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孟徳の邸ではかいだことのない、甘いいぶしたような香り高い茶がテーブルに置かれる。湯気ごしに、店主がにっこりと笑った。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
飲んでみると、意外なほど香りはつんと来なかった。渋みすら心地よい濃いめの味がおいしい。かたわらの公瑾は、観用人形用のミルクを少しづつ飲んでいる。黒地に古風な金の薔薇が描かれた足の高いティーカップは花だったら絶対に選ばない柄だ。けれど、夢のようにきれいな人形たちが眠るこの空間で、そのひとかけらが手にする小道具としてはとても似合っていた。
「不思議なことですね。お客様が小さくなられてしまうとは…わたしもそのような事例は初めて聞きます」
「そうなんですか」
「お客様のなかには、風邪をひいたときに観用人形のミルクを飲むと治る、というような方もいらっしゃいましてね。そのようなおすすめはしておりませんが、栄養価が高いことは事実です」
先日、小さくなってしまった体は一昼夜でもとに戻った。孟徳には言っていない。言えば、アパートから連れ戻されることが目に見えている。何もかも彼に依存している状態ではあんまり大甘な理由だったが、それでもあの部屋をなくしたくない。
「もう戻りましたから、いいんです。」
花が笑うと、店主はゆっくりお辞儀をした。それから、公瑾の髪に指先を触れた。いつもなら、男性が触るのを過剰なくらいに嫌うのに、彼はミルクを飲み続けている。
「よくお慈しみいただいているようだ」
「…分かる、んですか」
「ええ」
店主は背を伸ばした。
「気むずかしい子も多うございますので、メンテナンスが必要な状態になって戻されることも珍しいことではございません」
メンテナンス、と言われて花は少し竦んだ。公瑾を見ると、口の周りにミルクをつけたまま花を見て笑う。まだカップにミルクが残っていたので、花は笑いかけるだけにした。
「わたし、いろいろ知りました」
店主の笑みが深くなったように見える。
「この子が『枯れ』たり、『育っ』たりすることを教えてもらいました」
「さようでございますか」
「…珍しいことじゃ、ないんでしょうか」
「数は分かりかねます。枯れたり育ったりした場合でも、こちらに届け出があるわけではございませんので…ただ、お客様みなさまがお選びになったことかと存じます」
花は、店主をじっと見た。その顔は笑顔だったが、楽しそうとは思わなかった。真っ平らだと彼女は思った。
かちゃん、と公瑾がミルクを飲み干してカップを置いた。短距離を全力で走りきったような清々しい笑みを見せる。その口元をミニタオルで拭いてやると、彼は益々笑顔になった。
この顔は大好き、と花は思った。
「さて、今日はどのようなご用でしょうか? 新作のお衣装ならあちらに」
店主の声に我に返った花は、強く首を横に振った。こんなお店で端から端までいただくわと言えたら楽しいだろうが、いまはそんな身分ではない。
「違うんです。この子の前の持ち主を知りたくて。教えて貰えませんか?」
す、と店主の目が細くなった。それだけで威圧感が増して花は体を硬くした。
「何かございましたか」
「そうではなく、て」
「最初に申し上げたと思いますが、彼の以前の持ち主はお亡くなりになっておられます。」
「はい、聞きました。でも、そのひとのところで公瑾くんがどんなふうだったのか知りたくて…」
「何故でございましょう。彼が何か?」
「いえ、ほんとに公瑾くんは何にもしてないです。」
「申し訳ございませんが、お教えできません。」
じゅうぶん予想できた回答だったが、花の肩からちからが抜けた。店主は噛んで含めるように言った。
「以前の持ち主のご遺族はこの店に戻された。この観用人形はメンテナンスされております。そういうことです。」
花は俯いて、スカートの上の手を握りしめた。頭上から静かな、変わらぬ声が降る。
「僭越ながら、お客様は色々なことをひといきに知って混乱しておられるのではありませんか。彼は観用人形です。望むまま愛でるように作られたものです」
花はまた手に力を込めた。その視界に、公瑾がふいと顔を覗かせた。腕をぐっと伸ばし、花の膝に乗り上がるばかりになって花がきつく握りしめていた手を掴む。
「この子は初期型です」
唐突な呟きに花は顔を上げた。店主は茶を入れるため、こちらに背を向けている。
「プロトタイプの少年型、さらにごく初期の奏でるタイプです。そのような『物』に共通することがあるかもしれません」
物、と言う前に少し間があった。だから花は怒りの前に息を吸うことができた。膝の上に登ろうとする公瑾を抱き上げると、彼はしごく満足そうに花に抱きついた。
ふと、友人の顔が浮かんだ。
(これ、高いのよ)
彼女がかざした指先はただつやつやしているだけで、花の目にはいつものかなの手としか分からない。彩が呆れたように首を振った。
(どこぞの新作ネイルなんだって)
(へえー)
(もう、反応薄いよ! 海外でしか販売しなくて、しかも予約が必要だったんだから!)
あまりのはしゃぎように、どこが違うのかを具体的に聞けなかったが…そうだ。花は息を整えた。
「奏でるタイプって、公瑾くん以外にもいるんですか?」
店主は、茶を入れる長すぎる動作をぴたりと止め、花の前に新しい茶を置いた。さっきの茶ではない、華やかな薔薇の香りがする。
「はい。ピアノや琴などそれぞれございましたが、いまは歌う観用人形のほうが人気がございますので、もうほとんどおりません。楽器は、観用人形以上にメンテナンスが必要なものですから」
花は聞きながら深く頷いた。あの壁の薄いアパートで琵琶など演奏させたらたちまち苦情の嵐にさらされるだろう。そして自分は琵琶の扱いなどまるで分からない。このうえ、もし彼がピアノを弾く観用人形だったら大変なことになっていた。
ただでさえ高価な観用人形だけれど、手に入れるがわがそれに応じたお金持ちとは限らない。でも、この店主がわざわざそんなことを言うならば、公瑾の前のあるじは。
(お金持ち)
それも、破格の…まるで孟徳のような。
はっと顔を上げた花の視線を捉えて、店主がにっこりと笑った。
「彼のお衣装の試着などいかがですか? お客様とおそろいで楽しめるものもご用意できますよ」
あやうく頷きそうになって、花は強く首を横に振った。こんなきれいな公瑾とおそろいなんて、己の平凡さを再確認するようなものだ。公瑾がきれいでかわいいのはまったくその通りで揺るがないけれど、自分と同じ格好をさせるなんて。
この店は本当に危ない、と花は茶の残りを急いで飲み干した。
(続。)
(2012.9.6)
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