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文若さんと花ちゃん。お子さんがおります。
そわそわと花の膝にまとわりついていた幼い息子は、廊下を歩く侍女の衣擦れにはっと顔を上げた。肩をこわばらせ、恐ろしい者がいるかのような顔で廊下のほうを見る。花はそんな彼の背を撫でた。
「侍女でしょう。大丈夫だよ」
息子はそれでも足音を追いかけていたが、肩の力を抜いた。花を見上げる。
「やっぱり、もういちど戸締りを見てきます」
花は呆れた。
「さっき、じいやと回ったでしょう?」
「そうだけど…」
息子は不安そうに唇を尖らせた。夫に似た顔がそんな表情をするのはことさら可愛らしい。
息子が、じい、と呼んで慕う家令は、この数年で急に年を取った。いや、もともと年齢は花の両親よりずっと上だったのだが、腰も曲り、前よりももっとゆっくり歩くようになっている。家令の老妻も目が衰えて針仕事ができなくなっており、文若も、新しい家令を探したほうがよいかと口にするようになった。昔から働く彼らに、十分な礼とともに彼らの娘や孫が居る家に送ったほうがいいかと、思い出したように言う。それを実行しないのは、ただ文若と花が寂しいからだ。身寄りのない、こちらの身分にしてみれば疎まれて当然の花を、文若が選んだからという理由だけで受け入れ、家の諸々を指導してくれた彼らがいなくなるのは、いかにも辛い。それに、夫の位を鑑みても、この邸を切り盛りする人物を探すのは慎重に慎重を期さねばならず、その人選に手間取っているせいもある。
その老家令と息子は今夜だけでもう二回、邸の戸締りを見て回っている。理由はただ、文若が息子に、母上を頼むぞと言って出かけたからだ。そう言われた時の息子ときたら、そっくり返ってしまうのじゃないかしらと思うくらい、気負って背を伸ばしていた。
「父上も、こんな時に出かけなくてもいいのに」
気弱になったのだろう、不満げな口調に、花は顔を上げた。灯る明かりが、どこからか吹き込む風に揺れる。夕方を過ぎてからの大風に、息子の顔は緊張しっぱなしだ。
「父上はお仕事なのだから」
文若は、馬で行けば日帰りできる場所に赴いている。ただこの天気だ、そこに一泊してくるかもしれない。使いの人間は来ないけれど、この時間になっても戻らないということはそう考えたほうがいいようだ。
息子は花の声に返事をせずに、彼女の傍らで寝ている小さな妹の頬を指でぐい、と押した。
「すやすや寝ちゃって」
「こら、触らないの」
幸い、妹はうるさそうな表情をしただけで起きなかった。さっきまで、父上は父上は、とぐずっていたのに、寝付くともう起きない。どこか図太いのだ。
「とにかく、じいやを起こすのはもう駄目。もう夜も遅いのだから。お前も寝ましょう」
頭を撫でながら言うと、不安げな瞳がこちらを見上げた。
「母上も?」
花は笑いかけた。
「一緒に寝るのよ、昼間に言ったでしょ?」
文若が帰らないと、途端に子らは落ち着かなくなる。少し広い寝台のある客用寝室で一緒に寝る、というのは花の考えだったが、ふだん、母と一緒に眠らない子らにとっては新鮮だったようで、昼間のうちはそれで子らの気を紛らわせていたのだが、夜になってきたらまた逆戻りだった。息子は二回も戸締りを見に行くし、娘は好物の団子を残した。
その時、どこかで大きな音がした。板が外れたような、木が倒れたような音だった。息子は全身を硬直させて花にしがみついた。
「母上」
「大丈夫よ、みんないるから」
花は言いながら目を細めた。この邸には召し使う人間たちが居る。これがもし、夫がいない時にたったひとりで子を守らねばならないとしたら。花は首を振った。文若が留守のいま、子らと、みんなを守るのは自分だ。頼るばかりではいけない。
扉が小さく叩かれた。息子が飛び上がって小走りに戸を開けに行く。侍女は戸を開けた彼に微笑みかけ、花を見た。
「木の枝が落ちたようでございます。お邸には大事ありません」
「誰も怪我はしていませんか」
「はい。それと、ご寝所の支度ができましたよ、若様」
息子が表情を明るくして花を振り向いた。花は小さく頷いた。娘を抱き上げる。
「じゃあ、行きましょう」
回廊に出るだけで、強い風が夜着を引き剥がしそうだ。花は娘を抱え直し、息子の手を握った。侍女がさらに息子をかばうように傍らにつく。その風のせいでいつもの倍もかかって、寝室についた。回廊に吹き込む雨に濡れた衣を取り換える。
寝台に上がる頃には、息子もようやく眠そうな顔になった。下がる侍女に礼を言い、花は壁がわに子らを寝かせ、自分も寝台に上がった。じき、二人分の寝息が聞こえてくる。
あのひとは眠ったかな、と暗闇を見つめて思う。あのひとのことだから、天気が変わるごとに色々思い悩む事柄があるだろう。でも、この家に関しては安心してくださいと花は祈った。子らと一緒にあなたをまた笑顔で出迎えられるように、あなたの代わりに頑張ります。
もし、そう考えていたと言えばあなたは、お前は無理をしすぎるというのだろうけどと、花は小さく苦笑した。でも、わたしたちを思い出すことがあれば、きっと大丈夫と、そう思ってくれますように。
寝返りを打った娘の手が花を叩いた。この子は寝ている間、とてもよく動く。しっかり抱き直し、花は目を閉じた。
(2014.7.8)
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