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今日の更新は玄徳さんと花ちゃん話ですが、師匠が超出張ってます。
孔明は頬杖をついて弟子を見やった。目の中に入れても痛くない可愛い弟子は、朝から浮かない顔だ。
朝に彼女の夫であり孔明のあるじである玄徳に会った時は何ともなかった。むしろ、機嫌が良かった。
(やれやれ、これほど分かりやすい子の表情を見逃すとはね)
部屋を出るときに口づけでもして彼女はごまかしたろうか、と思い、そう思う自分が少し嫌になる。
孔明は筆を置いた。かなり派手に置いたつもりなのだが、彼女はこちらに背を向けて黙々と簡をより分けている。
「はーな。」
声を掛けると、花はきょとんと彼を振り向いた。手招きする。
「こっちおいで。」
「まだ途中ですけど…」
「いいから。ね?」
孔明が、側に置いた背もたれのない椅子をぽんと叩くと、花は小首を傾げながら簡の束を置いてそこに座った。
「何ですか? 師匠」
「どうしたのさ。ずいぶん元気がないじゃないか」
素直な子には奇襲が一番だ。単刀直入に言うと、花の表情が紅くなり、それを誤魔化すように笑顔になった。
「心のひろーい師匠になーんでも相談しなさい。」
花の笑顔が心持ち引いた感じになるのを見て、彼は彼女の額をかるく指で弾いた。花が額を抑えて唇をとがらす。
「ひどい! 痛いです師匠」
「素直に言わないからです。」
「…笑いませんか?」
「ボクが君の言うことを笑ったことなんてある?」
「ない、です…」
花は笑顔を消して俯いた。
「…あの、おとといの夜、夢を見たんです」
「うん」
「玄徳さんが亡くなってしまう夢」
花の声が、一気に湿っぽくなった。孔明はやれやれと髪をかき上げた。感情を交えずに聞く。
「戦で? 病気で?」
「分かりません。でもわたしと玄徳さんの子どもがいて、その子をあるじに立てて国の運営を頑張っているうちに、子どもじゃなくてわたしを擁護するひとが増えてきて国が分裂しちゃうんです」
「ふうん」
「それを解消するために、子どもがわたしを殺しに来るんです…」
孔明はもう一度腕を伸ばして、花の額を指で弾いた。花が噛み付きそうな顔をする。
「もう、師匠! わたし真面目に悲しんでるのに!」
「杞憂、って知ってる?」
淡々と聞けば、花が途方に暮れたような顔をして目を細めた。
「えっと、取り越し苦労ってことでしたよね。」
「そう。まず、君が見たのは夢だ。」
人差し指を立てて言うと、花が俯いたまま小さく頷いた。
「我が君は今日も元気だ。残念ながらまだお世継ぎはいないけれどね。それに一番違うのは、君がそんな過ちを犯さないことだよ。」
花が顔を上げて、瞬きした。孔明は人差し指を立てた。
「君はそういう未来を見たからそれを回避しようとする。もうその過ちに陥らない。…それよりもボクが怒りたいのはね、君の夢にボクが出てこないことだよ。」
花はもう一度瞬きして、くすりと笑った。
「そこですか」
「大事なトコでしょ。」
「…そうですね。わたしには師匠がいました」
「そうだよ。ご信頼くださいませ、奥方さま。…ま、それより先にキミが頑張ること。」
「はい!」
花は満面の笑みで言った。孔明が頷くと、花は立ち上がって一礼し、軽い足取りで書簡の仕分けに戻っていった。彼はこっそり息をついた。
昨夜、彼も同じようなことをとある武将に言われた。
軍師という奥方がおられるのは我らのあるじにとって頼もしい、とその武将は言った。何かあった時に軍の旗印としてこれ以上ふさわしい方はおられぬでしょう、と得意満面に語っていた。孔明は礼儀正しい微笑でその場を立ち去ったものの、その日一日、棘のある笑顔が消えずに玄徳に不思議がられた。
考えてみれば、もっともなことだ。世継ぎがいない場合や、世継ぎがその位にふさわしくない場合、軍は一気に求心力を失う。孔明は自分がそれに値するとはまったく考えていない。器が違うと思う。
だが、花にその役目を負わせるなどもってのほかだ。彼女ならば耐えうると思うからこそ、させてなるものか。玄徳がこの話を聞いたところでそう言うだろう。
「あ、そうだ」
花が明るい声を上げて振り返った。満面の笑みが逆光にきらめいている。
「わたし、師匠の弟子ですからね。どんなことが待ってても頑張ります。安心してくださいね!」
その笑顔にらしくなく、すぐに切り返せなかった。
帰すべきだと思い、行動していた。いまでも、「あちら」にあったはずの彼女の可能性をあてもなく考える。それでもこんな笑顔を向けられると、胸が熱くなる。
孔明は咳払いした。
「そこはねえ、玄徳さまの妻ですから、というところだと思うけど。」
花が可笑しそうに笑う。手を伸ばせば届くところで、この上もなく幸せだと輝きながら。
「わたしには、どっちも嬉しいことなんですけど」
「は・な。」
「はーい。」
歌い出しそうな笑顔で返事をした花は、扉を叩く音に振り向いた。孔明、と呼ぶ玄徳の声に嬉しそうに簡を胸に抱きしめる。
「はい、我が君」
「ああ、花も居たか。」
「玄徳さん!」
花は小走りに夫の側に寄ると、うふふ、と笑いながら彼を見上げる。その上機嫌に、玄徳は瞬きして孔明を見た。
「…どうしたんだ?」
孔明はにっこりと笑んだ。
「ちょうどよいところに。愛弟子がいかに我が君をお慕いしているかと縷々、語っておりましてね。いやあ、あるじの夫婦仲が良いのは喜ばしいですねえ」
「…ほう」
思わせぶりに頷いた玄徳に、花が真っ赤になって簡を振り回した。
「そんなこと言ってないじゃないですか!」
「違わないよ?」
「うそうそうそですっ、師匠の馬鹿っ」
「花…嘘なのか?」
切なそうに背後から囁かれると、花はきゅうっと黙った。その手の中で簡が嫌な音を立てる。
「ちょっと頭を冷やしてきますっ!」
言うなり、脱兎のごとく出て行った彼女を、孔明は笑って見送った。「そんなに走ると雲長に怒られるぞ」と苦笑した玄徳が、孔明に向き直る。
「本当は、何の話をしていたんだ?」
「本当に、申し上げた通りですよ。愛弟子が幸せなのが嬉しく、出過ぎた真似をいたしました。」
さらりと礼をすると、玄徳が笑った気配がした。
「ではそれが続くように、俺も頑張るとするか。」
声音の奥は、鋼のように硬く澄み切っている。
わたしも、とは声に出さずに、孔明はもう一度、深々と礼をした。
(2010.6.16)
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