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現代版・文若さんと花ちゃんパラレルです。
タイトルは連番ついてますけど、時間軸が飛ぶ場合もあるかもです。ごめんなさい。
運ばれてきたコーヒーを一口飲んで、文若は頷いた。
「うまい」
実際、香りもいい。横に座っている花が、安堵した様子で肩の力を抜いた。
「良かった。」
「こんな店をよく知っている。友人か」
話題の多そうな彼女の友人を思い出し言ったが、花は首を横に振った。内緒話をするように文若に顔を寄せる。
「最近読んでる本に、喫茶店が出てくるんです。その喫茶店にモデルがあるらしいってネットで話題になってて。作者さんはノーコメントなんですけど、このお店がすごくそれらしいって、ファンのあいだではもうここだってことになってるんですよ。だから来てみたくて、調べました。」
文若は店内を見回した。表通りから一本入った路地の、それと目指して行かなければ見過ごしてしまいそうな、緑に覆われた半地下に入口がある。20席もない、やや狭い店内は窓が大きく取られて思いがけなく明るく、飴色の床やテーブルが艶やかに光っていた。二十歳代だろう、洒落たフレームの眼鏡をかけた若い店主が生真面目な顔でコーヒーを入れている。骨董が所狭しと置いてあったり、和風だったりといった目に見える特徴はないが、卓上のメニュー表は手のひらくらいの開いた本をかたどった焼き物で、品数は少ないが、そんなところも面白い。客は多くがひとりで来ているようで、本を読んだりタブレットをいじっていたりして思い思いに静かに過ごしている。店内に流れている、どこの言葉とも知れない囁くような歌声が、耳をくすぐる。
「いつもコーヒースタンドなので、こういうところもいいかなあって」
どこか遠慮がちに言う花に、文若は小さく頷いた。自分は飲み物が飲めればどんな場所でも構わないが、だからといってデートで公園のベンチばかり選ぶわけにもいかない。第一、いまの季節では花が寒いだろう。まったく、女子高生というものはなぜ寒くてもスカートを履くのか。花は今日も、兎か羊のようなふんわりしたセーターに短いフレアースカートを履いている。長い靴下とスカートの間からのぞく太股が何とはなしに、眩しい。
「静かでいい」
「良かった」
花はもういちど言って、コーヒーゼリーをひとさじ、すくった。少しかためのそれは、スプーンをわずかに跳ね返してから崩れる。生クリームの雫がゼリーの亀裂に溺れていく。
一口食べると、花は笑み崩れた。
「おいしい」
その他愛なさに思わず笑ってしまう。
「本当に別腹というのはあるんだな」
「文若さんってば、またそれを言う」
花が膨れてスプーンを握りしめる。昼に立ち寄ったスープスタンドでパンをおかわりし、おなかいっぱいですと言っていたのに、健康なことだ。花は少し唇を尖らすようにして言った。
「歩いたからいいんです。」
慌ただしく決まったデートは、小さな美術館の茶道具展を見てしまうと、彼の目的は終わった。けれどそれだけでさようならというわけにはいかないし、したくない。そのまま歩いてきた川沿いの散歩道は晩秋のたたずまいも静かで、花のおしゃべりを聞きながらだと、どこまでも歩ける気がした。彼女に会うまでは他愛がないという言葉を軽蔑さえしていたけれど、それがこんなにも心を軽くしてくれる。
今日は本当は、こんなふつうの日ではないはずだった。彼にとっては重大な関心事を花に確認するはずだった。けれど、そんな気負いはこの暖かさに霧散してしまった。いや、忘れてしまいたかったのだ。自身のこんな臆病を改めて見る思いがする。彼は花の顔を見返した。
「まあ確かに、人もだいぶ出ていたからな。わたしも少し疲れた。ショーケースにあったクルミのタルトも頼んだらどうだ。」
「それはだめです」
断固たる口調で言うのでおかしい。
「なぜ」
「ケーキは一日一個なんです。」
