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「はーなちゃん」
短い悲鳴を上げて花は飛び上がった。首を回すまでもなく、頬をくすぐる髪と香りで孟徳と分かる。だいたい、こんなふうに花に凭れてくる男など彼だけだ。文若は絶対にしない。それは残念、というか、想像するだけで落ち着かなくなる。
「仕事中です!」
横目で睨むと、孟徳が笑み崩れる。
「そうだねえ」
「もう、毎日毎日…」
「だって毎日、花ちゃんと会えて嬉しいんだもん」
はあ、と花は息をついた。孟徳は身を離してしかめ面を作る。
「やだなあ。そのため息、文若に似てきたよ?」
花は簡を持っていないほうの手で頬を押さえた。
「ため息なんて、みんな一緒だと思います」
孟徳が花を真似したように頬に手を当てる。かわいい、と思ってしまい、慌てて首を横に振る。
「一緒じゃないよ。例えば俺がため息をついたら、花ちゃんはどう思う?」
「えーと、頭痛かなって思います」
「優しいねえ」
文若のくれた髪飾りを、孟徳の指がくすぐるように撫でる。少しだけ首を竦めると、孟徳の笑みが深まった気がした。
「文若がため息をついたら?」
花は孟徳を伺った。
「状況によります」
「ふうん?」
「わたしの服が良くないとか、着方がまずいとか、字を間違えたとか、届け先が違うものが紛れ込んでいたとか、わたしが部屋に来た文官さんと話しこんでいたとか」
孟徳がだんだんと口元を緩めていく。そっぽを向いていた花は、それに気づかない。声ばかりが小さくなる。
「お湯を、零したとか…その、孟徳さんと話すのが楽しくて帰るのが遅くなった、とか」
花は、はっとした。孟徳を見上げると、彼は楽しそうに笑っていた。
「ごめんなさい、自分のことばかり」
「なんで謝るの? 聞いたのは俺だよ」
「だって…今更ですけど、文若さんに迷惑かけてることがすごく分かりましたから…」
孟徳は立てた人差し指を頬に添えた。
「ちなみに俺も会議で文若のため息を聞くことがあるけどね。あれは戦法だから」
「戦法?」
「うん。文若のため息を聞くと、花ちゃんじゃなくても、背が伸びるでしょ。あれで新米たちはずいぶん鍛えられるからねえ」
花はちょっと遠い目をした。それはたいへんに怖い光景だ。自分も変わらないのだけど。
「気をつけます」
「面白い返事だね」
孟徳がくすりと口元を緩め、花の髪飾りをもういちど触った。
「じゃあまたね」
豪奢な衣が軽々と翻り、彼の背が遠くなる。
「はい。あの、あとで簡を持ってうかがうと思います」
花が声を掛けると、孟徳は肩越しに振り返って苦笑した。小さく手が振られる。花は頭を下げて身を返した。
文若の待っている執務室、いつも憧れるあのひとのように背を伸ばして、そこに行くのだ。ため息をつかれたって、笑いあう時間があるから頑張れる。導いてくれる手を確かに思うからこそ、側に立とうと思う。花は両手で簡をしっかりと抱き、さっきまでより前をきちんと見て歩き出した。
(2013.4.2)
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