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玄徳さんと花ちゃん。婚儀後です。
ふわふわと目を開けると、寝台のまわりに下ろしてある分厚い帳が目に移る。織の緻密な、とても重い布だ。これのおかげで、特に色の薄いこの土地の冬の日差しは寝台を淡く照らすだけだ。いまのように夫の寝息とともに籠っていると、寝台だけ世界から切り離されたような気になる。
背中に居る夫の気配があたたかい。
目を覚ます、というほどはっきりしていないこの時間が、花は好きだ。
冬のあいだは、朝くらいうちに起きて火鉢に火を入れておかないと着替えの時に寒いから、侍女に手伝ってもらってそういう準備をしていたが、いまはもう暖かい。このあいだ、冬物をしまったばかりだ。もう少ししたら布団の上掛けも変えないとかなと、ぼんやり考える。
それにしても、玄徳の衣装の多さには驚く。場面ごとに細かく決められたそれは、夫いわく、宮中ほどではない、そうだ。うちは貧乏だからなと笑う玄徳の横で、孔明が複雑な表情をしていた。あとで、
「玄徳様はああ仰るけれど、必要な威儀というものもあるからね、甘えちゃだめだよ」
と諭されたりもした。もちろん、玄徳が悪く言われるのは国が悪く言われることだから、肝に銘じている。
絵本を読んでいた頃は、毎日ちがうドレスが着られるおひめさま、が羨ましかった。でも今は、それを裏で支える人々は大変だと身に染みて分かる。絹糸一本、赤色の一滴だって湧いて出てくるわけではない。
花は小さく欠伸をした。ようやく、頭が覚めてきた。そろそろ起きようか。玄徳は今朝、特別早くなかったはずだけど、と一日の予定を胸の内で確認していた時、温かいものが肩口に触れた。それが夫の唇だと気づくまで、間があった。
「げ、玄徳さんっ?」
「もう起きたのか」
多分にまだ眠そうな声が背中で聞こえた。花はゆっくり力を抜いた。
「起こしましたか」
「いや、もう起きる時間だろう?」
一言ごとに覚醒していくのが分かる声だ。花は目を細めて帳を見た。先ほどよりは明るい、だろうか。
「晴れているかもしれませんよ」
「ああ…鳥が鳴いているな。ようやく春か!」
玄徳の声が伸び伸びと響いた。春になれば雪が解けるから、雪崩やいくさの心配をしなければならない。それでも、春がくれば嬉しいと、孔明でさえ言う。花とて、この土地の冬をそう何年も経験したわけでなくとも、その気持ちはとてもよく分かった。鳥たちや畑をつくる人々の声、日差しの明るさとともに増えてくる行商人たちの呼び声が柔らかな天蓋の下に満ちるのはいつ聞いても胸が躍る。
「そうですね。…あの、玄徳さん」
「なんだ」
「あの、唇を離してもらえると嬉しい、です」
「どうして」
くすくすと息がかかる。肌が熱くなる。
「くすぐったいです」
「残念だな。うまそうなのに」
唇が離れると同時に、後ろからゆるく抱きかかえられ、体を反転させられた。弾みで夜着の裾が大きくめくれる。向き合った夫は、穏やかに笑っていた。
「おはよう、花」
朝のあいさつなんて毎日のことだ。昨日今日、このひとの妻になったわけじゃないのに、どうして今、胸が痛いほど嬉しいのか。花はゆっくり玄徳の肩口に顔をうずめた。知っている匂い、馴染んだ肌、かすかに感じる鼓動。
「おはようございます…玄徳さん」
「ああ、おはよう」
逞しい指が髪を撫でる。このひととまた春を迎えられたからこんなに嬉しいのだと、花は思った。
(2014.4.14)
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