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花はゆっくりと茶を飲んだ。いつも文若のところで飲むものより薄く、苦味もある。女子にはよいものですと言われたので薬草茶らしい。そっけない味だったが、添えて出されたはちみつ漬けの果物には良く合う。元の世界だったらその素朴な甘さを遠慮したかもしれないが、こちらでは体の隅々まで甘味が染み渡るように思う。
「南の商人から手に入れましたの」
年かさの侍女が誇らしげに言う。こめかみにひと房だけ混じった白髪がきれいだ。花の母より若いふうなのに、そこだけが年齢を感じさせた。
「おいしいです」
花が言うと、隣に座っていた同じ年ごろの侍女が大きくうなずいた。丸顔に少しびっくりしたような大きな目をしている。厨房で働いているわけではないのに厨房で会うことが多い彼女は城下のおいしい店をよく知っていた。
「さすがは元鈴さま、珍しいものを」
せわしなく食べる彼女の腕をたしなめるように叩いた細面で背の高い侍女は、おっかなびっくりのように皿を目の前にかざした。
「お高かったでしょう?」
「元鈴さまのおうちは名家でいらっしゃるもの」
指先までなめてから、うらやむふうもなく丸顔の侍女が言った。細面の侍女が顔をしかめた。
「またあなたは。指先なんてなめて」
「ちゃんとしたところではやらないわよ」
「どうだか。このあいだ、お茶をお持ちするときにあなたのあとに点々とお湯がこぼれていたらしいじゃない。まして裾を踏んだときに大声を出して倒れたわ。熊が倒れたみたいだったわよ」
「お湯なんかこぼしてないうえに、後半は関係ないわ」
「ふだんががさつだからそういうことを言われるのよ」
すぱんと言い捨てられて丸顔がより膨れたので、花は慌ててその娘に笑いかけた。せっかく誘ってもらったお茶の時間に喧嘩はつまらない。
侍女たちとは毎日顔を合わせるが、花の記憶力では追いつかないほどたくさん働いているうえに、文若の補佐という職にいる花にはそう話し込む機会も時間もなかなかなかった。
文若と気持ちを通じ合わせたという事実にまだ照れるものの、この頃になってようやく落ち着いたように思う。侍女たちや官たちの顔と名前が急に一致してきた。そんな気はなかったが、やはり、いつかはここから帰るのだからと浮ついていたろうか。
もうすぐ、この職場も移転する。目の回るような忙しさの中、ほんの半日だけ与えられた休み時間に侍女が誘ってくれた。彼女たちも移転前の騒ぎで、こんなゆったりした時間は僅からしい。侍女たちの詰めている部屋ではなくて厨房の隅でお茶、というのが、いかにも慌ただしかった。
「本当に、食べ終わるのがもったいないくらいおいしいですよね」
「そうですよね」
丸顔がほころんだ。
「わたしも早く出世してこういうお菓子をいっぱい買えるようになりたい」
「いやねえ、衣とか髪飾りじゃないの?」
「おいしいものを食べたいのよ。ああ、都が変わってもおいしい店がたくさんあるといいなあ。おいしいお店が見つかると世の中の半分くらいはいいことでできてるような気がするわ」
「あなたたちときたら」
年かさの侍女がさもおかしそうに笑う。それからふと、花を見た。
「令君はこういう菓子はお好きかしら」
「え? 文若さんですか?」
ふいをつかれて、茶を飲もうとしていた手が止まった。
「ええ。あまり甘いものは好まれないともお聞きしているけれど」
彼女の声がとても艶っぽい気がする。花は瞬きした。
「そ、うです、ね…甘いものは好きじゃないみたいです。それにこれは、ちょっとべたべたしてるから、簡をさわる手が汚れるって言うかもしれません」
年かさの侍女はゆったりと首を傾げた。
「そうね。難しい」
丸顔の侍女がくすりと笑った。
「元鈴さま。もう令君には心に決めたひとがいるみたいですよ」
年かさの侍女はすいと目を細めて彼女を見つめた。迫力が増したようで花はちょっと息を呑んだ。
「なぜ?」
「だって、最近よく女物の衣を取り寄せてるって噂です」
「本当!?」
噛みつくそうな勢いに、細面の侍女が首をすくめた。花も内心で本当かな、と思った。何の仕事だろう。以前みたいに、宴で誰かに誂えるためだろうか。胸のどこかが痛むのを、他人事のように感じる。ああでも、この前、ここで働くにはあの宴のときの衣では駄目でしょうかと聞いたからかもしれない。あれでは華美だと一刀両断した文若は、しきりに考えるふうだった。もし仕事でも、そのすみっこに自分用の衣を選んでくれたら、それが駄目でも一緒に選んでくれないだろうか。
まあ、と細面の侍女が声をあげた。
「あんなこわい方も恋をなさるの?」
まるで、親に幼い頃があったことを知った子どものようだ。花が微笑んだとき、その視線が流れた。
「ご存じ?」
ご存じ、どころではない、その相手は自分だ。…そう言っても、いいのだろうか。
もとの世界の友達にだったら照れながらも告げたろうに、文若を思い出すと気後れしてしまう。高位の官、孟徳の有能な部下、名家の生まれ。そのどれもが、自分から遠いものだ。そして自分の心に近い文若の姿は、さっきの侍女の言い様のように、みなから最も遠い。
「分かったらお教えしましょうか」
瞬きもせぬ諮詢のあいま、すいと丸顔の侍女が言った。きっとよ、と年配の侍女が詰め寄っている。花はにこにこと笑っているだけのようなその横顔を見つめた。
何故か、彼女は知っている。いや、もしかしたらただの勘かもしれないけれど、勘だとしたらそっちのほうが恐ろしい。
文若に、こういう時の対処法を聞いておこうと花は思った。文若がよく言うように自分には隠し事ができないのだとしたら、ちゃんとしておこう。…隠し通さなければならないのも、寂しいし。
(わたしは、文若さんが、好き)
胸を張ってそう言えるようになるまで、色々頑張らねば。花は残った茶を飲み干し、ひとり、強く頷いた。
(2012.9.1)
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