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では、6月21~25日の集中更新週間、またの名を文若さん祭(たいそうな/汗)です。
新婚夫婦さんの、とある一日を追ってみます。
おつきあいいただければ幸いです。
文若は目を開けた。遠くから炊事場のざわめきが届き、自分がそれで起きたことが分かった。
傍らで、花が眠っている。健やかな寝息に笑みが浮かぶ。
昨夜は声を聞かなかったな、と彼は花の寝顔を見守りながら思った。急を要する案件に、孟徳と遅くまで打ち合わせしていたためだ。
婚儀を挙げてしばらくは、そういう時も花は起きて待っていようとした。しかし、朝がとても早いことに慣れている文若たちの日常に合わせていては、花などすぐ体を壊してしまう。結果、彼女は素直に先に寝ているようになった。
文若はいちど、静かに眠る彼女の隣に入っていっていいものか悩み、別室で寝たことがある。しかし、その日に限って彼より早く起きた花が、夫が帰らなかったと泣きそうな顔で厩の中まで探しまわり、宥めるのに骨を折った。文若の下で長いこと家政を切り盛りしている家令の老夫婦にもたしなめられた。それ以来、彼は必ず彼女の隣で眠る。
そろそろ花を起こすか、とぼんやり思いながら文若はまだ寝顔を見ていた。
…花がここに居ること。自分がまだ、生きていること。そのふたつとも、夢ではないのかとまだ思う時がある。
ずっと持ち続けていた毒を捨てたのは、婚儀の夜だった。水に流すと、自分で思っていたよりさっぱりした気持ちになった。花に逢うまでは片時も身から離したことはなかったから、自分の思いを吸い過ぎたのかも知れない。
眠る頬に、触れるか触れないかに指を伸ばす。すると、ぱちりと大きな目が開いた。彼は狼狽えて手を引いた。
花は何度か瞬きして、大きな欠伸をした。それから、笑った。
「おはようございますうう」
「…欠伸は隠しなさい」
「えへへ」
花は笑いながら文若に抱きついた。寝崩れた夜着からはみ出たすべすべした足が、彼の足に絡みつく。彼は慌てて、花の肩に手を置いた。
「こら、寝ぼけているのか」
「今日はちょっと寒いですね」
「そんなものは理由にならん」
「でも、安心するんですよ」
力を緩めない花に諦めて、文若はその肩を抱き直した。あったかい、と無邪気に呟く妻に心の中でだけため息をつく。
「だって、昨日の夜は逢えなかったでしょう? おやすみなさいまた明日って言えないのは寂しいんです」
「…いつかは、書いておいてくれただろう」
そう記された簡が夜着の上に置いてあったのを見た時は絶句したものだ。またそれが、必死に練習したことが如実に分かる書きぶりだった。それは彼の文箱に、厳重にしまい込まれている。
「うーんでも、あれを毎回やったら簡が勿体ないって文若さん…怒りませんか?」
上目遣いに見上げられ、彼は咳払いした。
「毎回、と言うほど、遅くなってはいないはずだが」
そうでしたと照れ笑いする花を抱き込もうとして、ふと気づく。
(おやすみなさい、また明日)
そうだ、彼女もそう言っているのだ。
花も、この状況を夢かも知れないと思っているのだろうか。あした目覚めた時に、自分が隣に居ないかもしれないと?
…許さないと、思った。
何に対してなのか考える間もなく、きつく抱きしめる。花が慌てたように身じろいだが、すぐに彼の夜着の襟を握りしめておとなしくなった。
「今日は、一緒に帰ることにしよう」
「昨日みたいに、急なことがあるかもしれませんよ?」
「…だからと言ってお前を執務室に待たせておくほうがならぬことだ」
「みなさん、わたしがひとりにならないように色々お話ししてくださいますから、大丈夫です。」
それが有り難いことだと素直に言えない。文若すら、婚儀を挙げてからの花は日に日に眩しいのだ。もっとも警戒すべき彼の上司などは、婚儀前より文若の執務室に来ている気がする。
…この焦燥。
彼女が笑う嬉しさ、温かい体。くすぐったそうに好きだと告げる声。
これがすべて夢かもしれないなどと疑う自分が許せない。
あったかい、と満足しきったように呟く妻が眠そうで、彼は慌てて腕を放した。
「起きるぞ」
「はあい」
先に寝台から出ると、すぐ付いてくるはずの足音がない。振り返れば彼女は寝台にぺたりと座って目をこすりながら、笑っている。
「何が嬉しいのだ」
「この部屋も、見慣れたなあって」
照れ笑いする花に、頬が熱くなる。
夫婦の部屋を用意するにあたって、花が好む調度がよく分からず、自分の好みを優先させてしまった。しかし、はじめてこの部屋を見たとき、花は、彼らしいと安心したように笑った。そのときのほのかな嬉しさがよみがえる。
「…支度するぞ」
はい、とまだ眠気の残る声に、彼はひとり笑みをかみ殺した。
(2010.6.21)
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