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文若さんと花ちゃん。まだ結婚してないです。
花はその箱をそっと開けた。途端に上がった、埃と黴の匂いに派手にくしゃみする。
「風邪?」
執務室の入口から声がして、花はびっくりして振り向いた。扉にもたれた孟徳がこちらを見て心配そうな目をしている。花は肩をおろした。
「びっくりしました」
彼の表情が途端にくだけたものになる。
「びっくりさせようと思ったからね。何、それ」
「分かりません」
花はその箱を孟徳に差し出した。花の両手に乗るくらいの埃だらけの箱の中には色あせた小袋が収められていた。紅い組紐で結ばれた絹の袋といい、箱に控えめに書かれた花模様といい、どう見ても文若が持ちそうなものではない。孟徳は部屋をぐるりと見回した。あるじのいない執務室は簡の山があっても少しがらんとしている。
「どこにあったの?」
「この棚の奥です。」
花は、壁際の棚を指差した。簡が消えることがなく積まれるそこを、花はずっと作り付けだと思っていた。
「ここだけ、簡が奥まで入らないような気はしてたんです。引っ越しだし、ちょっと見てみようかなって」
役所が引っ越すというのは大事業だ。常でさえ多量だと思う簡はどこから湧いたのかと思うほど出てくるし、それとは反対に管理されていたはずの簡が所在不明になっていたり、あいまいにしてきたものが白日のもとにさらされる。そんな報告ばかり上がってくるせいで文若の眉間のしわはより深くなった気がする。
孟徳は目を細めて箱を見た。
「すごい埃だねえ」
「はい」
「それたぶん、香を入れた袋だね。もう香りはしないけど。」
ふいに孟徳がいたずらっぽい目をした。すいと顔が寄せられる。
「花ちゃん。あんまり文若のいないときにこの部屋を片付けると駄目なんじゃない?」
ひそめた声に、花は瞬きした。
「え?」
「文若が秘密にしてるものを花ちゃんが見つけちゃうかもだよね?」
花は小首をかしげた。
「えーと…触らないように言われたところには触ってないですけど…」
「個人的な、ってことだよ。」
唇の端を釣り上げるように言われて、花はやっと孟徳の言いたいことが分かった。点数の低いテスト用紙とか、キスシーンまたはそれ以上の描写がほのめかしてある漫画とかを隠しておいたのを、母親に見つけられてしまうようなことを言っているのだろうか。特に男の人が隠したいものということは…いろいろな映像が花の頭の中を駆け巡った。
「あ、えっと、その、男のひとが隠しておきたいものってことですね!?」
声が裏返ってしまったのを、孟徳が声も立てずに笑った。花は手に持っていた箱をこわごわ、机に置いて半歩、後ずさった。これも、袋の中には何か秘密が入っているのだろうか。だからあんな、棚の奥に押し込めてあったのか。孟徳の笑みが深くなった。
「そうそう。文若への恋文とかさ」
こいぶみ、と復唱する花を、孟徳は面白そうに見ている。花は箱を見下ろした。途端に箱が怖いように思える。
「…でも」
「ん?」
「文若さんなら、受け取った文をあんなところに埃だらけにしておかないと思うんです…」
あのひとは、受け取るか受け取らないかで、対応が大きく違いそうな気がする。その気がないなら受け取らないし、受け取るならきっとずっと大事にするのではないだろうか。――わたしを、引き受けようとしてくれたように。
ぽん、と頭が温かくなった。顔を上げると、孟徳の手が花の頭に乗っていた。その手は花の頭をするりと撫で、すぐに離れた。
「花ちゃんは、ほんと、文若にはもったいない」
「余計な世話です」
唸るような声が聞こえ、花は振り向いた。
「文若さん」
文若は花をいちど横目で見てから、孟徳を睨み据えた。
「官らがお探ししておりました。お戻りください」
「やだ」
簡潔な返答に、文若の肩が怒る。
「丞相」
「しょうがない、もう少し逃げるか。じゃあね、花ちゃん」
言うが早いか、消える、と言ってもいいぐらいの速さで孟徳は部屋から居なくなった。文若の肩がゆっくり下りる。今日は追いかけないようだ。花は、こわごわ、動かない彼の様子をうかがった。
「…お帰りなさい」
うむ、と彼は呟いた。彼はまだ扉を見たままだ。隙間からわずかに見える庭は草がゆっくりそよいで、白い花弁がふわと落ちた。
「花」
「はい」
「お前に見られて困るようなものなど、この部屋にはない」
「…はい」
他にどう言いようもなくて花は頷いた。文若が勢いよく振り向き、花を見据えた。怖いほど真剣だ。
「本当だ」
一言一言、念押しするように言われ、花は慌てて小刻みに頷いた。文若はなおも花の顔を見ていたが、ふっと息を吐いた。花は恐る恐る箱を差し出した。
「これが、棚の奥にあったんです、けど」
「…なんだ、それは」
「分かりません」
彼はじっと箱を見ていたが、不審そうに首を振った。
「分からん」
「そう…なんですか?」
「忘れ物だろう。処分しておく」
文若が手を差し出す。花は彼の顔と箱を見比べ、首を横に振った。
「捨てるなら、わたしが捨てておきます」
彼は僅かに不審そうな眼をしたが、頷いた。
「では、任せる。わたしはまた打ち合わせに出てくるから、そのあいだに訪れる者は用件を聞いておくように」
花が頷くと、文若はちらと笑って出て行った。足音が消えてから、花は慎重に箱の蓋を閉めた。
これは、あのひとに関わるものかそうでないかは判断できない。いずれにせよ文若は分からないと言った。忘れ物、と言ったその言葉を正しいとしよう。それに。
(ごめんなさい)
あのひとに関わるものなら思い出して欲しくない。
花は胸元で手をきつく握りしめ、箱に頭を下げると手元の布で丁寧にくるんだ。あとで火にくべよう。ごめんなさいと花はもういちど思いながら、ちょうど来た来客に笑顔を向けた。
(2015.3.1)
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