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早安くんと花ちゃん。いっしょに暮らしてます。
妻がうたう声が聞こえてきて、早安は草をより分ける手を止めた。このところ気候もよくなって、彼女は外で家事をしたがる。蜂にたかられそうになったり、ネズミが近くを通ったりすると泣きそうな顔で家の中に閉じこもるが、それでも懲りずに外に行く。
妻、と内心で早安は繰り返した。そう思うたびに身体の奥が温かくなるような、むずがゆいような気がする。ともに暮らすようになって季節が何巡かしたはずなのに、ふと妻という言葉に戸惑う部分が残っている。けれど隣にいるのは花しかあり得ないのだから、そういうことなのだろう。
本当は、妻という言葉を思うたびに母の姿が浮かぶ。その場所に未練がなかったはずはないと今ではより強く思う。だって、花はとても幸せそうだ。それを噛みしめるたびにこの家を見回す。
母と暮らした家と、規模は変わらない。けれど調度は、早安のいまの職業の分だけ多い。だからといって裕福なわけではなく、花の靴に穴が空いたからといってすぐには買い換えられない程度だ。それとて、この集落ではひどく貧しいわけではない。そして彼女は、そういう貧しさに慣れていないはずだった。
花が最初に身を寄せていたところは、今はもうそうではないが、あのときは流浪の軍だった。そう豪華でもないだろうがこの家よりは手厚いものがあったに違いない。次に居たのは、この国で最も帝に近い、栄華の限りを尽くしている男のところ。彼女はそこから飛び出してきた。それを世の人間は酔狂だと言うだろうが、花がここに居る限り、その選択はどれだけ褒めてもいいと思う。
彼女が思い出したように言う幻のような彼女の世界と、身を寄せていた世界、そのどちらからも、この家の慎ましさは遠かろう。それでも、花はよく笑い、歌う。
「終わったよー」
花が家の中に戻ってきて、彼は選り分けていた草を置いた。彼女は、乾いた手巾がこんもりと盛られた籠を重そうに抱えてくる。早安が腰を浮かせるより早く、彼女はそれをござの上に置いた。
「今日はよく乾いたよ」
「助かる。」
「この時期はみんな山菜とりに行ったりして、ちょっとした怪我が多いって早安、言ってたよね」
緑あふれる季節は、すぐ夏になる。伸びきる前に食べられるものは採り、保存に適した状態にしなければならない。早安とて例外ではなく、秋と並んで春は忙しい季節だ。ただでさえ、地面が凍らなくなると、それまで注意して歩いていた場所も足元を見ずに歩くようになるから、滑ったり転んだりも多い。
「早安、見て見て」
窓辺で妻が指さしたのは空だ。穏やかな空にふさわしい、つつけば崩れそうな淡い雲が浮いている。早安は目を細めた。
「なんだ?」
「あの雲、美味しそうね」
彼は妻の顔をまじまじと見た。
「食べたことがあるのか」
花はぽかんとして、すぐ笑み崩れた。
「まさか!」
「実感がこもってた」
「んー、正確にはね、あれに似たものを食べたことがあるの。わたあめ、って言ってね。砂糖を…」
花は急に言いよどんだ。手で何かをかき混ぜるような仕草をしながら、眉間に皺を寄せる。
「くるくるってするんだけど、具体的にはどうするんだろ…」
彼女がもとの世界を説明しようとして言い淀むのはよくあることだった。そんなふうに、自分の手を経ていないものばかりで暮らせる、というのが彼にとっては信じられないことだけれども。
「砂糖であんな雲みたいな食べ物ができるのか」
本当に、天女だったようなことを言い出すと思う。花の表情に笑顔が戻った。
「甘くてね、べたべたするの。お祭りで売っててね、よく買ってもらったよ。」
「じゃあ俺は苦手だな」
「早安、甘いもの苦手だっけ」
「甘すぎるのはな」
「わたしも、いま独り占めはできないなあ。」
ぼんやりと言う妻の声こそ淡い。
早安の目には、薬草を煮ていると出てくるアクに見える。だからあれは、人がごたごたと暮らす上に浮いたものだ。上にはそれを取る何者かがいるのかもしれない。そいつらはいずれ、アクを出す元凶を取り除こうとするかもしれない…
「今日は昨日もらった干し肉でおかずを作ろうっと。あんな雲みたいなふわふわにはならないけど、お団子を入れて」
明るい声に彼ははっとした。そんな反応に妻が不思議そうに彼を見返す。早安は微笑した。
「うまそうだな」
「うん!」
ほっとしたように笑った花は、軽く身をひるがえした。早安は後姿を見ながら自嘲した。具体的に敵がいないと、得体のしれないものを憎むようになるらしい。馬鹿なことだ。
厨房からはまた、歌声が聞こえていた。
(2014.6.2)
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