、文若は扉の格子を握りしめた。
 「花」
 自分でも驚くほど、その声は情けなかった。
 「もし…もしわたしを許してくれるなら、今夜は鍵を開けておいてくれないか」
 非常な勇気をふるって言った言葉に、しばらく返事はなかった。
 先程まで一緒に仕事をしていた彼だったなら、もっと上手に言うのだろう。当世風のもの柔らかで軽い言い方で、彼女が笑顔でこの扉を開けてくれるような。
 丞相相手にもこんな根気を試したことはないような気がする。それほど、彼にとって長い沈黙があった。ただそれは、山鳥が長く鳴くような、その程度の時間だったかも分からない。
 「…はい」
 開けておきます。
 囁きに目を見開いた文若は、格子をそっと撫でた。
 「…また、来る」
 はい、と、再度聞こえた声は、ずいぶん優しかったように思う。文若は自分の熱い頬を撫で、いったいこれから夜までをどんな気分で過ごせばいいのか迷いながら、踵を返した。
 
 
 (2010.8.11)

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