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近頃は、お帰りなさいという妻の声より先に、おかえりなさいあのねあのねちちうえ、父上は疲れているのだ静かにしなければと、せわしなくも賑やかな声に出迎えられることが多い。今日も、眠る前の「お話」をして、ふたりの子をようやく寝かしつけたところだ。
自室の寝台に腰を下ろし息をつく文若を、花が微笑んで見下ろした。
「お疲れ様です」
「…これ」
文若はたしなめると、花の手を引いて隣に座らせた。花がいそいそと座って文若の肩に凭れる。
「なぜ娘たちは、わたしの話ばかりねだる」
寝る前の「お話」は、もとはと言えば花の蒔いた種だ。花から聞いた「ものがたり」や文若の熟知する詩歌や歴史などをその枕元で暗唱していると子どもたちは眠りにつく。それがすっかり定着した。
文若が若干の疲れを込めて言えば、妻は不服そうに唇を尖らせた。
「おひめさまが探検に出ちゃいけないって言ったのは文若さんですよ? わたしの予定では、お姫様は複雑なダンジョンの奥で伝説の剣を手に入れて南の島のドラゴンを倒してそこに囚われていた王子サマを助けるんです!」
拳を握って妙に熱っぽく語る妻に、また息を零す。
驚いたことに、花はおのれで物を語る。まったく荒唐無稽な、登場人物がなぜそこでそのような行動を取るのか分からぬことが多いが勢いはある「話」に、またそれに子ども達が夢中になるのだ。
「だからといって、このあたりの子息達を束ね『たんけん』に行くのだと枝を振り回されては困る」
「元気が良くていいですよ」
「そういう問題では、ない」
そうでしょうか、小首を傾げる花はほんとうに不思議そうだ。文若はふと、幼い花を想像してみた。自分の娘に花らしさを足してみる。…不思議と、「たんけん」に違和感がないような気がする。
「…お前も、そんなことをしていたのか?」
「はい」
おそるおそる聞けば、満面の笑顔で肯定される。
「路地とか川縁とか、緑地保全で残してあった丘とかにお菓子をもって探検してました。まあ、お散歩に毛が生えた程度なんですけど、ずいぶんな冒険に思えましたねえ」
「お前の育ったところは、本当に安全なのだな」
ため息とともに言えば、花は複雑そうな表情で小さく頷いた。しかし、すぐに顔を輝かせて文若をのぞき込む。
「あ、じゃあ、その探検に行く扉の鍵は格好いい隠者さまが持っていて、そのひとが許可しないと探検に出られない、というのはどうですか? それだったら、あの子も無茶しませんよ」
「わたしの役回りか」
「もちろん、文若さんです!」
杖のかたちはどんなのがいいかな、意外と白い服も似合うよねきゃっ、などと言いながらはしゃぐ妻の横顔は昔に戻ったようだ。その手のひらを軽く叩くと花はすぐ大人しくなり、決まり悪そうに笑った。
「お前は登場せぬのか」
からかうと、花は真顔になった。
「うーん…一緒に行きたいのは山々ですけど」
妻は、とてもあたたかく笑った。
「探検したひとをねぎらう役も必要でしょう? わたしは家で待っています」
文若は苦笑した。
「そうだな。お前がその鍵とやらを持っていたら一緒に『探検』するのだろうからな」
「あら、ばれました」
おほほほ、と澄まして笑う妻の頭を叩くように撫でると、彼女は悪戯っぽい笑顔のまま夫のように眼を細めた。細い灯心が、じ、と鳴った。
「わたしたちも一緒に探検しましたね」
文若はつと、唇を引き結んだ。そうだ、過去という途方もない「探検」をした。
…それどころか、花はこの場所で暮らすこと自体が探検だろう。文若にとって、彼女に触れることがそうであるように。
どちらが先か分からぬが、この「探検」が終わる時に妻は、自分は何を思う。子らは何を見るだろう。子が大きくなるにつれ、そんなことを考える時が多い。子らの先を花とともに見られぬことがこれほど寂しいとは、欲が深くなった。
そんな自分に苦笑を返して、文若は花をもう少しだけ引き寄せた。
(終。)
(2011.10.25)10 | 2024/11 | 12 |
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