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とある地方都市の、現代パラレルです。女子高生な花ちゃんと。
狭い路地を下ると、川縁に出た。この道はいつも開放感を味わわせてくれる。駐車場があの家に無いせいもあったが、少し離れた場所に停めてあの階段を下りてくるのが彼は好きだった。
世間では、文若が女を囲っているという。そう言われるのは心外だし、実際、そのような事実は無い。ただこうして足を向けるのをそう揶揄されるだけだと分かっている。だからなおさら、心外だ。
彼は足を止めた。目指す家の前で、高校生の男女が話している。男子は知っている、彼女のクラスメイトだ。大人びた佇まいの、時折、年上のこちらが気圧されるような鋭い視線を向けてくる男子で、確か、長岡と言った。その彼が促す前に、娘が振り向いた。
「文若さん」
ほっとしたような、気安い笑顔に笑みを返す。
「久しぶりだな」
「はい!」
彼女が弾けるように笑う。長岡が低く、じゃあこれで、と言った。花は手にしていた包みを目の前に掲げるようにして、いつもありがとう、と笑った。彼は料理が上手いのだと聞いたことがある。家のことはほとんどできない文若とは正反対だ。
「差し入れか」
「はい。里芋と蓮根の煮物って言ってました。文若さん、蓮根、好きでしたよね」
「ああ」
どうぞと言われて家に入る。この地域特有の、間口が狭く奥行きのある家だが、天井にある明かり取りの櫓から四角く光が落ちていて家の中は明るかった。代々の家に住んでいるだけだとその在りし日、旧友は笑っていたが、独特の湿った匂いが文若は好きだった。最新設備のあるマンション暮らしは快適だが、この家に来ると、帰ってきたと思う。
「いま、お茶にしますねー」
台所からのんびりした声が聞こえた。それに返事をして二階に上がり、廊下に置かれたがたのきた籐椅子に座ると、川面が見えた。少し眠いような春の陽気に、川面のきらめきが眩しい。散歩の老夫妻や観光客の歓声が川向かいから聞こえてくる。
軽い足音がして、花が上がってきた。文若を見て笑う。
「本当にここが好きですね」
「そうだな」
茶の入れ方は文若が指導した。香りも色も申し分ない。きんつばの包み紙は見覚えのある、近所の和菓子屋のものだ。大変に年配の老夫婦がやっている店だったが、先日、急に今風に改装した。息子が戻ってきて継いだらしい。ご多分に漏れず、餡の味が落ちたと口うるさい近所の口は言う。
花は廊下にぺたりと座って、文若の足下をのぞき込むようにした。
「椅子の脚がもう駄目そうです」
「そうか?」
「ひびが入っちゃって。おじいちゃんの気に入りの椅子でしたけど、そういう時期なんでしょうか」
川の光を反射する丸い頬に憂いが過ぎった。
旧友がその妻ともども不慮の事故で亡くなってからずっと、彼女を育てていた老人から、亡くなる際に彼女の後見を頼まれてもう三年になる。旧友の遺品の整理中からずっと、子ども子どもした外見があっという間に娘になるのを、文若は静かに見てきた。あからさまにその寂しさに泣くようなことこそないが、ひっそりと崩れていきそうな心根の娘は、新しい穏やかさを手に入れて笑うようになった。困ったことはないかと聞くだけだった文若も、彼女の学校での様子や成績など、関わることが格段に増えた。
「四月からは受験生だな」
「はい」
花が目元を引き締める。
「このあいだの模試はどうだった?」
「B判定でした。」
「もう少しだな」
「はい!」
彼女が希望しているのは、この土地のように重い雪の降らない場所の大学だ。希望に向かって彼女は着実に足下を固めていく。旧友もそういう性質だったと、おぼろげに思い出した。軽い雰囲気に侮っていると、いつの間にかはるか遠くにいるのだ。
文若は茶碗を置いた。
「では、また来る」
「え、ご飯、食べて行かないんですか?」
花がひどく気落ちした顔をした。この表情にいつも怯む。
「料理同好会の子に、おいしいご飯を教えてもらったんです。食べて行きませんか。あ、あの、文若さんの仕事が忙しくなければ」
「それは、構わない」
「じゃあ、食べていってください。帰っちゃだめですよ」
せわしなく言って、花は階下に下りていく。足音が遠くなると、文若は椅子に座り直した。
彼女が遠くに行くなら、この家の処遇も決めなければならない。そう思いながら、それを切り出せずにいる。
少し冷たい風が芽吹き始めた柳並木を揺らし、家に吹き込んだ。文若は立ち上がって窓を閉め、階下をのぞき込んだ。
「雨が来るかもしれないぞ」
階下はしんとしている。反響の冷たさに、文若はすくんだ。裏手に物置があって、花は冬の間、野菜をそこに置いてある。そこに取りに行ったのだろうと思いながら、動けない。
笑顔が、その未来にふさわしい場所に進んで欲しい。けれどさっきの高校生のように、自分は彼女と同じ時間を歩くことはできない…
からからと勝手口の開く音がするまで、彼はそこを動けずにいた。
(2013.3.23)
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