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申し上げるまでもなく、作中の出来事はfantasyです。
ナンバーはついていますが、続き物ではありません。
玄徳、と聞こえた声は、震えていた。
それがまるで、魅入っていた剣から聞こえてきたもののようで彼ははっとした。そんなはずがないのはよく分かっているのに。彼は剣を慌ただしく鞘に収めて立ち上がった。
戸を開けると、何とも言えぬ梅雨の空気が押し寄せる。まだ降り出してはいないようだ。
幻のように冴えた月に、庭先の白い衣の人影が眩く照らされている。
「皇女」
玄徳は階を駆け下り、彼女の前に膝をついた。白い、幼い手がその肩に触れた。
「父上から聞いたの。お前も遠くに行くって」
舌足らずな声は、もう涙に震えていた。玄徳は顔を上げた。彼が忠心を捧げる王の娘は、まるで実の父を案じるように玄徳を見ていた。
実際、そうだったかも知れぬ。恭順のあかしとて郷里から出された五年前、彼はこのひめみこに仕えることを第一の仕事とさせられた。地方氏族に授けられるには破格の仕事で、それもこれも、玄徳の父が最後まで都に反抗したからだった。皇女を任せることで信頼を見せるつもりだったのだろう。ただその娘が、皇女とは名ばかりの存在であったことを除けば。
皇女の母のことは、未だに明らかにされない。ただ、この国には珍しい薄茶の瞳と髪に、事情は察せられる。昨年亡くなった玄徳の父も、王は多情だ、と責めるだけだった。
二年を、忘れられた宮の片隅でつききりで過ごした。そのあと、いくつかの戦で戦功を挙げた彼の才覚は皇女の子守に留まらなくなった。しかし、専任を解かれてからも、玄徳は皇女のもとに足繁く通った。そして昨日、彼は南の民を鎮圧する任を受けた。南の民は、玄徳の父が王に下ったことをいまも罵っている。戦は苛烈になろう。
「皇女、このような夜更に出歩くなど」
玄徳が諭すと、皇女は激しくかぶりを振った。
「玄徳、わたしもいっしょに行きたい」
皇女に付いてきた老年の侍女が、目を見張った。
「玄徳のいないみやこなんていや!」
「皇女さま」
血相を変えた侍女が掴まえる袖を振り払い、皇女は玄徳にしがみついた。玄徳は、ゆっくりとその小さな背を撫でた。
「皇女はおん年、十二になられる。このような軽々しいおふるまいはなりませんよ」
「年なんて関係ない!」
「玄徳は必ず戻って参ります」
「うそ」
刺すような言葉に、玄徳の手が僅かに止まった。
「皇女。わたしが嘘を申したことがありますか」
つとめて優しく言うと、皇女は唇を歪めて玄徳を見据えた。
「これから言うのでしょう」
彼は笑った。仕える皇女の聡明さに、そしてそれを誤魔化そうとする己の浅ましさに。彼は懐から小さな像を出した。
「覚えておいでですか」
皇女は、こくりと頷いた。
「一緒に、見に行ったわ。海の向こうの貴い方でしょう」
先の皇子が祀り始めた異国の像は、近年、とみに信仰を広げている。その噂を聞いて参ってみたいと言い出した皇女を、侍女は真剣に案じていた。この国の神を差し置いてと、いまもその像から目を逸らす。
「ええ。あの場所に祀られていた方です。おそれながら、皇女も同じ像をお持ちでしょう? この貴き方に誓って、玄徳は嘘を申しません」
皇女の瞳が揺れる。その寂しさゆえに信じやすい娘に育ったのは、誰の所為だろうと玄徳は思う。
「では、こうしましょう、皇女。わたしのこの方と、皇女のこの方を交換して持ちましょう。わたしの言葉の証に」
玄徳と同じ像を、皇女はためらいながら懐から出した。それをゆっくり眺め、彼女は玄徳の掌に置いた。金銅の像は少女の体温でぬくまっていた。やわ肌の香りさえうつったそれに、玄徳は微笑んだ。
「ありがとうございます、皇女。」
「…きっとよ」
「ええ」
「違えたら、罰が当たるのよ。」
赤い唇は震えて涙を止めた。それに、玄徳は唇を寄せた。その言葉ばかり信じた果敢な幼さがあわれに思えた。
「ええ、皇女」
あなた以外の罰など要らない。だから自分は戻るまい。この命が委ねられるのが己であったならと夢見た日から、この瞬間は決まっていたのだ。
女の涙を舌の上で転がしながら、彼は皇女の立ち去ったあとをいつまでも眺めていた。
(2012.2.1)
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