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公瑾さんと花ちゃんなら何でも、ということでしたが…どうか、お気に召していただけますように。
鳥の声がひとしきり高くなって、花は物思いから醒めた。
尚香の招きで、おそらくこの城でもいちばん優美な庭の一角に設けられた東屋で、他愛ない話をしていた。紅い花が物憂く揺れ、池の魚は思い出したように跳ねる。喬姉妹の居ないお茶の時間はずいぶんとゆっくり流れている。
「尚香さん」
呼びかけに、はい、と涼しい声で返事をした彼女は、花の顔を見てにわかに不安げな表情になった。
「どうかしましたか、花さん?」
「尚香さんは、自分が男だったらって思ったことはありますか?」
尚香は大きな目をゆっくり瞬きさせて笑み崩れた。彼女のことだから言下に否定されたり、気の毒な目で見られたりということはないだろうと思っていたが、ある意味予想通りの反応に花はほっとした。
「男だったら、も何も。わたし、ごくごく幼いうちは、自分は男だと思っておりましたから」
「そうなんですか?」
「ええ。伯符兄上も仲謀兄上もおりますでしょう? 仲謀兄上が、お前は女だからと言うたびに、いいがかりだと思ったくらいです」
その光景が容易に想像できて花も笑った。輝くばかりの兄妹たちが戯れているのはきっと臣下たちの笑みを誘ったろう。ひとしきり笑ったあと、尚香はまた、心配そうな顔になった。
「公瑾と何かあったのですか?」
花は肩を竦めた。彼と恋仲になってからは、何かあるとすぐ、そう聞かれる。本当にすぐ、だ。彼がちょっと機嫌悪そうだったり、花が少しぼうっとしていたりすると、あるいはからかい混じりに、あるいは本当に心配そうに小声で尋ねられるのだ。
「いえ、そういうわけでは」
「そんなはずはありませんわ。だって、花さんを悩ませるのは公瑾以外に居りませんでしょ? 兄が悩ませるとしても、いまは宮城におりませんし」
確かに仲謀はいま、軍の視察をしている。尚香はきりと眉根を寄せた。
「兄が花さんを困らせるようなことがあればわたしに言ってくださいね!」
花は乾いた笑顔を浮かべた。そんなことがあっても絶対彼女に言う訳にはいかない。どんな騒動になるかは考えただけで恐ろしい。
花は膝の上をそっと払った。柔らかな衣にあった襞はきれいに消えた。
「わたし、もうすぐ婚儀なんです」
「そうですわね。あと…何ヶ月でしたか」
尚香はきれいな指を一本、二本と折っていく。花はまた目を伏せた。
「色々習っているんです。こちらの女の人ができるようなこと…刺繍とか、機織りとか。あ、手習いはもちろん」
尚香が深く頷いた。
「花さんはたいそう熱心に習っていると評判です」
ああ、と花は思った。得体の知れない小娘が美周郎の心を射止めたと噂されているのは知っていたが、尚香の耳に届くほど声高な噂の種になっているのか。花は小さく肩を揺すって言葉を続けた。
「けれどそれって、どれだけ頑張っても、公瑾さんの直接の手伝いにはならないなあ…って思っちゃって。ちょっと疲れてるだけだと思うんですけど、すみません、こんなこと。こっちの女の人なら出来て当たり前のことですもんね。」
尚香はゆるりと首を傾げた。
「花さんは、男だったら公瑾とともに戦場に出て…とお考えですか?」
「…はい」
「わたしと同じですね。まあわたしは、まだあがいておりますけれど。…ねえ花さん。わたしは花さんが女性で良かったと思っていますのよ。だって花さんが男だったら、公瑾は戦場に居るしかなくなってしまいますもの。」
花は尚香を見返した。彼女はうつわを両手で温めるように持って、水面をのぞき込んでいる。
「もちろんそれもひとつの居場所ですし、こういう言い方が偏っていると思いますわ。でもわたしはやっぱり、花さんがこうして居てくださって、そこに公瑾が帰ってくるのが嬉しいんです。うまく言えません、ごめんなさい」
顔を上げ、本当に済まなそうに言う尚香に、花は強く首を横に振った。
「あの方のために、と頑張っていて、それが当然だと受け取る男ではないと思いますわ、花さんを妻にする方は。…わたしは恋したう方はおりませんけれど、それくらいは分かります」
花は自分がゆっくり解けていくのが分かった。花が彼を気に掛けるのが当然という口ぶりでいつも話すあのひとは、その実、そのことを輝石のように抱いているひとだ。こちらが照れくさいくらいに。心を傾けるひとに出会えたのは本当に嬉しい。こんな物思いのたびに、あのひとが好きと実感し直す自分は、とりあえず浮かれているに違いない。
「公瑾が迎えに来るまで、もう少しお話ししましょうね」
「はい」
伸び伸びと微笑う尚香はとても眩しく見えた。この笑顔には幸せな恋だけが呼ばれるといいと、花は思った。
(終。)
(2012.7.11)
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