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現代版・社会人の文若さんと高校生の花ちゃんです。
自分でも、いま、上目遣いをしているなと思う。母が振り向いてちょっと可笑しそうに笑ったからだ。
「海水浴ねえ」
「うん。彩と、かなと」
「いいわねえ」
受験でしょとか、そういうことはこの母はふだんは言わない。このひとが言い出す時はその行為がよほどまずいときだけだ。
母はまた、まな板に向き直った。キャベツを千切りにする音が続く。今日の夕飯は花のリクエストでコロッケだ。コロッケと鶏の唐揚げは商店街から買ってきてあって、温めるばかりになっていた。家で揚げ物をするのを母は好まないからだが、この暑い時期、何でもいいと言うと毎日麺類にされる。確かにあっさりしたものはいいかもしれないが、そうめん・うどん・そばのローテーションは若干飽きた。
付け合わせのキャベツを母は準備している。花はポテトサラダを依頼され、いま、非常にゆっくりしたテンポでじゃがいもをつぶしている。入れるのはいつものグリンピースとハム。子どもの頃は小さく切ったりんごも入っていた気がする。夏休みになると途端に手伝わされる。
「どこに行くつもりなの?」
「うーん」
花は、いくつか候補に挙がったところを言った。本当はかなが、ある海岸にできたお洒落な海の家に行ってみたいと散々言うからだ。スマホの画面で見たカフェ風の店内は確かに居心地がよさそうだった。彩はアウトドアが苦手だから、ふたりが行くならどこでもいいと言っている。自分はと言えば、あまり人混みが凄そうなところは行きたくない。そのあたりを折り合っていくつか探してみたのだ。
「じゃあ、電車ね」
「そうだね」
母はまな板から大量の千切りキャベツをボウルに移した。母はいつも、ここでキャベツを流水に少しさらす。ビタミンが流れるんじゃない、とうろ覚えで言うが、ちょっとだからいいのよと昔から意に介さない。
「それよりも、花。あなた、高校三年生~でしょ」
高校三年生というところだけ、歌うような調子が入った。大昔の流行歌で母だってリアルタイムではないはずだが、ちょくちょく、本当は母はいくつなのだと思うようなことを織り交ぜてくる。
「そうだけど」
「高校最後の夏よね」
「うん」
「彼氏と行かないの?」
ざるにあげたキャベツの山に、これでよしというように母は頷いてこちらに背を向けずに言った。
世の中の女子高生は、こんな風に彼氏との進展をけしかけられたりするものだろうかと、遠い気持ちがかすめる。これはもちろん、照れ隠しだ。
「…誘いにくいよ」
昼間、彩とかなに言ったのと同じ台詞だ。
「喜んでくれるでしょう」
そんなのは分かっている。でもそれを断らなければならない理由も、大人には存在するだろう。断ったり断られたり、という記憶を自分たちの間になるべくなら残したくない。こんな理由を、子どもじみていると言うのだろう。
「女子高生3人に、大人1人だよ」
今度は身を返してキッチンに寄りかかった母に、あなたねえ、という表情をされた。でもそれ以上言われなかったのは有り難い。もうつぶさなくてもいい滑らかなじゃがいもを、また捏ねる羽目になる。
「そういう時に一緒に行ってくれる男子はいないの?」
「ほえ?」
「グループデートっていうんだっけ? お母さん、最近の言葉は分からないわあ」
わざとらしく嘆息した母は、時計を見た。子どもの頃から台所の壁に掛かっている時計は文字が大きいだけのシンプルなものだ。花も何となくそれを見た。
「お父さんは今日はちょっと遅くなるんだったかな。まあいいか、炊飯器のスイッチは入れていいわね」
「さあ」
「一緒に連れて行けるような男の子はいないの?」
軽く言ってくれる、と花は呆れた。
「お母さんさあ、わたしがさ、ここで瞬く間に男子を集められるような子だったら逆に心配じゃない?」
「そうね。でもねえ、花。あなたが文若さんと行きたいとして、彩ちゃんとかなちゃんが迷惑でしょう」
「いつ文若さんと一緒に行くことになったの」
「受験生の夏に二度も遠出は許さないかなあ」
「…はい」
母はにこりと笑った。これが終わったらちゃんとやるから、とか、そんな小学生じみた言い訳は言う前に潰された。
本当は、文若に会うのが少し怖い。もちろん、デートは普通にしているつもりだけど、言わなくてはならないことをずっと先延ばしにしている。そうして、先延ばしにしているということをあの人も分かっている。
「夏祭りとか花火大会とか、順調に『彼氏』との思い出を作っているでしょ。海水浴がないのは残念よ」
「わたしの思い出なんだけど」
「海水浴場までの旅費は手伝ってあげてもいいから、誰か誘いなさい。」
朗らかに言った母は、冷蔵庫を開けた。昨日の煮物は食べちゃったんだったかなと呟いている。茄子の揚げ浸しなら確かに食べきった、と花は潰したじゃがいもをのぞき込みながら思った。
「お母さん」
「なあに」
「新しい水着を買うお金は手伝ってくれないよね」
「バイトしてたでしょ。」
母は、冷蔵庫の扉の後ろから顔を出して、にこりと笑った。
(2015.5.7)
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