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☆ご注意ください☆
この「幻灯」カテゴリは、chickpea(恋戦記サーチさまより検索ください)のcicer様が書かれた、『花孟徳』という設定をお借りして書かせていただいているtextです。
掲載に許可をくださったcicer様、ありがとうございました。
『花孟徳』は、最初に落ちた場所が孟徳さんのところ・本は焼失・まったく同じループはない、という超々雑駁設計。 雑駁設定なのは のえる の所為です。
何をよんでもだいじょぶ! という方のみ、続きからどうぞ。
文若さんと奉孝さん。
後ろでひっそりと扉が閉められた。途端に病んだ匂いがこもる。元気な時は流行りの香りを欠かさなかったのに、それすら億劫になったのか。意外だった。この男は死にゆくときすら身だしなみを欠かさないような気がしていた。
寝台の回りに張られた薄布を骨張った手がゆっくり開けた。病み衰えた白い顔だ。それでも美男子ともてはやされた面影は消えていない。その顔が甘く笑った。
「来てくれたんですね」
「同僚の見舞いにも来ぬほど薄情ではない」
奉孝の笑みが深くなった。この男の笑顔は嫌いだ。なぜこの男の笑みを、世の女どもは欲しがる。嘘を嫌うあるじとて、ああいうのはかわいいと言うのだよと笑うのだ。
「そうですね、あなたはそういうひとでした」
いつも、見透かしたことをいう。奉孝の笑みが苦笑に変わった。
「やだなあ、もうすぐ死ぬ相手に対してそのしかめ面はないでしょ」
そんな態度が望みか。自分が差配すべき大きな戦にこの病で出られなくなり、こころのうちには嵐が吹き荒れているだろうに。だから文若はわざと言った。
「死ぬというのに変わらぬな」
「それこそ違うでしょ。これがわたしの地だってだけですよ」
文若は病室を見回した。
「意外だな」
「何がです」
「お前のことだから、女からの見舞いの品に埋もれているのかと思った」
「あなたでも冗談を言うんですね」
「わたしは冗談など言わん」
「だとしたら馬鹿ですね」
「…お前は」
「ああいう子たちは、生きているうちに愛でるのが華でね。こんな身であんな生き生きした悲嘆に取り巻かれていたらそれこそ命を取られる。わたしが望むのはひとつだけ」
…知っている。
己があの方に推挙したときに、この男は無礼なほど彼女をしげしげと見て心底、といったふうに慨嘆したのだ。あなたもわたしの弱点をよく攻めますね、と。
弱点、と彼女は歌うように言った。今ほど豪奢でない部屋で、今と変わらないあどけなさで、白い指先をくるりと回した。
(女です)
(たいがいの男は女に弱いものではないの?)
と、いかにも無邪気そうにあの方は笑った。そういう言い方が常なのだ。分かっていても、目の前に立っているのがほほえみ一つで百の首を跳ね、指先ひとつで万の兵を動かす相手だと忘れさせる物言いをする。文若さえ、その無邪気さに時折横顔を盗み見るのだから、初対面の者どもはいっそ困惑する。しかし奉孝はいつも女子に向ける笑みを変えずに言った。
(そうかもしれません。でもわたしが弱いのはあなたみたいなひとだから)
さらりと、文若が千年かかっても言えないような、聞き飽きた言葉を言った。だがそれはかえって、あの方の興味を拾ったのだった。なぜあのとき、あの方が満足そうに笑ったのか、文若は未だ知り得ない。おそらくこの先も。
いかにも恋に悩む男といったため息を、病床の男は吐いた。
「あの方はわたしの病気をどう聞いておいでだろう」
「仕事から逃げ出さぬほど気落ちしておられる」
事実だから仕方ない。窓辺で頬杖をつく緋色の後ろ姿は、雨の景色と相まってくすんで見えたのだから。
奉孝がくすりと笑った。
「妬かないでくださいよ」
文若は瞬きし、口を二三回、開け閉めした。
「誰、が!」
「ああこの場合、わたしが妬くべきなのかなあ。あの方はいつだって、あなたを必要としているんだから。」
掠れた、咳の絡む声に文若はむっつりと黙った。
必要とされている実感は、驚くほど少ない。あの方の考えの早さと切り替えの鋭さは余人にないものだ。自分のほうこそ、あの方を必要としている。漢王朝を支え続けるための最も有効な手段として、あの女は欠かせない。
「…あの方は誰かを必要としているのか」
「なにを拗ねてるんです?」
「お前はさっきから何を言いたい」
「いいじゃないですか、もうあの方に甘えられないんだから、あの方が甘えてるあなたに八つ当たりしたって」
「あの方が欲しているわたしなど、茶の味くらいのものだ」
「怒りますよ」
凄みのある声だった。この声で彼はいつもとどめを刺す。軍議がいつまでも定まらぬ時、旧弊なやからがうろんなことを言い出す時、皮肉げな眼差しとこの声で相手を黙らせるのだ。彼の策は彼の常日頃の言動や行状に比して非常に手堅いから余計にやっかみを誘うのだ。
彼の顔がふっと和らいだ。遠くの景色を見ているように目を細める。
「まあどうせあなたは、あの方の指がどんなに柔らかいかなんて知らないでしょうからね」
「そんなことは政に関係ない」
「あの方の手は白いんです。柔らかいんです。おかしいでしょう、剣を持つ手で、簡を捌く手があんなに柔らかくて可愛いなんて。でもその手を取るとあの方は怒るんだ。眉をかすかに震わせ、氷のような眼差しでそれでも微笑を唇に刻んで、放しなさいと言うんだ。その途端わたしは、そのへんの男と同じになる。このわたしがですよ。でも怒りながら、あの方は泣きそうなんだ。わたしの手を取るのはあなたじゃないと全身で嘆くんです。引き下がるしかなくなりますよ、あんな表情されたら。ねえ、だったら誰だと言うんですか。」
「知らん」
「探ろうとしたこともないなら、文若殿は大馬鹿です」
「奉孝」
「大馬鹿ですよ」
言った途端に激しく咳き込んだ彼は、文若の袖に縋るようにして半身を起こした。引っ張られてよろめいた文若の耳に口を近づける。
「あなたしか残らないから仕方ないんだ」
「なに?」
「あの方をひとりにしたら、いずれ…いずれ」
「奉孝?」
彼は見たことのない目で文若を見ていた。どんなに切羽詰まった状況でもこんな顔はしなかったのに。あの方はそれほどお前を捕らえたか。文若は背中がひどく重くなった気がした。
お前がどれだけ心を傾けても、あの方はそれを肩越しに振り返るばかりで、風が鳴るほどの感心さえ傾けては下さらぬだろう。気落ちのさまですら、その心のままに咲く庭の効果と心得ている方だ。文若は手を伸ばし、奉孝の背を抱いた。…だからこそ離れられぬ気持ちは、わたしもどこかに持っているのだろう。だから、彼の見舞いに来た。遠い空で震える梢のようなかすかな心を見据えたいと、その音の在処を知りたく思ったのだ。
奉孝はまた激しく咳き込んだ。文若は慌てて身を起こして扉を開けた。控えていた老侍女が入れ替わりに奉孝に近づき、煎じ薬の入った椀を差し出した。
後ろ手に扉を閉める。
このまま息をせずに帰ったとて、奉孝の声は伝えられぬ。しかしそれをしてやりたかった。あなたはどんな顔で聞くだろう。立ち尽くす文若の足下を花びらが巻いて、散った。
(2013.7.11)
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