気がついたら増えました。
　ほんとうにパラレルなので、お嫌いな方は閲覧なさいませんよう、お願いします。
　
　

　
　
　花は大きく息をついた。芙蓉がそれを耳ざとく聞きつけ、ため息をつく。花は慌てた。
　「ごめん、芙蓉」
　「いいわ。…よくないけど、いい」
　「うん…」
　俯いた花の耳に軽い下駄の音が聞こえてふたりの間の卓に、冷茶が置かれた。丸みのあるグラスに、いかにも爽やかな緑色が切り取られている。
　「せっかくボクの店先に居るんだから、もうちょっと明るい顔をしなさいよ、キミたち」
　茶を置いた亮が、茶化すように言った。店のたたずまいにまるで似合わないＴシャツとチノパン姿で、籃胎漆器の盆をくるくると回す。
　この店は町内で唯一の茶・茶道具屋で、文若が店で使う茶を仕入れているところでもある。店構えは小さく、間口も狭いのでとても営業しているようには見えないし、重く古びた染め抜きののれんも、ちょっとの興味くらいでは入れない雰囲気を醸し出している。しかし、店の奥にあるスツールが４つばかりのカフェスペースで呑む茶は、とても美味しい。だが、亮が道楽でやっていると豪語するだけあって、このスペースは気ままに営業しまた休業する。
　いまも、店内には花と芙蓉しかいない。外の猛暑と喧噪がまったく嘘のようにひんやりと静まった席からは、一畳程度の苔むした庭が見える。
　花はもそもそと言った。
　「別に師匠に頼まれて来てるんじゃないです」
　花が彼を師匠、と呼ぶのは、文若が、ひいては彼の妻だった花の姉がそう呼んでいたからだ。甘い物が苦手なわりに日本茶に合う甘味に一家言ある亮を、姉が敬愛を込めて呼ぶので、いつか妹も習い性になった。
　「あっそ。…また文若さんと喧嘩したんだろ」
　グラスを取ろうとしていた花の指が止まる。彼女は細い声で言った。
　「喧嘩じゃ、ないです」
　「ふうん？」
　「もうずっと、わたしの将来についてはお義兄ちゃんと話し合ってるもの。喧嘩じゃないです」
　芙蓉が長い足を組んだ。スタイルのいい彼女は今日も思いきったミニのワンピースだから、白い太ももが露わになる。
　「文若さんもねばり強いから」
　「花が頑固なんだよ」
　「もうっ、亮さん、混ぜっ返さないでください」
　柳眉を逆立てた芙蓉に、亮はひらりと手を振った。
　「ふたりとも若菜さんが大好きだからね。」
　急に穏やかに言われ、芙蓉は途端に何とも言えない表情になってすとんと腰を下ろした。花はその二人を見比べ、また俯いた。
　「でも…でも、お姉ちゃんはもういないのに」
　「花ったら」
　思わず窘めた芙蓉に、花は顔を上げ、無理矢理と自分でも分かる笑みを浮かべた。
　「分かってる。お義兄ちゃんはお姉ちゃんがとても大事なの。でもそれはわたしも同じ。だからこそ、わたしはわたしの先を見ていたいの。…それだけなんだけど。お義兄ちゃんに辛そうな顔をさせるのは嫌だなあ」
　おどけて言った時、芙蓉の長い指が花の手をそっと握った。その動作に喉の奥が痛くなる。
　「花。文若さんは、花が思い通りにならないのが嫌だと言うひとではないわ。」
　そうだ、義兄はいつだってまっすぐ自分を見ようとする。だからこそ、ふたりが立つ「女」の姿が異なっていることがもどかしい。花は小さく頷いた。
　「うん、だから、考えるよ。お義兄ちゃんだって、ずっと考えているはずだもの。ちゃんと認めて貰うまで諦めない。…お義兄ちゃんが笑ってくれるまで」
　芙蓉の手が離れた。こちらを見る友人の目はとても優しく呆れていた。
　「ほんとうにあなたは花ねえ。」
　「へ？」
　「なんでもないわ。とりあえずわたしは、あなたがあの若作りで女ったらしのセンセイを選ばないことを祈る。」
　花は脱力した。
　「孟徳さんは芙蓉にだって優しいのに？」
　「だから嫌なの！　ひとりを大事にしてくれなきゃ嫌」
　「芙蓉は意外にレンアイに夢見てるよねー」
　ひょいと割り込んだ亮に、芙蓉の眉がまたきつく寄った。
　「大きなお世話です」
　「芙蓉はたくさんラブレターを貰うから、高望みなんだよね」
　花が笑って言うと、友人はねっとりと花を見た。ひとによってはきつく感じられるかもしれないが、芙蓉はいわゆる美人であり、またその面倒見のいいところから同性にも人気が高い。
　「花までそんなことを言うと、あなたを選ぶわよ？」
　「洒落になんないよ」
　亮が呆れたように呟く。だから口を挟まないでくださいっ、と怒鳴る芙蓉に、花は声を上げて笑った。
　
　
　
（続。）
（２０１１．４．２１）

[26回]