二次創作。はじめての方はat first はじめに をご一読ください。
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「世は春なれや」の、ちょっと前。
文若さんと花ちゃんです。
文若さんと花ちゃんです。
尽きようとしている夕暮れを見上げ、花は息を吸った。秋が深まる空は白く高く、こんなところは「あちら」と一緒だと思う。風が冷たく感じて、今朝の出がけに上着を持つ、持たないで文若と押し問答をしたことを思い出した。過保護なひと、と思っているけれど、こちらに馴染みの薄い自分を気遣ってのことだから、うるさいとは思わない。
その彼は、隣で黙々と歩いている。彼ほどの高官は輿や馬を使って出仕するものだが、彼は花と歩くのを好んでいるようだった。花も、それが嬉しい。短い距離でも、文若の気持ちはずいぶん落ち着くようだ。
「丞相にも困ったものだ」
空を仰ぎながらぽろりと出たらしいひとことに、花は顔を上げた。
「どれがですか?」
そのつぶやきが深刻なものではなかったので、からかうように尋ねると、夫はわずかに苦笑した。
「そうだな。全部、だ」
「いまごろ、くしゃみしてますね」
くしゃみが出るのはそのひとの噂を誰かがしているからだ、というのは花が教えた俗信だ。文若が顔をしかめた。
「そのようなもので済むか。丞相の噂をすると丞相が出るというぞ」
「…なんだかひどい言われようです」
孟徳の、花に向ける顔はいつも明るくて甘い。最初に見た、業火に照らされた彼を忘れてはいけないと思うけれど、夫のそばにいる限り、あの表情は少し遠くなる。
文若は、言いにくそうに顔をうつむけた。
「今日の昼間も…その、お前のからだのことなど言っていたろう」
花は彼につられて顔を赤くした。
孟徳は、そういうことはセクハラと言うんですと花がいくら教えても際どいことをかまってくる。今日の昼も、執務室を抜け出して「花ちゃん、赤ちゃんは女の子にしてね」とわざわざ言いに来た。
「男だったら、あいつに似てかわいくないだろうしさ、その点、女の子ならきっと君に似て可愛いよ」
うふふ、と年齢に似合わない非常に可愛らしい笑みを浮かべて言う彼に、花は躍起になって
「文若さん似の女の子だって可愛いです!」
と返し、それがかえって彼の笑いを誘ってしまった。
そこに文若がきた。行方不明になった孟徳をさがして来たものらしく、その襟首をひっつかむようにして執務室に戻っていくとき、花を見て心配そうな顔をしていた。
(子ども…かあ)
この世界では普通のことであるし、自分も文若の子ならほしいと思う。しかし、花の世界では、子を持つ年齢はもっと先だった。だからまだ戸惑いがある。
確かに、夫婦になってから体が変化した。それは、孟徳にからかわれるでもなく分かる。胸や腰回りのラインが、太ったというのではなく変わったり、肌が柔らかくなったような気がして、カレシができると変わる、という俗信を思い出してひとり赤くなったりする。
そこまで思い、花はそろそろと文若を見上げた。
「もしかして…あの、ご親戚からうるさく言われたりとかするんですか…?」
名門の彼が自分を娶るにあたって、相当な風当りがあったことは漏れ聞こえた。けれど、文若と親しい公達や、なにより丞相の後押しでそれは意外に早くおさまったはずだった。
文若は立ち止った。花を見つめる。こういうまなざしをするときは真面目な話なので、花も黙って背筋を伸ばした。だが、彼はゆるく首を振って俯いた。
「そういうことは、ない。…こういうことは天の采配だ。お前が焦ることはどこにもない。」
「はい」
花が微笑んでうなずくと、文若は安心したように微笑してまた歩き出した。
淡い知識としてしか男女のことは分かっていなかった自分は、何もかも彼に拓かれた。だから、彼以外は知らなくていい。これからも、この体も肌も、彼の手に、吐息だけに磨かれたい。
文若は、孟徳を常に気にする。華やかで権力もあり、女性の扱いに長けた彼に引け目を感じるのか、花が奪われるのではないかとあからさまに懸念しているときもある。
たしかにここには、花の知らない「権力」がある。望めば他人の妻だろうが恋人だろうが手に入るちから。孟徳が自分を本気で望めば、彼女は生死を選ばなくてはならないだろう。
しかし、あのひとはそれをしないはずだ。どんなに自分を抱きしめても頬ずりしても、夫が必要な事実と混同したりはしない。あの恐ろしい迷いの闇を自分たちは見た。そうして握り合った自分と文若の手を、孟徳が嬉しそうに見ているのを知っている。
花は手を伸ばし、文若の衣の裾を握った。気づいた彼が振り返り、怪訝そうに花を見る。花は笑った。
「…子どものように」
呟いて文若は苦笑したが、袖の中でそっと花の手を握り返してくれる。…この心のままに閨で彼をねだったら、はしたないと叱られるだろうか。
顔が赤くなっているかもしれないと思いつつ、花は文若に笑いかけた。
(2010.11.4)
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