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お嫌いな方はどうぞごらんになりませんように。
車が止まって、公瑾が目を開けた。目をこすりながら花を見上げてくるのに微笑む。
「着いたみたいだよ」
公瑾は花の膝によじ登ると車の窓から外を見た。孟徳の使っている運転手だから運転はそれは丁寧だったけれど、ここに来るまでずいぶん走ったように思う。都会から出たことなんてほとんど無い花も最初は景色が珍しかったけど、公瑾と同じように寝てしまったので、正確なところは分からない。
運転手が開けてくれたドアから、公瑾がぽんと飛び降りる。振り返って伸ばしてくる手を握って、車から降りる。花は目を細めた。
風がずいぶん軽い。見渡す限りの森はしんと静まって、細い道が続いていた。この先に病院があるなんて信じられないけれど、孟徳が見つけてくれた病院だ。
あの夜の孟徳は、怖いくらい真剣だった。花は洗いざらい話させられた。どこが痛いとか辛いとか分からないけれど食欲がないこと、特に肉料理はテレビの映像を見てさえ吐いてしまうこと、公瑾と一緒にミルクを飲むくらいで満腹になってしまうこと、夜は日が落ちると眠くなってしまうけれど朝はひどく早く起きてしまうこと。
孟徳は終始難しい、花にとっては怖い顔で聞いていた。そうして、すぐに相談しなかったことを叱った。花にとっては思い出せないくらい久しぶりに、この病院に行くことを「命じられた」。学校の授業のフォローはいつの間にか彩とかなに連絡されていて、手回しの良さに怒るより先に感心してしまった。
怖かったのだ。孟徳に問い詰められ、邸に戻されてしまうことが。せっかく手に入れた、まがい物でもひとりの暮らし、自立したように思える自分の「部屋」から連れ戻されてしまう。嫌になってしまうくらい甘い自分が露わになってくることに震えた。
そうしていま、降るような鳥のさえずりのなか、公瑾の手を引いて小道を歩いている。花と公瑾の荷物を詰めたカートを運転手がひいてついてくる。あまりにも現実感がない。この先に、遊園地のようなお城が建っていたって驚かない。公瑾は踊るように歩きながら、時折、花を振り返って笑う。ピクニックに行くようだ。
道はすぐ開けた。ぽかりと明るい広場のような空間があある。道はそこで突き当たりのようだった。日差しが眩しい。焦げ茶の壁の、古風なバルコニーの付いたゲストハウスのような二階屋が立っている。子どもの頃、あんな家のおもちゃで遊んだなと思った。熊や兎の人形を部屋に配して、暗くなるとライトが点く玄関だってあった。懐かしくて、沈んでいた気持ちがわずかに浮上した。
左のほうに小さな池があって、魚が跳ねている。入り口に覆い被さるように立派な木があって、さらさらと梢を揺らしていた。
花は玄関に立って、呼び鈴を探した。しかしどこを見てもそれらしき押しボタンがない。迷ううち、扉は吸い込まれるように開いた。
花は瞬きした。ほんとうに小柄な、ちょびひげを生やした白衣の男性が花を見て、ふお、ふお、ふお、と笑っている。
「遠いところを大変でしたな」
のんびりした口調は古風でずいぶん年上のようだけど、肌はつるつるだ。してみると、年配のひとではないのかもしれない。迷いながら、はあ、と曖昧な返事をしてしまう。公瑾が花の手を握って小首を傾げている。男のひとが相手だといつも花の後ろに隠れるのに、珍しいものを見ている表情で相手を見ている。
「どうぞ、お入りください。」
ちょこちょこ、という擬音がふさわしい歩き方で相手が部屋を突っ切っていく。花は慌てて、ひっそりと控えていた運転手からカートを受け取って、頭を下げた。これで彼も、孟徳に、花をきちんと送り届けたと報告できるだろう。もちろん、一日一回と約束した電話はするけど、彼は運転手を問いただすだろうから。
花は運転手を見送り、改めて部屋の中に足を踏み入れた。乾いたハーブの香りが彼女を包んだ。
花はティーカップをテーブルに戻した。ふだんハーブティーは飲まないのにこれはずいぶんおいしい。この二、三日はうすい紅茶もずいぶんきつい味に思えたから、なおさらだ。公瑾は花がキッチンを借りて温めたミルクを飲んでいる。もちろん、持参した彼のカップだ。最初は、ドラマに出てくるようなメイドスタイルの品のいい女性が温めてさしあげますよと言ってくれたが、公瑾がミルクの瓶を握って離さず、結局花が温めることになった。
部屋は何の音楽も流れていない。インテリアも、大きな振り子のついた時計とかくすんだ花柄のシェードがついたフロアランプとか、まるで古い美術館だ。気をつけてみれば病院っぽい薬の匂いがするけれど、それだって普通の病院に比べれば薄い。開け放した窓からの梢の音や鳥の声だけ聞いていると、本当にホテルにいるみたいだ。花は座り直した。
「あの」
「何ですかな?」
「診察はいつから、するんでしょうか」
「今日はよくお休みください。ここはずいぶん遠いですからな、お疲れでしょう。ここでは時間をかけて診察いたしますし、休養第一ですぞ」
花は曖昧に頷いた。
そのとき、背後の扉が激しい音を立てて開いた。驚いて振り向いた花に公瑾がしがみつく。
古い掛け軸でこんなひとたちを見たことがある、と花は思った。そう、七福神とかいう神様だ。七人でもないし女性はいないけれどそんな連想をさせる老人たちが、照れくさそうな表情で折り重なって床になだれ落ちている。
「これはこれは」
いちばん上になった、見事にはげ上がった老人がそそくさとどけて笑った。
「まったく、そう強く押すもんじゃない」
気難しそうな眉毛の太いもうひとりが、気弱そうな、いちばん下になっていた老人を助け起こした。皺に埋もれてしまうのじゃないかというくらい細い目でいつも笑っているような表情をしている。
花が目をぱちくりさせている横で、公瑾がソファの背にしがみついて彼らを見ている。ふお、ふお、と気の抜けた笑い声が響いた。
「紹介しにいく手間が省けましたのう。他の入院患者さんたちです」
「え?」
豪快な笑い声が、眉毛の太い老人の口から漏れた。
「いやあ、若い患者さんなんて初めてでな」
「つい気がはやって」
「紹介されるまで待てんかった」
四人四様の笑い声が響く部屋で、花は公瑾と顔を見合わせて首をすくめた。
(続。)
(2013.2.1)
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