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リクエスト返礼シリーズの四です。
オリキャラが出張っております。
四、
あ、と花さまが言い、わたしを含めた侍女たちは一斉に顔を上げた。
晴れの日、のんびりした午後。花さまが願って、わたしたちは刺繍をしている。
花さまは少々、変わっている。これは花さまがご自分でよくおっしゃるので、わたしたちが言い出したことではないけれど、確かに変わっていらっしゃる。少々どころではない。
まず、その衣、髪。その経歴。立ち居振る舞い。ことば。
そして何より、丞相からの愛され方。
丞相があれほどのめり込むように愛しているのを、わたしたちはまだ知らない。だから空恐ろしくさえある。けれど花さまはいつも朗らかに新鮮に、丞相が囁く率直な言葉に頬を染め、時には恥ずかしさが過ぎて怒ったりしている。
「どうなさいました」
「針で指をつついちゃった…慣れないことはするものじゃないですね」
目尻を下げて困ったように微笑む表情は、深窓の姫君にはないものだ。
花さまは、本来は文若殿の下で文官のようなことをなさっておいでだった。しかし、婚儀が迫ってからの丞相は、花さまに懇願してそのお役目を退かせた。それはまさに「懇願」で、花さまが苦笑して頷かなければ実力行使に出ていたかもしれない。花さまは未だお考えが及ばぬことかもしれないが、丞相の夫人になるということは、国の胎になる可能性のある存在だということだ。
「まあ」
「花さま、急いでお手当を」
侍女たちが一斉に立ち上がる。わたしは薬師を呼ぶように言った。その袖を、花さまが捉えた。
「大丈夫です、なめておけば治りますよ」
「いけません。そのお手に傷が付いたら、丞相が悲しまれます」
丞相の名を出すと、花さまは俯いた。
「…暗殺とか、また、考えてしまうでしょうか。孟徳さんは」
わたしは言い含めるように声を低めた。
「花さま。もちろん、わたしたちが付いております。花さまの御身に危険が及ぶようなことはいたしません。御身に触れる物はすべて調べてございますよ」
型どおりの言葉に花さまは顔を上げて微笑んだ。それはとても強い、優しい笑みだった。
「ありがとうございます。…でもわたしも、みんなに危険が及ぶようなことはしたくないです」
「花さま、わたしたちのことはどうぞお気遣いなさらず。丞相も、さように申し上げたはずでございますが」
「駄目です」
花さまは、強く首を振った。
「もう、わたしのことで人が死ぬのはたくさんです」
目の前にその景色がよぎったかのように、花さまは顔色を若干青ざめさせた。ああそうだ、この方は軍師だったのだとわたしは今更に思った。…ひとの死を、利用する側だ。
「ね、だから、内緒にしてください」
「…花さまは」
「はい?」
「今でも、文若殿のお手伝いにお戻りになりたいと思っていらっしゃるのですか?」
花さまは目をぱちくりさせた。それから、ほうっと笑った。
「思っています」
「丞相が、お許しになりますまい」
「そうですね、今は」
「今は?」
「はい。でもきっといずれ、孟徳さんは分かってくれます。ううん、もう分かっているのかも、わたしがじっとしている性格じゃないって…だからあんなに言って、いまは辞めさせたんじゃないでしょうか。それにわたしもきっとこの身分に慣れたら、いろいろ見えてくるんじゃないかな。孟徳さんに甘えていいことと、いけないことが。今はただ振り回されてるだけだけど…孟徳さんも、分かってくれます」
静かな確信に満ちた声だった。見かけ通りの幼さと、それを裏切るしっかりとした目。なぜこんな声が出せる? なぜこんなことが言える?
丞相に恋する女性なら、たくさん見てきた。でも誰一人として、こんなことを言った女性はいなかった。…わたしのお姫さまでさえ。
この方は、どこに行こうとしているのだろう。
「花さま。やはり、お手を治療いたしましょう」
「えー」
「丞相に申し上げてもよろしいですか?」
わたしが微笑むと、花さまは引きつりながら頷いた。ちょうど薬師を連れて戻ってきた侍女にあとを任せる。
壁際に居る侍女と目が合う。そのひとはわたしをじっと、見ていた。
…わたしと同じ境遇にある侍女。旧いあるじを失って、いまここに召されている。
自身の仕える姫が丞相に召し出され、そのまま宮中へと上がった。姫は此度のことで妾の役目を解かれ、実家へと戻された。侍女はそのまま残された。
実家へ戻された「妾」に何の役目があるだろう。
丞相の妾であったという好奇のもとに求婚に来る男、そういう娘をどう扱っていいかわからずにひたすら傅く父とひたすら労る母、そういうものに取り囲まれ、朽ちていくのだ。
あまりにも誠実で、不実な丞相。
姫は、ことあるごとにそう言っていた。歌うように、哀れむように、けれど泣くことはなく。
わたしにはそれが分からない。丞相の誠実とは何だろう。
ただわたしに分かるのは、この幼い娘が現れたために、わたしの姫が役目を失ったということだ。わたしの目には、ただひとりの娘への愛を示すためにあまた居る妾を解雇する程度の誠実しか見えない。
わたしは、姫を通じて丞相の寵を受けたかっただけなのかもしれない。あの鮮やかに紅いひと、血の海を屍の山を、まるで散歩に行くような足取りで越えていくあのひとに、姫と同じように魅せられていただけかもしれない。
ならばわたしはいま、怒っているのだ。
(…あなたは、怒っていないの)
つかの間、目があった彼女に問う。
(あなただって同じでしょう。あるじの姫から引き離され、新しい寵愛の女の下に仕えさせられる。それがどれほど残酷か。いま自分のかつてのあるじが、どんな気持ちでいるか日夜考えるでしょう?)
相手の瞳は礼儀正しいまでに静かだ。
(あなたはどうなの)
わたしは繰り返し問いながら、手はきびきびと動いて薬師の手伝いをしている。
いま、このちいさな手に毒を塗り込めば。
いま、この白いうなじに針を沈めれば。
(…ではそれを、丞相が気づいていないとでも言うの。)
そう呟いたのが彼女なのか、自分なのか分からなかった。
幕間
「…こちらに」
「ああ、分かった」
「では、わたしはこれで」
「待て。これで、お前はこちら側と考えて良いのだな。」
「はい。」
「分かった。」
「…ひとつ、よろしゅうございますか」
「なんだ」
「なぜ丞相は、あの方に此度のことをお知らせにならぬのですか。」
「それは、丞相のお気持ちだ。我々が忖度することではない」
「あの方はお見かけより器量が深うございます。それはあなたさまとてお分かりでございましょう」
「…他言するな」
「はい」
「丞相のお気持ちが、かの方に追いついておられぬ。進言はしたが、受け入れられるのは先であろう。この先は、かの方を動かすほうが得策やも知れぬ。」
「…分かりました。ではわたしはこれで」
「ああ」
(つづく。)
(2010.6.1)
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