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二次創作。はじめての方はat first はじめに をご一読ください。
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 文若さんと花ちゃんの、お子さん話です。
 
 
 

 
 
 「母上、この花はなに?」
 娘が花の手を引き、花は笑って振り返った。小さい手が指さしているのは、塀際に群れをなして咲いている白い小花だ。薫り高いことで有名な花だから、住人がきちんと手入れしているのかもしれない。
 「きれいね」
 「うん。父上もお好き?」
 「父上は白い花がお好きだよ。あとで摘んで帰ろうね」
 「うん」
 娘が頷く。
 屋敷から少し歩いたところにある小さな川は、都の中とてきちんと護岸もされ、美しい橋も渡してある。ごったがえす表通りから少し入っただけで、そこはとても静かだった。
 花の屋敷あたりは高官が多く住むので閑静な場所であるが、人通りは少ない。不用心だからひとりでは遊ばせぬようにと文若は常々言い、花もそう思っているので、娘を連れて散歩する時はそのあたりまで来るのだった。
 「もう夏になるね」
 「暑い?」
 「どうかなあ」
 「父上は夜おそい?」
 「去年みたいに、雨がたくさん降ると、遅くなるかもしれない」
 「じゃあ、降らないといいね。母上、さびしいでしょ」
 大人ぶった口調で言われ、花は苦笑した。きっと息子が言ったのだろう。でもそれは正しい。子どもをふたりも授かった身で言うことではないかもしれないけれど、文若の顔を見る時間が少ないのはとても寂しい。いまそれを口に出すとこの子は文若に告げるだろうから、言わないけれど。花は声を張った。
 「ほら。鴨さんがいるよ」
 「ほんとだ」
 娘はさっきの会話をもう忘れたように、花の手をぐいと引っ張って川縁に立った。花はその手を少し強く握った。整備はされていても、それなりの深さも速さもある川だ。万が一、落ちたりしてはいけない。
 鴨はてんでばらばらに泳いだりもぐったり寝たりしている。鴨は鴨のままだな、と花は今更に思った。
 その時、花は名を呼ばれたような気がして顔を上げた。対岸で、子建が微笑んでいる。豪商の息子といった雰囲気で、宮廷にいる時より派手な身なりをしているが、都では決して珍しくない。現に彼も人混みに溶け込んでいる。
 彼は近くの橋を足早に渡ると、花の傍らに立った。初めて会った時から変わらない、もの柔らかな声が告げる。
 「久しぶりですね」
 花は思わず笑った。久しぶりというほど会っていないわけではない。
 「十日ぶりでしょうか。…ご挨拶なさい」
 娘の手を引いて注意をうながすと、魚に気を取られていた娘は子建を見上げて、笑った。
 「こんにちわ、おにいさま」
 「覚えていてくれたのですね」
 子建がひどく感激した表情で娘の前に膝をつき小さな頭を撫でる。おにいさま、と呼ぶようにと念を押していったのは彼だ。そして会うたびにそう呼ばれることに新鮮な感激の表情を見せる。花は可笑しくなってしまった。
 「そのやりとりばかりですね?」
 「笑い事ではありませんよ、花殿。ご夫君に相談してくれましたか?」
 真剣な顔の子建に、花は困った。
 「まだ早い、との一点張りです。わたしも早いと思いますし」
 子建は丁寧に娘を抱き上げた。幼い子には甘すぎる笑顔を向けながら、ちらりと視線だけを花によこす。
 彼から、娘を養育したいと申し出があったのはずいぶん前だ。文若は聞くなり一刀両断に断ったので花に誘いを向けてきていたのだが、彼女も夫を盾にして断り続けている。
 娘は否応なしに文若を親として生まれた。だからこそ、そうできるうちは許せる限りの自由を許そう、というのが文若と花の共通の思いだった。
 丞相の子息で位も高く著名な文化人で人柄もいい子建に養育されれば、国中が群れをなして求婚するような貴婦人になることは間違いないが、それゆえの不自由のほうが花は恐ろしいと思う。薫り高い夢は諸刃の剣であるし、隠された宝だけに価値があるわけではない。
 子建が幼子に説いて聞かせるように言う。
 「佳人を育てるのに早すぎるということはありません。」
 「どうぞ、夫にそう申し上げてくださいな」
 文若の眉間の皺を思い出しながら花が小首を傾げると、思わせぶりに子建が首を振る。
 「姫君に関することでご夫君の手強さときたら、我が父上以上ですよ。何やら近頃は、わたしの行く先を察知しておられるのか、偶然を装ってお会いすることすらできない」
 「夫にそんな器用な真似はできません」
 花はくすくす笑った。そんな花に、子建はまたため息を零した。
 「このまま手をこまねいていては姫君が父上にさらわれそうで心配なのです。」
 「あなたにすら許さないのに、あなたのお父上に、なんてありえません」
 「おちちうえって?」
 それまでにこにこと子建の指を握って何やら小声で歌っていた娘が、急に真剣な声で聞いた。花は娘の手を取った。
 「おにいちゃん、よ。」
 ずうずうしい、と子建が珍しく忌々しげに呟いた。確かに、風貌こそ十何年前から変わらないが自分の父親が、他人の娘におにいちゃんなどと呼ばせているのを知った時の子建の顔といったら無かった。
 「おにいちゃんがどうしたの」
 「なんでもありません。…そうそう、今度、わたしの屋敷に遊びに来ませんか。難しいこと抜きです」
 「むずかしいこと?」
 「大人の話ですよ、姫君。どうですか、花殿」
 「夫に話してみます。」
 子建は苦笑した。
 「建前でなく、あなたは本心からそう言っているのだから羨ましいことだ」
 「おだてないでください」
 子建から娘を受け取りながら、花は笑った。
 「むかしから、あなたはわたしを過大評価しているんですから」
 「わたしはわたしの認めたものしか褒めませんよ。…ああ、そうだ。これくらいは受け取っていただけますね?」
 彼が手品のように袂から出したうす黄色の花に、娘は歓声を上げた。
 「いいにおい!」
 花が止める間もなく、それは満足げな娘の手にしっかりと握られた。花は頭を下げた。
 「ありがとうございます」
 「小物も衣もお断りになるから、せめてこれくらいは。…では、また」
 「またね、おにいさま!」
 娘が手の花を振る。子建は小さく笑って袖を振ると雑踏に消えた。
 「さあ、じゃあ帰りましょう。」
 「うん」
 大きな花の香りを深く吸い込んでいた娘は、ふいに真面目な顔になって花を見上げた。
 「父上に花を摘んで行かなきゃ」
 「そうだね」
 娘が弾むように歩き出す。花は軽く引っ張られながら空を見上げた。
 「今日は父上、早くお帰りになる?」
 「どうかなあ」
 「早く帰ってくるといいなあ」
 「そうね」
 「あ、兄上だ!」
 道の先に見えた息子の姿に、娘が手をふりほどいて駆け出した。父親似の息子が、こちらを見付けてあどけなく笑う。
 …そういうふうに、走っていけばいい。
 きっと、その先には待っていてくれるひとがいる。わたしが危なっかしく暮らしていくのを見守ってくれたひとがいたように。
 花は手を繋いで待っている子どもたちへ、笑いかけた。
 
 
 
(2010.9.20)

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