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孟徳さんと花ちゃん…ですが、文若さんばっかりです。
「おもいでがえし」に、ばっちり対応しています。「帰るかりがね」となんとなく対です。
文若はしばらく行って足を止め、振り返った。
さっきすれ違った侍女がふたり、頭を寄せ合って何か話しながら歩いていく。どちらも少し前から見かける娘だが、直接、口をきいたことはない。噂話でもしているのか、ちらと見えた横顔は年相応に明るかった。結い上げた髪に、白い石の嵌った髪飾りをひとつ、している。ずいぶん古臭い意匠のそれは、母から譲られたものかもしれない。明るい色の裳裾を、花の香りがする風が揺らしている。
あるじが変わって、もう一年が過ぎた。侍女の顔ぶれも職場の雰囲気も変わった。あとをついだその息子は、可愛いは正義とかいうまったく意味不明な言葉を吐いて悦に入っていた先のあるじとは違い、常に女を着飾らせて楽しむ趣味はなく、文若からしてみれば過度と感じられるほど着飾る侍女は減った。これはずいぶん好もしい変化だ。侍女たちの装いが目に落ち着いたころ宮の沈鬱さも薄れ、いまのあるじの色になってきたように思う。
改めてそう思えるようになったのも、ついこのあいだだ。
良くも悪くも自分の命を握っていたように思うあるじが、彼の思いに比べれば唐突に亡くなってからは、何をしていても他人事のような気がしてならなかった。なぜ自分はここにいるのか、なにをしているのか、手も口も休みなく動いて指示を出しているのに、どこかぼんやりとしている自分がいる。そういう、何かおかしなずれが、近ごろやっと薄れてきた。
なぜ足を止めたのかと自問して、すぐに思いついた。あの娘に似ている。
あのぐらいの年齢なら、この宮に大勢いる。ことさらあの侍女に目が留まったのは、大きな目や頬のまろやかな線、裾を少し跳ね上げるような、淑やかさより元気よさのほうが目立つ歩き方のせいだろう。大変な経歴と騒動をもってあるじのかたわらに収まった、あの娘。傾国と言われる女は数知れずいるだろうが、軍師と呼ばれた経歴をもつ権力者の妻は、これから先も珍しいに違いない。
彼女はいま、どうしているか。
彼女の故郷が、そう易々と帰り着ける場所でないことは、ぼんやりと知っている。この世の広さを知る文若でさえそれは机上のものであって、海を航海したこともなければ夏でも雪の残る山を越えたこともない。ただ、世の民よりは知っているというだけだ。その知識をもってしても、まるで理解できぬ娘だった。ただおかしいというだけの人ならたくさんいるが、彼女は彼女の世界に説得力をもって根付いていた。そういうものだと受け入れるまではずいぶんかかったものだ。
いつの間にか、侍女たちは角を曲がって姿を消していた。そうして、その侍女が見えなくなってしまえばどこが似ていたのか、あやうくなる。そうだ、あの娘は誰にも似ていない。その生い立ちゆえに、こちらの娘が似ることを許さないのだろう。
――ついに、あの娘の世界に行けなかった。物理的な意味ではない。あの娘の見ていたものは、ついに知りえなかった。
文若さん文若さんと、あの娘は明るい声でよく呼びにきた。あるじが苦虫を千匹くらい噛み殺したような顔をしていても、あとで腹いせに酔い潰されようと、あの娘は大小の騒動をこの身に振りかけてきた。中にはまったくのとばっちりもあったが、厳に戒めるべき無知もあった。恋とか愛とかいうだけで何か許されたような気になっている世の娘たちと同じ心をもっているかと思えば、沈んだ眼差しであるじに軍略を説いたころの様な明晰さをもってこちらを追い詰めることもあった。
己の教えたことは、いまあの娘の立つ瀬になっているのだろうか。
文若はうすく苦笑して、身を返した。あの娘のことだ、ひとりで何とかやっているだろう。こちらの心配など軽く飛び越え、悲嘆に潰されず暮らしているに違いない。不思議なことに、あの娘がほかの男に添う絵は思いつかない。死してなお想像すら拒むかつてのあるじを思い、彼は笑みを深くした。
(2014.9.1)
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