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二次創作。はじめての方はat first はじめに をご一読ください。
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 旅先で見た、遅咲きの桜に。





 「芙蓉」
 呼ばれて振り向くと、彼女の主君である玄徳が立っていた。丁寧に礼を取る。
 「玄徳さま。おはようございます。」
 「ああ、おはよう。」
 快活に笑い、あたりにただよう薄い靄を払うように大股で近寄ってきた玄徳は、芙蓉の衣をしげしげと眺めた。彼が芙蓉をそんな風に見ることはほとんどない。彼女は意外に思い、さっと自分の全身を見回した。
 「どうかなさいましたか?」
 「いや…」
 さすがに、ぶしつけに眺めたことが決まり悪かったのか、玄徳は首の後ろをかいた。
 「ああ、この帯ですか?」
 女性の衣にほとんど興味を示さない彼が目を留めたものは、これしかないだろう。この帯は、昨日、新調したばかりだ。
 玄徳はばつが悪そうに唇をゆがめた。
 「すまんな、そんなところを見て。きれいな色だから、花にも似合うだろうと思って」
 「いいえ。」
 あからさまな惚気に、芙蓉は笑顔で首を振った。
 「わたしが刺繍したので、売っていないと思いますよ? そう、この模様は花から教えて貰いました。」
 「花から?」
 恋人の名を聞かされて、玄徳が軽く目を見開いた。
 「ええ。」
 芙蓉は帯の端を持ち上げた。うす緑の地に、ごくごく薄い紅色の大小の五弁花が連なるように刺繍してある。自分の手だからお世辞にも上手とは言えないけれど、異国風の図案になったので気に入っている。
 もとはと言えば、花が手習いをしていた紙の隅に描いた手遊びを見とがめた。見慣れぬ花弁のかたちを、最初、花は言いたがらなかった。
 「さくら、と申すのだそうです。」
 「さく、ら…?」
 慎重に発音した彼は、目を細めた。
 「その花の名か」
 「はい。あの子の国の春に、いちめんに咲くのだそうです。」
 「一面に…」
 「ええ、わざわざ、道沿いや川沿いに並んで植えるのだとか。そのせいで、一気に咲くとうす紅の霞がかかったように見えると言っていました。」
 「そうか」
 玄徳は、少し複雑そうに笑った。
 「桃とはまた違うものなのだな。」
 「ええ」
 「俺は、そんなふうな花弁と言えば桃しか知らないが、そうか、そういえば桃はそんなに色が薄くない」
 「そうですね。」
 さくら、さくらか、と玄徳は繰り返した。
 (芙蓉姫の爪みたいに、きれいなうす紅の花びらなの)
 彼女は、自分の手を取って言った。鉄扇をふるう手を、きれいだと言った。
 (散るときもね、きれいだよ)
 目を閉じて彼女は言った。
 (風が吹くと、雪みたいに散るんだよ。たくさん、たくさん花びらが流れていくんだ。川が花びらで埋まって)
 そこまで言って花は、大きく深呼吸した。
 (みんなで、それを見に行ったりするんだよ)
 そう、とだけ、芙蓉は返事をした。
 芙蓉の知らない彼女の家族は、友人は、どんなふうに笑うひとたちだったのだろう。この健やかな娘を育てた環境は、どれほど穏やかだったことだろう。花が散るのを惜しんでただ眺めにいく、それは貴族のようだと思う。彼女とてそれなりの財を持つ商人の娘として生まれたが、幼い頃から戦やひと死には身近なことであった。だからこそ、玄徳の催す桃園の宴は彼女の夢の景色であった。
 (でもねえ、その花の下には死体が埋まっている、なんて言ったりもするの)
 (きれいなものなんでしょう? おかしな話ね?)
 (…きれいすぎるからかな)
 ひっそり笑った花は、いったい何を思っていたのだろう。そればかりはあまりに遠すぎて分からない。
 「桃源郷と俺たちは言うが」
 玄徳の声に、芙蓉は我に返った。
 「あれの見るさいわいの地の色はまた違うものなのだな。」
 彼の声は遠かった。芙蓉は口を開きかけて、閉じた。男は臆病だ。その揺らぎをこそわたしたちは愛しいと思ってしまうのだけれど。
 死体が埋まっている、などと伝えられる花が幸いの色と解釈される世界なのかどうか、それを芙蓉は知らない。ただ、花の声は優しかった、と思う。
 「花は、玄徳さまの奥方になる方ですわ。でしたら、玄徳さまも花の見るものをご覧になれるのではありませんの?」
 朝の風が流れ、靄が動いていく。玄徳は微笑した。
 「芙蓉は強いな。」
 「まあ」
 「駄目なんだ。…あれが喜ぶだろうと思うことと寂しいだろうと思うことがあまりに紙一重で、とても怖い。」
 芙蓉は唇を噛んだ。
 「もう本はありませんよ? 玄徳さま」
 「分かってる。」
 玄徳は甘く苦笑した。
 「花がとても怒るからな。わたしはどこにも行きません、と言う。内緒だぞ」
 「あら、わたしでも怒りますわ。」
 悪戯っぽく言うと、玄徳の眉間がようやく晴れた。
 「呼び止めて済まなかった。」
 片手を上げて去っていく玄徳に、芙蓉は礼を取った。自分の帯を手に取り、首をかしげる。少しまずかったかなと思う。花の歌う景色を綺麗だと思ったから、自分も手に入れたかった。でも、その吐息ごとくるむように花を愛している玄徳より先に見つけたのは、彼の要らぬ嫉妬と不安をあおったかもしれない。
 「…でもまあ、いいわ。」
 彼は、花にひそむ魔をしっかりと捉えていてもらわなくては。散る花も再び咲く季節が来る。そういう月日を繰り返し、いつかあの本のことがただのおとぎ話になる日まで。
 芙蓉は帯の端をくるくる回しながら歩き出した。

 

(2010.5.8)

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