「そうか。あのタルトは限定品らしいが、残念だな」
「え!? そんなこと、どこに書いてありました?」
突然真剣な顔になって身を乗り出すようにして入口近くのショーケースを見るので、文若はまた笑みを深くした。
「店主の知り合いが山でクルミを採ってきたときだけ作るらしいぞ。」
「じゃあホントに限定品じゃないですか。うわ、それを知ってたらそっちにしたのに」
心底残念そうに言った花は、はっとした顔になってスプーンを置いた。
「すみません…」
肩をすくめるようにして言うので、文若は驚いた。
「どうした」
「食べ物のことばっかりで」
「別にかまわんだろう。健康でいい」
「そう…なんですかね」
何故かは分からないが、どこか落ち込んだような花を見て、文若は少し考えた。店主を呼び、タルトを注文する。すぐに運ばれてきたそれは、表面にびっしりとクルミが敷き詰められていて、木の実が強く香った。
「文若さん、珍しいですね」
花が本当に意外そうに言うので、少し座り直してフォークを取り上げる。
「疲れた時には甘いものがいいらしい」
クルミは苦みが強かったが、木の実を食べているという満足感と香ばしさがタルトの下地の甘さを相殺してくれる。もともと甘いものはそう得意ではない。文若は三分の一ほど食べたところで、皿を花のほうに少し押しやった。
「食べてみるか」
花は目を見張った。
「え…でも、文若さんが頼んだものですから」
「構わん。遠慮すると、次にいつ食べられるか分からんぞ」
冗談めかして言うと、花は重大な決意をするような目になり、ややあって頷いた。文若に頭を下げる。
「じゃあちょっと、いただきます」
花は新しく頼んだフォークを、タルトの上でちょっとためらうように止めたあと、彼が食べていたのとは反対側に突き刺した。慎重に味わうその顔がゆっくり、笑み崩れる。あどけなさが際立つその笑顔は、彼が好きな表情だった。
「ちょっと苦いけど、おいしい」
「良かったな」
花は、照れくさそうに笑った。こういうとき、あのにやけた同僚なら女子に食べさせてみたりするのだろうなと思う。自分が差し出したフォークの先のタルトをついばむ花を想像し、文若は慌ててコーヒーを飲んだ。
※※※
電車に乗ると、花は全身で息をついた。扉近くの壁にもたれかかる。遠出の時は文若の車で家に帰ることもあって、いつもはそれがとても嬉しいけど今日ばかりは電車で良かった。
夕方の電車は西日が眩しい。テーマパークのショップバックを持った子どもが眠り込んでいる。到着駅のアナウンスが間延びして聞こえる。規則的なかたん、かたんというレールの音もあいまって、力が抜けていく。
今日の美術館は、予想通りちんぷんかんぷんだった。彼はいつも通り丁寧に説明してくれたが、どこか上の空だったような気もする。よく分からない。だけど、あの喫茶店を彼が気に入ってくれて良かったと思う。コーヒーチェーンは気軽でいいけど友達とも行くし、ああいう店にこそふたりで入ってみたい。それに、あんな空間は文若の格好よさがとても引き立つ気がする。
それにしても、今日は驚いた。彼があんなことをするなんて。
今まで、何度も食事やお茶を一緒にしている。でも、ひとつの皿を分け合うなんて初めてだ。あれは間接キス、ということでいいのだろうか。食い意地が張っていると思われたらどうしようと思ったことなんて、瞬時に吹き飛んだ。
直接キスしたことだってあるのに、どうして間接キスはこんなにどきどきするんだろう。でもあれは絶対、彼は無意識だ。それに関しては確信がある。コーヒーゼリーを勧めてみればよかったのかもしれないが、動揺したまま黙々と食べてしまった。残念だったかもしれない。
当分、クルミを食べたら今日のことを思い出すだろう。友人の前ではしばらく食べないでおこう。花は目を細め、電車の揺れに身を任せた。
(2015.3.7)
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