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今回は紅いひと更新できました。GW前の更新はこれで最後かも。
拍手おへんじなどは、また後日改めてさせていただきたいと思います。
「孟徳」
ため息混じりに後ろから掛かった声にも、孟徳は反応しなかった。一心に回廊の角から中庭を見ている。
月は中天にいよいよ白く、あたりは蒼色に染まっている。ほろ酔いで歩いていた元譲は見なかったことにしようときびすを返しかけたが、孟徳の視線の先に気づき、声を掛けざるを得なかった。
「いい加減にしろ、孟徳。」
元譲がその肩を叩くと孟徳はすさまじい勢いで振り返った。鬼気迫る表情にどんな戦場でもたじろいだことのない元譲が一歩引いた。
「だって、あれを見ろ!」
中庭の向こうにある部屋の窓際で、文若と花が話をしている。部屋にふたりで居るための気遣いだろう、窓は開け放たれ、窓際の灯火がふたりの顔を明るく照らしている。灯火が僅かの風に揺らぐたびに、ふたりの表情が秘密めいて映る。
文若のいつもと変わらないしかつめらしい表情で語っていて、花はその話を真剣に聞いている。時折大きな相づちをうっては文若ににこやかに笑いかける。すると文若がかすかに笑い返したようだった。
「文若が、文若が! あんなにはっきり笑ってる!」
「ほう、さすがは花だな。」
「元譲! 感心するのはそこじゃないだろ!」
「というか、お前もだ。」
孟徳は地団駄を踏んで元譲に詰め寄った。
「だってあの花ちゃん、近頃俺は忙しくて会えない花ちゃんに、なんで文若が会ってるんだい!」
「花はお前の妃になるための下準備の期間だ。文若に教えを請わねばならぬことができたのだろう」
それに、と、元譲はふたりのほうを見た。
「花が、お前から心を動かすようなことは万にひとつもない。」
「…分かってるよ」
子どもっぽい仕草を急に止め、孟徳は腕を組んで柱に寄りかかった。横顔が月明かりに冴える。「丞相」の表情が影のように掠める。
「そんなこと、お前に言われるまでもない。」
「ふん、質の悪いやつめ。…それでお前は、なぜ行かない。」
「なんか花ちゃんが寛いでていいなあって思ってさ。」
孟徳が笑った。花の笑顔を映したように。
「彼女は俺のたったひとりの妃になるんだ。他にも味方がいなくちゃいけない。それが俺に批判的で彼女を叱れる人間なら、言うことはない。」
「花は誰も悪用するまい。」
「でも、彼女の基準が俺になってしまわないように心配りも要る。」
「…口元が緩んでいるぞ孟徳」
「うん、なんか男冥利に尽きる気がする。馬鹿だよねえ。」
ふん、と元譲は唇を歪めた。
「馬鹿だな。」
「…お前に言われるとなんか腹立つ…」
「お、文若が出て行ったぞ」
孟徳はまた、風を起こすような勢いで振り返った。文若は静かに扉を閉め、背を向けて歩いていった。自室に戻るのだろう。
「ああ、すごく気になる…なんでこんな夜に花ちゃんは文若でなきゃ駄目なことを頼んだんだろう…」
うわごとのように呟く孟徳から、元譲は一歩下がった。
「聞きに行け」
「いけるわけないだろ! こんな夜に行ったら、花ちゃんをもう可愛がっちゃうよー。俺の我慢はお前だって知ってるだろ!」
今までの愛妾を内密にすべて解雇したのは先日のことだ。加えて孟徳が、花に付ける侍女たちに対し、厳選に次ぐ厳選を重ねているのを見て、当初、新しい愛妾が来た、というだけの目で見ていた人々も花に対する警戒を高めつつある。
そして今までの愛妾たちと内心の一線を画すため、孟徳は婚儀まで花と一夜を過ごさない、という誓いを立てていた。むろん、それを知るのは元譲くらいであるし、破ったところで孟徳が一瞬落ち込むくらいだろう。
「…もういい」
うんざりと息をついた彼の耳に、「あ」という少女の声が聞こえた。
「うわ、見つかった」
そう言いながら孟徳の顔はもう、彼女用の笑みを貼り付けている。扉を乱暴に押し開け、向こうから花が駆けてきた。見つかるように騒いでいたのではないか、と元譲は内心で息をついた。
「孟徳さん! 元譲さんも、こんばんは。」
「花ちゃん、夜着のままで出歩いちゃ駄目。」
孟徳が羽織っていた衣を彼女の肩に掛け、めっ、と睨むと、花は首を竦めて嬉しそうに笑ってから頭を下げた。
「ごめんなさい、そうでした。…今日はいい夜ですね。」
「うん、そうだね。でも花ちゃん、うっかりして風邪とか引いたら駄目だよ? 俺、泣いちゃうからね?」
孟徳が人差し指を振って見せると、花が肩をすくめて孟徳を上目遣いに見た。
「はい…」
「そうなったら、また君の部屋で寝泊まりしちゃおっかな。」
花が顔を真っ赤にした。
「じゃあ頑張って風邪を引きません」
「えー花ちゃんは俺がいるのは嫌?」
「そういう聞き方はずるいです…」
「うん、ごめんごめん」
孟徳は花の手を取って撫でた。元譲はなんだか自分が木になったような気がした。
花が、改めてふたりを等分に見る。
「おふたりで、どうされたんですか?」
「花ちゃんこそ、こんな夜更けまで起きててどうしたの?」
さび付いた音がしそうな声に、元譲は孟徳を見つけたことを心から後悔したが、花はうふふ、と悪戯っぽく笑って人差し指を唇の前に立てた。照れた笑みが愛らしく、それだけで、あの堅物石頭の文若がこんな夜に部屋に呼び出されることを承知させられた理由が分かる。
「明日になったら教えます。」
「あした?」
ぽかん、と孟徳が聞く。はい、と花は頷いた。そのまま、おやすみなさいと笑って去る。視線の先で、今度こそ部屋の灯りが消えた。
「…元譲」
「なんだ」
「明日って、何かあったか?」
「明日になったら分かるんだろう」
「うわーやっぱりお前って腹立つ!」
元譲はきびすを返した。うしろでぶつぶつと声がしたが、かまうものかと思う。
どうせ明日になれば孟徳は押しかけてくる。そして頼みもしない花の噂話をして嵐のように去っていくのだ。すっかり酔いの醒めた頭で思いながら、元譲は自室へと向かった。
「元譲、元譲!」
予想通りの登場に、元譲は観念して顔を上げた。どんな戦勝報告でもここまで緩むまいという表情の孟徳が、勝ち誇った様子で簡を元譲に突きつけた。
「なんだそれは」
「花ちゃんが俺に詩を贈ってくれたんだよ!」
「…それは予想外だな。」
「俺への贈り物だってさ! 孟徳さんはお金持ちだから自分にはこれくらいしかできないですけど、とか言うんだよ。文若に添削して貰ってたんだって。恋の詩だよ恋の詩! いやあもう稚拙だけど可愛いんだ~。あ、頼んでも朗読してやらないぞ、これは俺だけに向けたものだからな! じゃあな!」
孟徳は簡に口づけすると、足音高く去る。元譲は目を細めた。
「…文若、十日ぐらい休暇を申請しても罰は当たらないと思うぞ…」
呟きは、穏やかな風にのって消えていった。
(2010.4.28)
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