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戸締りを確認した子龍が寝床にもぐりこむと、待ちかねたように花が身を寄せてきた。巣穴の熊みたいだと思う。暑い時期はくっついて寝ることに恥ずかしがっていたようだったのに、寒くなってからはすっかりこの体勢で寝るようになった。彼女と近くで寝ることは好きだが、どうにも困る時もある。こうも寒がっている花を前にしては色々なことをしづらい。
花は子龍にくっつくとえへへ、と笑った。
「今日も寒いね」
「この雪で冬も終わると聞いたが」
「本当!? ああ、そうだったらうれしい」
花はさっき薬をぬっていた手をすり合わせた。奇妙な匂いのするそれはあかぎれやひびにとても効き目があるそうで、城下で飛ぶように売れているのだという。似ているけれどあまり効かない薬もあるそうで、ああいうのは本当に困ると、花は珍しくひどく怒っていた。
「この時期にこんなに降るのは珍しいんだって、って、桂ちゃんが言ってた」
それは、隣家の少々ませた少女の名だ。子龍くんが大好きなんだよと花が笑っていた。実際、休日に花とふたりで家事をしていると塀の向こうから小さい頭がのぞいている時がある。親の話から自分の存在をふくらませて考えているだけだと思うが、好きなあまり、誇るあまりに面倒なことにならなければいいと思う、小さな懸念のひとつだ。子どもは色々なことを見ているものだ。
「桂ちゃんはね、こんなに雪が降るちょっと前に、お母さんにすごく怒られてたの。あとから聞いたら、ちゃんと片付けしないで遊びに行ってしまって、さらに帰りが遅かったのね。とっても怒られて夕ごはん抜きになって、この家に来たのよ。おねえちゃんの子どもにして、おねえちゃんなら怒らないでしょって。困っちゃった」
花が首をすくめるようにして笑う。子龍も苦笑した。
「子どもだな」
「そうなの。すぐにお母さんが来て襟首つかんで連れて行ったけどね。しばらく外に遊びに出してもらえなかったみたい。いわゆる謹慎、だよね。それが解けたら桂ちゃんね、さっそくうちに来て、早く大人になって好きなだけ遊びに行くんだって言うんだよ。」
子龍もつられて笑ってしまった。くすくす笑いつづけていた花は、ふいと遠い目をした。
「お母さんってすごいよね? これが駄目、あれがいけないって、いちばんの基本がお母さんとお父さんでしょ? 」
「そればかりでもないだろうが…まっ先に思いつくことだ」
「うんうん。それってなんだか、こわいね」
子龍はゆっくり瞬きした。己でも、顔がこわばっているなと思う。花の肩をつかむと、きょとんとした彼女の顔が瞬く間に赤くなった。
「違う違う、あの、わたしがおかあさんになった訳じゃないの、ごめんなさい、っていうか、その、何を謝るのかわからないけど」
「…こちらこそ、すまない」
「ううん」
花はしきりに自分の頬をさすっている。その手をつかんで撫でた。
風が屋根で大きな音をたてた。花が反射的に身をすくませて天井を見る。じきに唸る音は遠くなった。彼女の全身から力が抜ける。
「屋根、飛んじゃわない?」
子どものような不安に微笑が浮かんだ。
「これくらいなら平気だ」
「冬が来る前に屋根やさんが直してくれたんだっけ。」
子龍は花のつま先に足を絡めて抱き寄せた。花が彼の胸に顔を埋める。
「春、忘れちゃいそうだよ」
呟きはまだ幼くて、子龍はわずかに息を止めた。
花と彼の職場は同じようでいて離れている。だから、会おうと思って約束しないと出会うことはほとんどない。ただたまに、回廊でぼんやり外を見ている花を見かけることがある。簡をくるんだ布を両手に抱えどこかを見ている眼差しはさびしげに見える。そういうところに出くわしたとき、子龍は声をかけられない。彼女があまりに遠い場所にいるような気がする。
いまも彼女はそんな表情をしているだろうか。子龍は彼女のつむじに唇を寄せた。
「もし、通りかかることがあったら南の庭のいちばん隅に植えてある木を見てみるといい。あの根元に、春先に食べる草がよく出るそうだ。雪の下でもきちんと育っているらしい。料理人が雪を掘っていた。」
花が少し笑ったようだった。
「…そっか」
「春になったら何がしたい?」
彼女は顔をあげて小首をかしげた。
「春に、なったら…?」
「ああ。」
花は夢見るような目で何か考えていたが、照れくさそうに笑った。
「すごいちっちゃいことたくさん思いつくなあ」
「小さいこと?」
「うん。とりあえずね、いま家の窓をふさいでる板を全部はずすの。そうして、部屋じゅうにいい匂いのする花を飾るよ。それから子龍くんとかわたしの冬の服を一斉に洗濯してどーんと干すの。師匠の仕事部屋も窓を開け放って掃除する! それはもう絶対する。明けると寒い寒いってうるさいんだもん、師匠。それからお城の庭でみんなでお茶会したいな! 冬のあいだに雲長さんや芙蓉姫に教わった料理を玄徳さん…えっと、玄徳さまや翼徳さんに食べてほしい。」
子龍は目を細めた。
「楽しそうだ」
「だよね! ああ、早く春にならないかな!」
…我々はすっかり大きくなったと、子龍でさえ思う。小さい集団だったころのように、茶会など催せる時間があるかわからない。孔明のかたわらで仕事をする花もよくよく分かっているだろう。でも、それを望みとして彼女が口に出せるうちはこの行く先も、めぐる春も良い光が照るように思う。
「洗濯と干すのは手伝うから」
自分は、こうもありきたりのことしか言えないけれども。
「ありがとう!」
花は笑って、その笑みがにじんだ顔のまま目を閉じた。子龍は上衣を引っ張り、目を閉じた。花の描く春が肩の辺りに憩っているように思えた。
(2012.10.16)
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