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花はそうっと寝所の戸をしめた。廊下で待っていた息子が、ぐいと唇を引き結んで花を見上げる。それに笑いかけ、肩に手をまわした。
「…父様は?」
花の答えは分かっているとでも言いたげなふてくされた声に、花は息子の肩においた手に少しばかり力を入れた。
「妹と一緒にお昼寝しているみたい。お疲れなのね。起こすのはやめましょう」
息子がおもしろくなさそうに目を細めて唇を尖らす。その顔は夫によく似ている。
「約束したのに」
不満そうに息子が俯く。
「お休みには剣の相手をしてくれるはずなのに…」
「そうだったの?」
「うん。…どうせ父様は妹のことばっかりなんだ」
花は瞬きした。すっかり足を止めてしまった息子の前にかがみこむ。息子はこちらを見ない。
「このあいだも、妹が勝手についてこようとして転んだのにぼくが怒られた。妹がぼくの稽古用の剣を黙って持ち出した時だって、ぼくがちゃんとしまってないからだって怒られた。父様は妹ばっかり同じ馬に乗せるし、妹が琵琶を聞きたいと言うとすぐ弾くんだ。」
息子はけんめいに泣くまいとしているようだ。
「あの」都督の子として良くも悪くも注目されているわが子たちだが、息子のほうにより大きな、花にしてみれば余計な期待を衆目は掛けてくれる。掛けてくれやがる、と言いたいところだが、そう言ったら夫は仕方ありませんと言うだろうし、侍女たちもこんな年齢から、未来の家督を継ぐ者として少年を扱う。
公瑾は、息子が赤子の頃は花があきれるほどかまっていたが、学問や剣術は己がかかわりすぎてもよくないと言い出してなるべく息子から距離を置くようにしている。そんなことをしても有能すぎる父はじゅうぶん重い存在だ。まあ公瑾の言い分は、八割方、おのれに言い聞かせていることなのだが、父だけしかいない世界よりはさまざまな師のいる世界のほうがいいと、花も笑顔で肯った。
花は息子を抱きしめた。
「母様もきっとよく怒っておくからね?」
息子の気配はまだ湿っぽい。
あのひとも忘れているわけではないとか、きっと次のお休みにはと言っても、いまの息子には何のちからもない。自分が子どものときに言われた、そういうその場しのぎはよく覚えている。ここで父の肩ばかり持っても、息子は拗ねるばかりか、いつまでも負い目に感じかねない。息子だからとわざときつく当たろうとする夫を見ていると大変だなとも思うから、圧倒的にどちらかの味方でいることができない。
(…駄目だなあ)
「じゃあ、母様と一緒に孫子を読もっか。」
優しく言うと、息子は俯いたままだったが小さく頷いた。その頭をなでる。
「そうだ、今度、お勉強がお休みの日に、母様と出かけようよ。」
息子がちろりと目を上げた。
「…どこに?」
「そうだなあ…大きな船が着く船着き場とか、どうかな? お昼ご飯を持って出かけるの。特に大きな船が着く日があるって聞いたと思うし。珍しいものを買って帰ってくるのよ。南の果物は好きだったでしょ? 大きな市が立つ日でもいいね。」
「母様と、ふたりで?」
「うん。」
息子はやっと、ちょっとだけ笑った。それに力を得て、伸ばされた手を握る。
「お昼ご飯には、お前の好きなものを入れようか。何がいい?」
「栗。…栗とお肉をいれたご飯が、いい」
「分かった。じゃ、父様には内緒だよ」
内緒、と息子は言って今度は大きく頷いた。歩き出す歩調はさっきよりずっとしっかりしている。
「母様、でもね」
「ん?」
「父様はきっとどこかから内緒も聞きつけて、母様ひとりで出歩いちゃだめって言うよ」
花は思わず破顔した。子さえそんな気を回すのだから、公瑾がどれだけ口にしているか分かるというものだ。そして、父の用意周到ささえ子の身に染みているのだから。花はまた身をかがめて息子を抱きしめた。
「お前が付いてるから大丈夫!」
息子は、なんとも言いようのない顔をして花を見た。そんな顔も夫に似ていて、彼女は内心で首をすくめた。
(2012.12.12)
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