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玄徳さんと花ちゃん。まだ結婚してません。
花は上着の前を掻き合わせた。吹きさらしの回廊に出ると、僅かな風で体温が急に奪われる。早く簡を届けて、孔明の執務室に戻らなくては。でも、一面の雪の眩しさに目を奪われ、なかなか動けない。
朝、覚えのある静けさだったのでおそるおそる窓を開けてみたら、やっぱり雪だった。一度は地面がすこし見えるまで溶けたのに、またいちめん真っ白になっている。最近、温かい日が続いたせいで油断していた。さっきまで一緒にいた孔明の背はまた丸まっていたし、芙蓉は派手にくしゃみしていた。
どんなに寒くても、こんな雪景色は花にとってはまだ珍しく、つい見とれてしまう。それがたびたびなので、孔明も最近は、呑気だねえと言わなくなった。
ところどころ凍った足元に注意しながら歩いていると、扉が急に開いた。髭の長い将が、一緒に部屋を出てきた玄徳に礼をとって歩み去る。それを見送った玄徳が花に気付き、笑顔になった。
「おう、花」
「おはようございます」
頭を下げると、頷いた彼が、嬉しそうに目を細めた。
「その上着、着てくれているんだな。」
花は頬が熱くなるのを感じた。寒くなる前、玄徳から渡された上着はとても柔らかな毛織物で、ほのかな赤の色合いもぬくもりを感じてほとんど毎日、着ている。襟が高めなのも寒くなくていい。何よりこれは、恋人からの贈り物だ。
「すごくあったかくて」
「なら、良かった。芙蓉にも聞いたんだが、それで正解だったな」
からりと笑う彼に、嬉しくなる。手入れの方法を芙蓉に聞いて、大事に使おうと思う。
玄徳がふう、と大きな息を吐いて庭を見た。息が白くなって、消える。
「また積もったな」
「積もりましたね」
玄徳は中庭を指差した。
「かまくら、だったか? あれもすっかり雪の下だな。ずいぶん楽しんでいたのにな」
そこには、先日、花が調子に乗って作ったかまくらがあって、いちど温かくなった日差しに崩れたそれの上にも10センチくらいの新雪が積もっていた。花の理想とした、こんもりした丸いかまくらではなくて、裾広がりの三角山に穴をあけたようなものになってしまったが、それでも子どもたちと秘密基地ごっこのようなことをしてかなり楽しめた。花は少し考えた。
「あのかまくら、翼徳さんが入れないってむくれてたんです。また作ろうって言われたんですけど、大きいのはすっごく大変です」
彼はあごを軽くさすった。
「翼徳が入れる、となるとかなり大きくしなければならんしな」
「そうなんです。かなりですよねえ。それはわたしと子どもたちで、遊びで作るには無理です」
玄徳は妙に重々しい表情で頷いた。
「鍛練だな」
「そうですね」
「むしろ、翼徳にさせたらどうだ。」
花は玄徳を見上げた。
「そうなると、雲長さんにおやつをたっぷり用意してもらわないと、です。あれを作るのはすごく疲れます」
「時間がかかるとなると、孔明も色々言うだろうな。それに対抗する建前はなかなか難しい」
なお楽しそうに言う玄徳に、花は目を細くした。雪が積もりすぎて鍛練できないと零した孔明に、地面出し競争とかしたらどうですかと言ったら、なんだか微妙な目で見られたことを思い出す。まあ鍛練にはなるかもだけどねと言ったあとにも何か考えていた。雪があるから攻めてはこないということは、あとで思い至った。それをすぐに思いつかない自分は、なんと平和なことか。それでも、雪合戦だったら誰も死なないのに、と思う。
「まあ、とりあえず」
ぽんと玄徳の手のひらが頭に乗せられる。
「お前も、子どもに混じって本気になりすぎるなよ?」
「…そんなに、楽しそうでした?」
「ああ。かまくらつくりの軍師、というところだな」
「えー、恥ずかしいなあ」
頭を撫でていた手がするりと肩に滑り、一瞬だけ抱き寄せられる。耳元を息がかすめる。
「次は俺も誘ってくれ」
ぬくもりを感じる間もなく、彼は離れていく。
「じゃあな。寒いからじゅうぶん注意するんだぞ」
快活に笑って歩み去る背を、花は見送っていた。足音が聞こえなくなってから、花はゆっくり、自分の頬に手を当てた。温かいというより、熱い。
「…ずるい」
なんだかもう、格好良すぎる。
あんなに少しのぬくもりでは、その背を追いかけたくなる。でもそれは子どもっぽいと思う。彼の前でさんざん泣いたことがあるからなおさら、子どもの真似はしたくない。花は胸の前で手を握り合わせた。
あとで、なんでもないように――そう、遊びに来るあの子どもたちみたいに抱きついてみようか。そう、いつだって手を繋いだり抱きついたり、したい。あなたの手を、声を、笑顔を思い出すだけで嬉しく、温かくなる。
花は小さくくしゃみした。そして今度は急ぎ足で、孔明の執務室に歩き出した。
(2015.2.27)
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