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「恋人らしいことをしてみようと画策してみる文若さん」というリクエストでしたが…ど、どうでしょうか…おそるおそる。
リクエストありがとうございました!
発端は、相も変わらず上司だ。そう考えると、また眉間に力が入る。
いったい、あの忙しい立場のどこにそんな考えが湧く隙がある。そう問えば問うたでまた酒の肴どころか宴だのなんだのと騒がれるかもしれぬので黙っている。だがおそらく、かわいい子をかわいがるのに頭なんか使うわけないだろと得意満面で言い放つに違いない。ついでに、そんなことをするのに時間なんか関係あるのかと真顔で問われそうだ。なにしろ、こんなかわいい子と一日一緒にいて何もないなんてという文句は花いわく、「耳にたこができるくらい」聞くのだから。しかし。
(花ちゃんと恋仲らしいことをなにかしたのか?)
興味津々で聞いてきた上司を振り切って退出してのち、彼は、ずっと考えている。おかげでさっきは、お帰りなさい、という明るい声にとっさに反応できなかった。おんなを愛でてやまないあの上司はこういうとき、俺がいなくてさびしくなかったかなどと聞いていたと思い、花の表情が微妙に変化するくらいのあいだは黙ってしまったので、彼は慌てて身を返して、ああ、とか何か言ったと思う。
花は、こちらに背を向けて棚で簡の整理をしている。
――恋仲のむすめ。
間違えることなどあるものか。あれはただの部下ではなく、恋仲の娘だ。抱きしめた回数が上司よりぐっと減ろうが、その手を取るのが手習いの筆順を教えるときくらいだろうが、あの娘はただ己のこころだけで「本」を閉じた。己は、それに甘えている。
(一日一緒にいてなにもない、だと)
彼女と会うのがこの執務室だというのに、いったいなにをしろというのだ。あのとき、全身全霊をかけて説き、引き留めたときの光景すらここにいればよみがえるのに、それ以上すればこの部屋で落ち着いて執務などできるものか、まったく自信がない。
…「それ」以上。
べにもつけていないのにほの紅い唇。香も焚きしめていないのに甘いにおいがする白い首筋。労働をしているのに柔らかいちいさな手。こちらの名を呼ぶ笑顔とはにかみ。…どれだ?
「文若さん」
ふいに呼びかけられて、彼ははっと顔をあげた。いつの間にか握りしめていた簡を放す。見慣れた異邦の衣に、孟徳が与えた上着を羽織った花が机の前に立ってこちらを覗きこんでいる。
「なんだ」
「具合でも悪いんですか? さっき持ってきたときから全然進んでないみたいだから…」
遠慮がちに声をひそめるようにして聞かれ、文若はぐっと身をそらした。即答しなかったことで花の眉尻が下がった。
「…また、難しいことですか?」
囁くようなそれにかなしみさえ感じ取って、彼はわずかに目を見開いた。縫いとめられたように思った。
「さっき、孟徳さんのところから帰ってきたときに文若さんはずいぶんけわしい顔をしていたし、その、前みたいな、あんなことがまたあったのかと思って…思いすごしならいいんです」
笑みは少し、弱々しかった。
――この、ただしく真心と呼べるだろうそれを受取って自分は。
彼は立ちあがった。机を回って、花の前に立つ。そうしてゆっくり、彼女を引き寄せた。
小さい、やわらかい体は、急なことに硬直している。それに少しだけ笑みがこぼれる。男子との距離は不用意なまでに近いくせに、こういうことにはまるで初心な不思議なむすめだ。
「なにもない」
ややあって花は少し力を抜いた。
「本当ですか?」
「ああ。他愛ないことだ、気にするな」
「それなら、いいんです。」
安心しました、と、ひそめてはいてもとても温かい声に、文若は執務室の壁を、まるでいたずら好きな上司であるかのように見据えた。
己が返せるものがこの腕以外になくても、あの男はたやすく恋を告げるだろうか。自分でなくても豊かな未来があったろう娘のゆくすえを絡めとるのがこの言葉しかなくても告げなくてはおさまらない、そんなもどかしさを知るだろうか。
ああそうだ、きっとあの男はよく知っている。知らぬことなどないのだ、実に面倒なことに。
「花」
「はい?」
呼びかければ答えがある、そのことにさえ酔うような自分があまりに幼いように思えて、彼は苦笑をこぼして花の髪に頬を寄せた。
(2013.1.5)
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