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文若さんと花ちゃん、婚儀後です。
花が回廊に立っている。さらさらと流れる夕方の風に裾を波打たせ、庭を見ている。薄暗くなった庭には、白い花が灯りのように咲いているのが見えるだけだ。
何を見ているのか分からない。何も見ていないのかもしれない。おそらく彼女に聞いても判然としないだろう。文若は部屋の入り口からその背を眺めた。休日の夕暮れ、そろそろ夕餉のはずだが呼びに来ない妻をさがして、出てきてしまった。
彼女は、あんな目を最近よくしている。遠いところをたゆたうような、足下を危ぶんでいるような眼差しだ。
常ならば心配もしよう。けれどいまはそうではない。己もあんな目をしているだろうと思うからだ。
妻が、己に嫁いで一年経った。
職務に変わりは無い。勤務地が変わったので多少、使う者たちの気心が異なったと思う。しかし、家庭というものは初めてづくしだった。
おはようございますと眠そうに笑う顔や、おやすみなさいとはにかむ表情。相変わらず直らない、小走りに走る癖。ときたま、斬新な味付けになる食事。それをたしなめたり慰めたり、忙しい。邸に帰れば使用人と必要最低限の言葉しか交わしていなかった自分が、驚くほど話をしている。
孟徳などはあからさまに、婚儀を挙げてから眉間の皺が減っただの口調が柔らかくなっただのという。当初はいちいちうっとうしくて、変わりませんと言いつのっていた。一年過ぎたいまとなっては、その通りですが何かと開き直ってやりたい気持ちになる。昨日も孟徳に、新妻っていいよなーと寝言を言われたばかりだ。むろん、無視したが。
花の後ろ姿を見ていると、ふと疑問が湧く。新妻、とはいつまでをさすのだろう。
年若く妻を迎えた同僚の中には、妻となんとかは新しいほうがいいなどと言う。どことなく不快で返答もしなかったが、今ははっきり唇が歪む。そういう自分の顔を見てみれば良い。だいたい、妻が「古びる」というのであれば、自分だって相応に「古びて」いるだろうに。そういう男の妻とてそう思っているだろう…夫となんとやらは新しいほうが楽しいと、声を大きくはしないだけで友人などには言っているかもしれない。己が花にそう思われたらと考えるだけでぞっとする。
しかし花はそう考えないだろうということも、確信している。
ついこの間、花は、この邸に彼女を迎え入れるときに文若が揃えた調度を、部屋に馴染みましたねと嬉しそうに笑っていた。そういうお前が居るのが当たり前になったとは気恥ずかしくて言えなかった。
むろんのこと、すべてのものは古びていく。だがそれがすべて悪いことだろうか。新しい住居が、妻のために揃えた調度が身体に馴染んでいくことが? 己の手に妻のぬくもりを難なく思い出せるようになったことが?
彼女はああして、この邸での一年を思い返しているのだろう。心の内で異郷のふた親に報告しているのかもしれない。自分のことはいったいどう報告されているやら、文若はうっすら苦笑した。孟徳のように、堅物だの分からず屋だのあからさまな愚痴でも零されていないといいがと背を伸ばす。
「花」
呼びかけると、彼女は振り向いた。そうして小走りに近寄ってきて文若に寄り添った。初めて、傍らが寒かったことを知る。
「どうした」
花はつかの間、きょとんとした。そしてすべての懸念を吹き飛ばす温かさで、その唇をふさぎたくなるような愛らしさで笑った。
「何でもありません」
「そうか」
「はい」
「では食事に行くぞ」
「はい!」
花は、文若の腕にぶらさがるようにして今日の献立を楽しげに話す。相づちを打ちながら、足取りはとても軽かった。
(2013.11.5)
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