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花ちゃんと息子さんたち、です。
茶を飲んでいかないかと勧めた時、何故か彼女は可笑しそうに笑った。その笑みは小さいながらも構えたところがなく、彼女にとって自分はごく親しいのだと分かる。そういう小さなことを確認している。
「どうした」
「ついこのあいだね、孟徳さんにもそう誘われたの。重なるね」
彼女の口から出る父の名は、いっそ懐かしげに聞こえた。いつもそうだ。常に自分たちは比較される。圧倒的で、厄介で、しかしそのひとなくしてはいられない自分。そう思いながら、この間から敬語が取れた彼女の口調に安堵する。
「子桓くんがお茶を淹れてくれるの?」
「いや、俺じゃない」
うちの侍女に、特に茶をいれるのが上手な娘がいる。出過ぎたところのない侍女で、父の息がかかっているということ以外はよくできた女だ(最も、父が寄越したというところは巧妙に伏せられてはいたが)。その彼女に給仕をさせ、息抜きをしようと思っただけなのだ。
しかし、花は何か思いついた様子で目を大きくした。
「まさか文若さん!?」
その口から出た名前が意外すぎて、こちらが驚く。
「それこそ、まさかだ。…おい、もしかして父上に誘われた時は文若の茶を飲んだのか」
「そうだよ。おいしかったよ!」
その時のことを思い出したのだろう、ぽうっと頬を上気させた花に、力が抜ける。文若の趣味が茶だということは広く知られていて、時には賄賂じみて献上されたりもしているようだ。彼はその趣味をひけらかさないが凝り性だから、理屈っぽい分析が背後にあることは容易に想像がつく。その彼の茶を飲んだあとでは、いくらあの侍女がいれるものでも負けるだろう。茶を飲ませるのが目的でないにしろ、自分のところで飲んだ茶が今一つだったなどと思われては心外だ。
「あの男の茶と比べられるんじゃ、いま誘ったのは失敗だったな。日を改めよう」
苦笑して手を振り、身を返す。途端に、ぐいと袖を引かれた。花は慌てた、しかし真剣な様子でこちらを見上げている。
「ごめんなさい、そうじゃないよ、子桓くん。文若さんも、お茶はいれかたごとに味があるものだ、みたいなことを言ってた気がするから、子桓くんの淹れたお茶も飲んでみたい」
「いや、だから、俺は…」
俺がいれるのではない、ときっぱり言えない。
「そこは、では俺の茶を味わえ、と兄上らしく言わなくては」
軽やかに、花と子桓のあいだに子建が割って入った。どこで見張っていたのだ、と思う。だいたい、兄上らしくとはどういう意味だ。この自分が、押しつけがましく見下すような物言いをするということか。その必要があれば危ういまでにきっぱりと他人を切り捨てていく男のくせに。
「子建くん」
「お久しぶりです花殿。近頃は簡を届けてくださっても入れ違いでお会いできなくて寂しいばかりでした」
彼女の手を取って滑らかに語りかける子建の背を蹴り飛ばしてやりたい衝動にかられたその瞬間、彼が振り向いた。彼女に向けた笑みは欠片もなく、しれっとした様子だ。
「兄上は茶葉と菓子を提供してください。わたしが淹れます」
こういう、厚かましさが勝てないと思う。花は弟を覗き込むようにした。
「子建くんも休憩?」
「この機会を逃しては、いつあなたと茶ができるか!」
「大げさだなあ、いつでも誘ってよ」
ころころ笑う花は、子建と、まるで親子のように手をつないで歩き出した。迷いない足取りだ。ふたりに先導されるように、用意しておいた東屋に到着すると、待たせておいた侍女が少しだけ目を見張って膝をついた。子建が来るとは言っていないから、驚いたのだろう。しかし、行く先を告げてもいないのに、子建はなぜここだと分かったのか。本当に油断がならない。
侍女に湯をもってくるように言って、花を振り返った。
「ここは来たことがあったか?」
花は微笑って首を横に振った。
「ううん、ない。かわいい東屋だね。池が見える」
卓の上を点検している子建は、用意してあった茶葉と菓子が意に適ったらしく満足そうにうなずいた。そうして東屋の入口から向こうの庭を見ている花を物柔らかに座らせた。
かわいい東屋、というのは、どういう意味だろう。みすぼらしいとか取るに足らないとか、そういう意味を含むだろうか。実際、父が彼女を連れて行くような東屋は凝った意匠と派手な造作で人目を引くのだろう。思い当たる場所はいくつかある。
ここは確かに、柱は剥げているところもあるし、天井近くに描かれた鳥は線が薄くなって青か灰色か分からない。だが、池の魚が跳ねる音が時折聞こえるだけのここは、自分が好きな場所だった。
そこまで考え、子建がここに迷いなく来た意味が分かった。兄弟というのは、意外に隠し事ができない。
「子桓くん、すごいたくさんお菓子があるね。これって、干しブドウ?」
花が嬉しそうに小さな実を見つめた。
「よく知っているな」
「子どもの頃ね、大好きだったんだけど、子どもはたくさん食べちゃいけないって言われてね。いつもそういう時は、大人になったらたくさん食べてやろうと思うんだけど、いざ大人になるとどうでもよくなるよね」
照れたように彼女が笑う。
――大人になれば。
