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苦手な方はご覧になりませんように。
電車を降り、花は一息ついた。車内は冷房もかかっていたけれど、時間帯にしてはずいぶん混んでいたので汗ばんでいる。額を手の甲でぬぐいながら人混みに流されないように柱に寄る。公瑾は花の手に加えて袖まで握って、どこか怯えたような表情で居る。
「すごい人だね。去年もこんなだったかなあ」
花はしゃがんで公瑾の髪を撫でた。孟徳の邸の女主人が、この街の祭りに行くならといつになく迫力のある笑顔で準備した、花とおそろいの濃紺の浴衣を着た観用人形は、下駄が鳴る音を楽しんでいるようで、つま先をかつかつと鳴らしている。孟徳も一緒に来るはずだったのだが、扉を出る直前に掛かってきた仕事の電話に対して思いつく限りの悪態をのべたあと、がっくりとうなだれて見送ってくれた。
「彩とかなは改札口あたりで待ち合わせって言ってたけど、こんな混雑じゃなあ…コーヒーショップにでも入ってようか」
花は公瑾の手をひいて改札を抜けた。改札口横の、全世界にチェーン展開しているコーヒーショップに入る。ここは広い店内に観葉植物がたくさん置かれ、まるで花屋のようだ。この駅の最寄りにある大型書店に寄るときは、たいていこの店でおしゃべりをしていた。こんな夜に来たことはないから、花は大人の多い店内を見回した。
祭りの夜とあって、店内には人が溢れている。花は公瑾を抱え上げた。そうして他の人々と同じ目線になると、観用人形の美貌はいやが上にも目立つ。彼を見て囁きあう人もいて、花は彼を抱き直した。
とりあえず注文の列に並ぶものの、なかなか進まない。彼を抱いたままではさすがに腕がだるくなる。どこかに公瑾を座らせてからとも思うが、ざっと見回した店内に席は見当たらない。
すると、花の肩を軽く叩いた手があった。花が飛び上がるようにして振り返ると、男性が笑っている。孟徳と同じくらいの年齢だろうか、快活な笑顔は顔見知りだったかと記憶をさぐってしまうほど親しげだった。だが馴れ馴れしい感じがしないのが不思議だ。
「すまない、突然」
「え? いえ」
「彼は観用人形か。ずいぶんきれいな子だな」
囁き合うだけの人々のなかで、あっけらかんと声を掛けてきたその男性が好ましくて、花は笑顔を見せた。
「はい」
「良かったら、一緒に座ろう。ああ、心配しないでくれ、ナンパじゃない」
玄徳が掌で指し示した先には、驚くような美女が座っていた。輝く金髪にけぶるような睫、透き通る肌、そして世の男子がもれなく振り返りそうな素晴らしいプロポーションをシンプルなワンピースが引き立てている。その美女がきらきらした笑顔をこちらに向けていた。その笑顔をどこかで見たような気がして、花は瞬きした。
「あれは俺の妻だ。」
どこか面映ゆそうに、しかし誇らしそうに囁かれた言葉に、花も一緒に照れた。
そのテーブル席に座ると、美女は変わらず花に微笑んでいる。花がおずおずと微笑み返すと、美女は公瑾の髪にそっと手を伸ばした。公瑾もされるがままにその美女を見つめている。花は男性を見た。
「あの…この方、もしかして」
「ああ」
男性は少しはにかんだように微笑った。
「君の連れと一緒だな」
「やっぱり! 笑顔が公瑾くんと似てたから」
「似ているか?」
不思議そうに男性が瞬きする。花は大きく頷いた。
「笑顔がきらきらして、似てるなあって思ったんです。」
公瑾が花を見た。花がそっと手を離すと、彼は美女の膝に乗った。いつもなら花と一緒だと離れようとしないのに、その動作はとても自然だった。
「やっぱり、お友達は分かるんですね」
「友達、か」
男性が微笑する。
「こういう大きいタイプもあるんですか?」
花が聞くと、男性は瞬きして、どこか決まり悪そうに首を竦めた。
「知らないのか」
「え?」
「これは、育ったんだ」
言われた意味が分からず、瞬きする。男性はアイスコーヒーを飲んでいるばかりで補足しない。
「成長…?」
男性は、ちょっと見には分からないくらい小さく頷いた。花は公瑾を見た。美女の膝にぺたりと座ってすっかり寛いでいる。男性は瞬きして、動きを止めた花を気遣わしそうに見た。
「知らなかったんだな」
「は…い。」
花は頷いて大きくため息をついた。
「知らないことばっかりです。ただの、動くお人形だと思ってたのに」
「まあ、人形には違いない」
男性はおかしそうに笑った。しかしすぐ、眉根を寄せた。
「あの店主から注意事項を聞いていないのか」
「注意事項、なんてあるんですか?」
男性はとても真剣な顔になった。
「まず大前提として、決まった時間にミルクしか飲ませてはいけない。服は小さめのもの。すべて、とにかく一級品を揃えること」
花はいちいち頷きながら聞いていたが、だんだん肩が落ちるのが分かった。
「わたし…ミルクくらいしか守ってないです。しかもお昼のあいだは他の人に任せてるし」
「君は高校生か」
「はい。だから、学校に行っているあいだは知り合いに預かって貰ってるんです」
「そうか」
男性は手を伸ばして公瑾の髪を撫でようとした。公瑾は、後ろに目が付いているかのように滑らかにそれを避けた。男性は苦笑した。
「やれやれ、男は嫌いなんだな。というより、観用人形らしいと言うべきか」
「観用人形、らしい?」
「ああ。決めた相手以外には笑顔を見せないし、懐かない」
男性は急に、柔らかい、花にとってはまるで孟徳のような笑みを見せた。少しだけ塩気の混ざったような、と花が常々思う、甘いと言うには何かあるような、しかし優しい笑みだった。
「良かったな。出会えて」
花は背を伸ばした。
「はい」
それだけは嘘偽りなく頷くことができる。男性は嬉しそうに笑みを深めた。
その時、あ、あそこだ、と言う声が店内に響いた。店内が一瞬、しんとする。男性の顔に苦笑が浮かんだ。
「ああ済まない。連れが来たようだ。」
花は慌てて立ち上がり、美女の膝の上から公瑾を抱き取った。美女が滑らかな動作で立ち上がり、男性の傍らに寄る。大きな靴を慣らしながらやってきたやんちゃそうな、とても大柄な青年が花を見て、怪訝そうな顔をした。
「兄いの連れ?」
「いや」
「あの、席をありがとうございました」
花が言うと、男性は小さく首を横に振った。
「じゃあな。」
「はい」
男性はごく自然に美女の腰を抱いてその場を離れていく。それがあんまりきれいな動作で映画のようだったので、花は思わずため息を漏らした。不思議そうに彼女を見上げてくる公瑾を抱き直して、また腰を下ろす。
公瑾を見つめると、彼はにこ、と笑った。その額に額をつける。ひんやりとしたそこが、気持ちいい。
「知らないことばっかりだよ、公瑾くん」
彼は花の首に腕をまわしてしがみついた。小さな耳に囁く。
「あとは何を隠してるの?」
観用人形に隠すも隠さないもないだろうと思ったが、果たして、彼は花に抱きついてくすくす笑っているだけだった。
(続。)
(2012.7.9)
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