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申し上げるまでもなく、作中の出来事はfantasyです。
ナンバーはついていますが、続き物ではありません。
子龍が板戸を叩くと、すぐにいらえがあった。顔を出した友は子龍を見るなり、お前か、と呟いて身を返した。子龍は彼の後ろ姿をしげしげと見た。
「また悪戯をされたのですね」
「なに?」
彼は本気で分かっていないようだった。子龍は、長髪を無造作にひとつに縛った友の髪紐から、たらたら揺れていた猫じゃらしを引き抜いた。男は眉をしかめ、あのがきども、と呟いた。
「可愛いいたずらではありませんか」
「そう思うならお前もあいつらの相手をしろ」
子龍は笑った。彼が、自分で言うほど寺子屋の仕事を嫌っていないのを知っている。それを知るから、彼がどんなに顔を陰気にしても子どもたちは彼にじゃれるのだ。
「このあいだは、俺の部屋に猫を放したんだぞ。それも三匹」
「…それは大変でしたね」
「心がこもっていないな」
「見ていないので何とも」
ふん、と彼は肩をそびやかした。そこで、子龍の下げていた徳利に気づいて眉をあげた。
「酒か、珍しいな」
「彼女を見てから発とうと思いました」
友は動きを止めた。しばらくして大きな息をついた。
「…お前も大馬鹿者だったか」
「そのようです」
「こういう時は違うと言え」
「でも、そうですから。先生が亡くなられた今、わたしも立つべき時が来たと思っただけです」
「馬鹿者どもめ」
友は、疲れたように呟いた。子龍はその横顔を見つめた。
「あなたこそ、都に行かないのですか。」
「人斬りなどごめんだ」
なんでもないことのように呟く彼は、おそらく人を斬ったことがある。それは、三年前、この城下で出会ってから変わらない確信だった。修羅の覚悟を持った人の、独特の匂いがある。彼の祖父はこの城下で最も有名な剣客だったというから、それに関わりがあるのだろうか。最も、もう尋ねる機会もない。子龍は帰らないつもりなのだから。
ふたりは月の明かりしかない廊下を迷うことなく進み、その部屋に入った。庭に面したその座敷には炉が切ってあって、由緒ありげな茶釜が置いてあったが、子龍の知る限り使われては居なかった。子龍は掛け軸の前に正座した。
傘を持った後ろ姿の女が描かれている。古い絵で、娘の肩の線は一部剥がれ、結い上げられた髪のかたちもよく見えない。傘の色さえ灰色に沈んで、もとの色は分からない。しかし、丁寧に修復された痕があって、大事にされてきたことが見て取れた。流行りの、なよやかな腰を持ち、凄いような色気を眉間に漂わせる女の絵ではなく、彼女の背と肩の線は童女を思わせた。背景は何もなく、ただ女の足もとに小さな花弁が散っているのがかろうじて分かる。
しかし、子龍はこの絵が好きだった。彼女の視線の先がいつも気になった。子どもじみた、と思いながらも、いつ振り返るのだろうと夢を見た。
「いつ見ても、伸びやかな気持ちになります」
「父も、そう言っていた」
友はひっそりと同意した。
庭の小さな池で、ぼちゃりと重い音がした。
「お前はこの絵を、夜にばかり見るな」
子龍は肩越しに友を振り返った。
「怪異は夜に多いと聞きます」
「ただの絵だぞ」
「それでも。このご城下には、難を知らせる石像まであるのですから、もしやこの娘さんが振り返るかと思いまして」
今夜、こうして向き合ってみると、娘は振り返らないのではないかと思う。ただ一心に求めるものを見付けたら走って行くのではないか。こちらなどまるで知らずに。
ふん、と友は笑った。
「飴でも買いに出るか」
「どうでしょうね。」
「一度でも昼間に見に来れば良かったのだ。このあいだ見ていたら、どうも娘の髪の色が黒ではないようでな。」
子龍は瞬きして絵を見上げた。
「そうですか?」
「色褪せたのかもしれないが、茶色に見える。もしかしたら、異国の血の混じる娘をそれとなく描いたものかも知れん。」
「この国の衣を着せて…ですか?」
「ああ。異国の血をひく子はすべて南方へ送られた時代もあったようだからな。もしかしたら、それを偲んで描かれたのかも知れない。」
友はふ、と唇を歪めた。
ならば、子龍が思ったこともそこに含まれるのかも知れない。娘が見ているのは、施主が願った明るい場所かも分からなかった。そうであって欲しいと思った。
「こんな方に会ってみたいものでした」
「なら、探せばいいだろう」
「それよりも先にやらねばならぬことができてしまったのです。」
子龍は友に向き直って頭を下げた。
「お世話になりました。」
友はただ、黙然と頷いた。
「最後に、手合わせをしていただけませんか」
子龍が言うと、彼は珍しく、人が悪そうに笑った。
「断る」
「…そうですか」
「心残りのひとつくらいあったほうが、死なないと聞くからな」
その言い様に、子龍は笑った。とても彼らしかった。
(2012.2.1)
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