子どもの頃、大人になれば父のようになれると思っていた。父というのはただ圧倒的で眩しかった。彼女の様な他愛ないものはあったろうか。
侍女がもってきた湯を受け取る。彼女の淹れる茶もうまいのだが、仕方ない。子建はにこやかに、流れるような動作で茶を用意して、彼女の前に置いた。笑顔で礼を言った花は、ひとくち飲んで少し目を見張った。
「ずいぶんさわやかな味だね。」
「珍しい茶ですよ。よかったら、少し持って行かれますか」
お前の茶葉じゃないだろうと言いかけるが、口をつぐむ。花が目を輝かせてこちらを見たからだ。
「いいの?」
「…ああ」
「ありがとう! 芙蓉姫にも飲ませてあげたい」
いつもきつい目でこちらを見る姫将軍の顔が脳裏をよぎり、つい渋面になった。まるで父に対する姿勢と同じだ。そこまで思い、ずっと聞けなかったことを口にする。
「お前はどうして蜀にいるんだ?」
花はどこか、困った顔になった。
「最初にお世話になったのが師匠だったし、玄徳さんだったから。」
それは、噂と同じ内容だった。そして父が常々残念がる言葉とも一緒だった。ただ、珍しいことに、あの父がそれ以上、知らぬようだった。だから父は、飽くなき努力で彼女を欲しがるのだろう。彼女を得られるなら自分と子建の母を離別してもよいと言ったくらいに…
「わたしのところだったら、きっとわたしの第一の方として扱ったのに」
口先ばかりではない悔しさをにじませて、子建は彼女の前に焼き菓子の皿を置いた。花はありがとう、と礼を言って、北の材料を西の味付けで焼かせた菓子を警戒なく口に運び、美味しいと目を輝かせた。その素朴な表現と大げさでない反応は、彼女がうまいものを食べ慣れている感じを抱かせた。やっと国を持ったばかりの玄徳と一緒にいて、そう珍しいものなど食べられたはずがないのに、彼女は良いものを自然に食べつけている感じがする。…彼女を見ていると、そういうことがいちいち気になる。
「俺が最初にお前に会っていたら、どうだったろうな」
ふと口をついて出た言葉に、花がゆっくり瞬きして目を伏せた。冗談だと、そんなことを今更言っても仕方ないと笑いに紛らすにはひどく神妙な顔で、その、有りもしない可能性を真剣に考えているのだろう彼女がとても美しいと思えた。
顔を上げた花は、やはり真剣な表情をしていた。
「わたし、子桓くんのことを知らない」
「知っているだろう、あの父の息子だ」
「そうじゃなくて」
彼女は大きく首を振った。
「わたし、いまの子桓くんの質問に答えられるほど、子桓くんが今までどうしていたのかを知らない…」
その口調が、見過ごしてはならないものを見落としていたというような恐怖さえ漂っていて、かえって驚く。
「お前にとっては、あの父の息子だというほうが先行しただろうしな。お前の師匠や姫将軍もそういっていたろう」
花はこちらを見返しながら、ゆっくりと瞬きした。
「わたしには、いろんな人が会いに来ようとするの」
そうでしょうね、と子建が呟いた。帝の覚えめでたき姫軍師となれば、それこそ、絵に描いたような有象無象が多かろう。
「師匠は、あれは見習の身、そういう者に会っても仕方ありますまいと言って、そういうひとたちをていよくあしらってくれているみたい。でも、会いに来たひとたちのことは教えてくれる。官職や生業、いったいそんなこといつ覚えたのかってくらい、そのひとの性格以外、教えてくれる。あと五年経ってもまだ君に会いたいというひとがいたら、その時には会うかどうかキミが判断しなさいと言うの。きっとそれはわたしに対する猶予なのね。でも、子桓くんや子建くんは…」
「あなたは、茂みから転がり落ちてきましたからね」
子建が微笑んで言うと、花は顔を赤くした。
「あれは、あなたから会いにきてくれた、というところでしょうか」
「また子建くんはそういう言い方をする…」
花は母のように苦笑したが、すぐに表情を引き締めた。
「そうだね、子建くんのいうことも一理あるよね。…わたしが、会ったんだから」
彼女は居住まいを正した。
「じゃあ、子桓くんの趣味は?」
子建が彼女の後ろであっけにとられたような表情になったが、すぐに小さく笑い出した。花が慌てて振り返る。
「何かおかしなこと言った?」
「言っておりませんよ」
「言っていない」
声が重なった。俺は、彼女を見、笑った。お前はほんとうに、手ごわい。お前が求めるのは説明するのに慣れた官職、禄高、邸の規模、出自ではない。
「あの父にも、そんなふうだったのか?」
花は、不思議そうに首をかしげた。
「なんのこと?」
そうだ、家柄でなく身分でなく、趣味から聞き出そうとする姫軍師が、父を気にするはずがなかった。俺は唸った。
「趣味か…改まって聞かれると困るものだな」
「兄上は仕事と鍛錬でしょう」
つっけんどんに子建が言った。
「悪いか」
「事実を述べたまでです」
「もう、子建くんってば茶々いれないで。」
「お前の趣味はなんだ? 花」
彼女は、不満そうに眉をひそめた。文若と同じ仕草なのに、眉間のしわが恐くない。
「わたしが聞いてるのに」
「悪い」
一息に飲んだ茶は、やけに清々しく苦かった。
(続。)
(2014.9.12)
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