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リクエスト返礼シリーズ、孟徳さんと花ちゃんの「五」です。
今回もオリキャラがおります。
五、
かたりと音がして、顔を上げる。花さまの寝所の灯が消え、丞相が出てきた。
月は細く、ほとんど闇夜だ。遠くの回廊を、歩哨の掲げる火が揺れながら通り過ぎる。それでも、闇に慣れたこの目にはよく見える。
丞相の行く先、回廊の曲がり角に侍女がひとり、立っていた。丞相の姿に驚くでもなく、膝をつく。
その女は、細い首を見せたまま黙っている。丞相は息をついた。呆れたようにも聞こえた。
「直答を許す。…何をしている」
「ご成敗に預かりたくお待ちしておりました」
「罪を犯したなら、相応の官へ行け」
わたしは心で笑った。丞相は、心にもないことを言うのがお上手だ。なぜわたしと彼女をあの可愛らしい方の侍女に取り立てたのか、分からぬわたしたちではない。あまりにもあけすけなその手段は、此度のことが丞相のお気晴らしに過ぎぬことをよく物語っている。
わたしが思ううち、わたしの背後に立っていた文若どのが苛立たしげに追い抜いていった。
「それでは、見せしめになりませぬ」
低い、しかしよく通る声だ。丞相は何も言わない。賽香が続けて言った。
「見せしめゆえの、花さまのお付きと心得ます」
「うるさい」
丞相が鋭く言った。
「彼女の名を呼ぶな。お前が呼ぶと彼女が汚れる」
賽香がうやうやしく頭を垂れた。丞相は頭をかるく振り、手から小さな白い薬包を落とす。今日の昼、わたしが彼女の袂と手荷物から抜いて文若どのに渡したものだ。賽香がそれを見て、目を閉じる。
「なぜすぐにこれを使わなかった」
何も言わない彼女の声に、ふん、と丞相は鼻を鳴らした。
「叔玉」
名を呼ばれ、わたしは回廊に進み出た。賽香がわたしを振り向く。いつも、もの問いたげな色をしている目だ。この闇夜で、わたしに何を見ているだろう。
「お前か、叔玉。どちらかと思っていた。」
丞相が淡々と言う。賽香は軽く笑ったようだ。わたしは賽香と並んで小腰をかがめた。
思えば、花さま付きになることを告げられた時も賽香と並んでいた。侍女としての年数も、場数もほとんど同じ彼女のことは、あの館に自分たちの姫が入った時から知っている。
「お前はなぜ、あの子を殺さなかった」
わたしは、目を閉じた。
なぜと問いたいのはわたしだ。
賽香。あなたはなぜ、こんな分かりやすい手に乗ったの?
わたしの姫は、館を出るようにと言われた時に丞相の命を狙って果てた。他の姫たちにその有様が知られぬよう、わたしの姫の遺骸は夜明け前に館を出された。最後に丞相に戦いを挑んで負けた、その口惜しげな末期の表情を醜いと感じた時に、わたしの、姫に対する忠義は終わった。
そうして与えられた新しいあるじは、誰にも似ていなかった。
(でもきっといずれ、孟徳さんは分かってくれます)
…孟徳さん、と呼ぶ声は、あの館に居た誰とも違う。
あどけない郷愁を誘う微笑み。失ったものを見いだすような明るい瞳。手段でない温もりを持つ小さな手。
「あの方が、どの姫もおいでになれなかった場所に丞相とともに行こうとなさっておいでだからです。」
せいぜい、凛と言えただろうか。賽香が微笑んだ気がした。
「やはり、叔玉どのはわたしと違う」
「お前のその気持ちはなんだ? 忠義なのか?」
丞相が、どうでもいいというように聞く。賽香はたおやかに首を傾げ、笑った。
「存じません」
それは、明らかに嘘だろうと思った。
丞相は庭へ目を向けた。花さまが今日の昼、叔玉さんの簪みたいな花が咲きましたねと笑顔で告げた白い花の咲き乱れる庭だ。
「お前の姫は、三日前に縊れて死んだよ。」
賽香の表情が初めて凍った。
…そうか、あの姫さまは亡くなったのか。口数の少ない、少し陰のある美貌を思い出す。
「それにあの実直な父親はずいぶん怒って、俺への恨みと天女を殺すための文を貴族どもに回そうとした。可笑しいじゃないか、お前の姫はいつも粛々と泣くばかりだったのに、この期に及んでずいぶんと勇ましい」
丞相はうたうように続けた。
「だから、白い人影が月から降り、その屋敷に火を放った。この天気だ、よく燃える。」
「…天女を殺そうとする者への、裁きの火でございますか」
「そうだ。」
丞相は目を眇めて夜を仰いだ。そのようなものがこの闇空に在ることを、誰よりも信じておいでではない丞相だ。どこを見ているのだろうか。
「では、なおさら戻る場所もございません。」
丞相があごをしゃくる。ざらざらと兵士が回廊に溢れ、賽香は腕を取られた。
「叔玉どの」
呼ばれて、わたしは顔を上げた。
「あなたは、満足ですか。」
(満足?)
…奇妙なことを聞く。
わたしの新しい、幼いあるじが丞相をどこに連れて行くのか、その末を見届けるまでわたしの命はあるだろうかと、心配はそれだけだ。
「わたしの満足は、花さまがご存じでございましょう。」
わたしの返答に賽香が疲れたように微笑んだ。その体を、兵が乱暴に引き立てていく。姿がすっかり見えなくなってから、丞相が大きくのびをして、文若どのも息をついた。
「ずいぶんお粗末な芝居につきあわされたな、叔玉。文若も」
「本当ですね。」
文若どのの素っ気ない声に、わたしは笑い出しそうになった。この方は本当に変わらない。
「とんでもない」
わたしは本当に笑って、怪訝そうな文若どのを見返した。
「面白うございましたわ。」
「…理解できない」
「さようでございましょうねえ」
「叔玉、あんまり文若をいじめるなよ。…さーて、俺は寝直そうかな。」
ゆうらりと丞相が自室へ背を返す。わたしたちは揃って頭を下げた。足音が完全に聞こえなくなると、文若どのは大きな息をついて顔を上げた。
「なぜ、賽香どのと叔玉どのの道は分かれたのだ」
独り言のような調子だったが、心底、不思議だと思っているようだった。わたしは微笑んだ。
「わたしは、花さまのおん手の示す先を見てみたいと思っただけです。」
「…丞相のようなことを言う」
「おそれおおいこと、文若どのの胸にとどめておいてくださいまし。…賽香はきっと、恋していただけなのでしょう」
理解できない、と心底不思議そうに呟いて文若どのは闇に去っていった。
…ここからは、天の火は見えない。
見てみたかった。唯一の夫人となる花さまのお身を守る炎だから、きっとどんな火より凄まじく、蛾のように魅入ってしまうほど美しいに違いない。
今頃は、かつての第一夫人であったあのたおやかな方が、天女を手に入れた丞相の伝説を歌っているだろう。そうして人は知る。位人臣を極めた丞相がただ愛する唯一の存在を害そうとした時にどんな罰が下るか。賽香ひとりで済んだのは安いものだと丞相はお思いかも知れない。それとも、彼女のことはもうお心にないだろうか。
わたしは微笑み、自室へ戻るべく歩き出した。
(つづく。)
(2010.6.2)
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