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いつものハーブティーではなく、濃いめにいれたコーヒーが花の前に置かれている。さっき、小柄な医師に紹介されたこの病院のオーナーの彼が好むらしい。コーヒーなんてここにきてから滅多になくて、だからなのか、急に現実に戻された気がする。
孫仲謀だ、と、ぶっきらぼうに名乗ったきり、彼は黙々とコーヒーを飲んでいる。花も話を切り出しかねて同じように飲んでいる。友人たちと入るショップの味よりまろやかでおいしいけれど、それを口に出すような空気ではなかった。応接室に満ちるぴりぴりしたものに、公瑾は花のスカートを握りしめたままだ。
たん、と仲謀がカップを置いた。公瑾が飛び上がるように花に身を寄せる。
「お前のことはさっき医師から聞いた」
まだ、唸るような気配は消えていない。
「お前の観用人形は、ただお前が世話をするためだけに連れてきた。これで間違いないんだな」
花は相手を見据えた。
「そうです。いつもは一緒にいられないから」
仲謀はあからさまに疑ったような目をして手を頭の後ろで組んだが、すぐに解いた。
「嘘は言ってないみたいだな。じゃあお前は、ここがどんな病院か知らないで来たんだな」
「…はい」
「ふうん、ずいぶん大事にされてる…か、鳥籠ってとこか。お前、何歳だよ」
「…17ですけど」
仲謀が目を見開いて動きを止めた。
「俺より上かよ!」
「え、下?」
「うるせえ!」
仲謀は組んでいた手をといて自分の膝をぱんと叩いた。立ち上がって花を見下ろしたその視線は、年下とは思えないほど強かった。
「ついてこい」
言うなり、歩き出す。花が呆然と背を見ていると、戸口で振り返った彼は「早くしろ」といらいらした口調で怒鳴った。顔をしかめながら、花は公瑾の手を引き立ち上がった。
仲謀は建物の入り口にある大きな木のかたわらまで来ると、花と公瑾を振り返った。今日もその木は静かに葉を揺らしている。陽を透かしてみる葉はきれいだ。彼はそっと幹に手を置き、しばらく木を見上げていた。ひとつ息をついて仲謀は、また強い目で花を見た。
「お前、ネットとか結構見るほうか?」
唐突な問いに、花は瞬きして首を振った。
「あんまり…」
「そうか。まあ、観用人形がいる人間はなかなかそんな暇ないよな。…最初にこの話が出たのは、もう十年以上も前だ。よくある都市伝説だと思ってた。自分に降りかかるまではな。」
仲謀はもういちど、木を撫でた。
「これは俺の親父だ」
言われたことが分からずに、花は瞬きした。
「ひとが木になる病気がある。ここは、それを治療する場所だ。」
花は口をただ開け閉めした。仲謀はそんな花を気にした様子も無く、ズボンのポケットをさぐると使い込まれた財布から小さな紙切れを出し、それをつかの間、眺めた。一瞬、彼はとても優しい眼差しになったが、花に向けた瞳はまたきついものに戻っていた。ぶっきらぼうに突き出された紙切れを受け取り、花は凍り付いた。
写真だった。端がよれてしわになったそこに写っていたのは、仲謀とよく似た、しかしもっと精悍な顔立ちの男性だった。船の上らしい、背後には一面の海が広がっている。花はぎくしゃくと、スカートを掴んで離さない公瑾を見下ろした。こちらを見上げている不安そうな表情に、その写真をかざす。
「公瑾…くん?」
仲謀に似た笑顔の隣で今と変わらないきらめく笑顔を浮かべているのは、確かに公瑾だった。真っ白のセーラーカラーがよく似合っている。
花の隣に立った仲謀は、並んでその写真をのぞき込んだ。
「ああ、公瑾だ。隣は俺の兄だ。もう何年も前に事故で亡くなってる」
花は何度か唾を飲み込んで、それでも苦労して口を開いた。
「それは…観用人形のお店で聞きました。」
そっか、と仲謀の目の色が暗くなった。
「親父が木になったあと、兄貴は病気の研究に没頭した。俺も、誰もが、あの病気が解明できるのは兄貴だと思ってた。でも事故で死んで…俺も母も、自分のことだけで精一杯で、公瑾に構ってやれなかったんだ。思い出した時、公瑾はただ天国の涙とやらを零すばっかりでさ。慌てて店に連れて行ったら枯れそうだって言われて、仕方なく店に戻したんだ。本当に、仕方なかったんだ」
声は落ち着いていたが、仲謀が本当に悔しがり、また寂しがっているのが分かった。孟徳が、花の父母のことを話すのと同じ調子だった。
「メンテナンスって、そういうことなんだな」
仲謀の声はとても低かった。
「俺のことを見てもどうもしない。人形だからな、そうだよな」
それが世話しきれなかった自分への嘲りだと分かっていた。だって彩がそんな声を出していた。…でも。
「公瑾くんは…笑っているじゃない」
「あ?」
「この写真! こんなきらきら笑ってるじゃない! このひとが公瑾くんのことを大事にしていたから、それを分かっているからでしょ? 都合のいいときだけ人形呼ばわりしないでよ!」
仲謀が目を見開いている。
こんなのは八つ当たりだ。自分だってさんざん迷っている。笑いかけてくれる。あなたを好きだという気持ちを受け止めてくれたように見える…人形。
「お前…」
仲謀の表情がせわしなく変化している。
こんなとき、孟徳なら抱きしめてくれる。言葉を尽くして自分を解きほぐしてくれる。彩とかなだったら肩を抱いてくれる。
そのとき、花の手が強く引かれて上体がかしいだ。唇を引き結んだ公瑾がこちらを見上げている。公瑾は花がつんのめりそうになるほど強く手を引くと、慌ててしゃがみこんだ花の首にしがみついた。ぐりぐりと頭を花の頬に押しつけてくる。
「こ、公瑾くん?」
ちょっと痛い。
「どうしたの、公瑾くんってば」
「…慰めてんじゃねえか?」
呆れたような声だった。花はようやく頭を持ち上げて仲謀を見た。
「なぐさめ?」
「兄貴がふざけた調子で公瑾に愚痴をいうと、公瑾は兄貴の頭を抱いて髪を撫でるんだ。その様子が可愛い可愛いって、兄貴の同僚の女なんか兄貴と公瑾がいるとカメラ片手にしてたぞ」
その景色を思い出したのか、仲謀がうんざりした表情になった。花は必死な、泣きそうな顔をしている公瑾を見た。花が何も言わないでいると、ますますその目尻が頼りなく下がっていく。花は手を伸ばし、公瑾の髪に手を置いた。とたんに公瑾は嬉しそうに笑った。不安など感じたことがないような、無垢というには剣呑なただ美しさだけで。
(望むまま愛でるように作られたもの)
花はその肩に額をつけた。小さい手が、花の髪を撫でる。たどたどしく、何度も撫でる手が温かいように思えた。
(続。)
(2013.5.30)
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