二次創作。はじめての方はat first はじめに をご一読ください。
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な、なかなか細目さんや糸目さんのターンになってくれぬのですが、勿体をつけているのか。
八、
回廊で出会ったタイミングが良すぎる、と花はちょっと膨れていた。たいそう緊張して魏の尚書令と話をして、安堵でぼうっとしたまま歩いていたところを子建に東屋まで連れられてきてしまった。
お茶はおいしい。砂糖をつかったお菓子もとてもおいしい。美しい女官が控えめに弾いている琴は素朴だけれど、甘く緩く心地よい。
「…子建さん」
「はい」
濃い緑の、いつになく華やかな上衣を着た子建が花を見た。
「わたし、どうしてここに連れて来られたんでしょう」
「もう少しお待ちください」
「…その言葉、さっきから、三回目です」
「きちんと蜀のみなさまのところまでお送りいたしますので、それでお許しくださいね」
柔らかに見えて、子建は一歩も譲らない。花は諦めて茶を飲んだ。
その時、足音が聞こえた。子建がすらりと花の肩を引き寄せた。花は驚いて彼の顔を見たが、彼はちっともこちらを見ない。力はとても強く、花は東屋の入り口を焦って見やった。
現れた人に、花は意外な気がした。
彼女がこっそり、鼠さんと呼んでいる中年の高官だった。魏の官で、細い目に長めの顔はむしろ狐に似ているのだが、足早に歩くところが鼠を思わせるのだ。孟徳や子桓の執務室でよく出会うので、花が覚えておかなければならない官のひとりであった。しかし東屋まで押し掛けるとは。
彼は深々と礼を取り、子建は鷹揚にそれを受けた。花の肩を抱く手は緩まず、高官は少し目を見張ったようだったが、気づかないことにしたらしい。淡々と掠れた声で話し始めた。
「公子におかれましては、ご機嫌麗しゅう」
「あなたも。」
「公子には是非、此度の詩作の宴においでいただきとうございます」
「ああ、以前からお話がありましたね」
「屋敷の花もちょうど頃合いでございます」
「お受けしましょう。」
「有り難き幸せにございます。」
高官はまた、大仰なほどに礼をして後ずさった。東屋から見える回廊で待っていた侍者とおぼしき三人ほどを促し、花が覚えている速度で去っていく。その時になって、子建は花の肩から手を離した。肩がふわりと軽くなり、花は子建の力がひどく強かったことを知った。
花は、ゆるく扇を使っている子建を見た。そうして思い切って口を開いた。
「子建さん」
「なんでしょう」
「あのひと、不思議ですね」
子建はちらと花を見た。
「わたし、子桓さんや孟徳さんのところでもあのひとを見ました。でも、孟徳さんや子桓さんの前では仕事の、それも必要最低限の話しかしませんでした。だのに、子建さんの前では屋敷の花だの宴だの、そんなことばかり話すんですね」
子建は、扇を卓の上に置いた。
「わたしに取り入っているからです。」
「分かっててそんなふうに黙っているのは、おかしいです」
子建はざらりと上衣を動かし、花に向き直った。彼の表情は穏やかだったが、何かが緊迫していた。孔明が怒っている時の笑みのように分かりやすいものではなかったが、それでも花は姿勢を正した。
「おかしい…とは?」
花はごくりと喉を鳴らした。
「子桓さんは孟徳さんの跡継ぎだと聞きました。」
「ええ」
「だから、実の弟である子建さんの立場が微妙だと、わたしにまで言ってくるひとがいます。さっき来たひとは以前、仲達さんの昇進にずいぶん反対したことがあるって噂を聞きました。そのせいでしょう? 子建さんにばかりあんなこと…あのひとのように、それを煽っていると分かっているのに受け入れるなんて、おかしいです。」
子建は少し困ったように眉をひそめた。
「先程の官には、妙齢の娘がおりましてね。『花』が頃合い、とは、そのことでしょう。それをわたしに娶らせたいのですよ。」
「だったらなおさら!」
子建の笑みは変わらない。それがもどかしく、花は子建の膝ににじり寄った。
「子建さんの詩には、いつも憧れがあるような気がするんです。師匠が教えてくれた、泥酔した詩でも、泥酔してみたいなあ、って思いがあるんじゃないかって。綺麗な柳や鳥や花をあんなにきれいに詠えるのはその憧れのせいじゃないかって思うんです。本当は同じ世にもう居ないつもりなのかな、って、わたしは子建さんの詩がいつも寂しい。それが子桓さんに遠慮した結果だったり、ああいうひとたちの隙を煽るようなことは嫌なんです。わたし、子建さんの詩が好きですから」
花は、どうしてこんなに言葉が出てこないのかと思った。
子桓や子建は、いつも自分に優しい。贈り物なんていらない。いつも変わらず声が掛けられればいい。
自分に向けられる顔だけが「彼ら」でないことなど十分に知っている。それでもみなに笑っていて欲しいと思うのは傲慢か。彼女は繰り返し自問する。玄徳や孔明、そして帝とさえもひとしなみに「大切なひと」と思うのはそれほどいけないことか。
子建は、ゆっくり微笑んだ。それはいつもの笑みではなく、曇り空に陽が出てきたような柔らかなものだった。それに見とれている間に引き寄せられ、花は固まった。
「わたしの幼い女神」
「し、子建さん」
「ああ、そんな呼び方は大仰です。なんと呼べばよいのでしょう。神というほど万能ではないのに、確かにあなたは…
ねえ、あなたの言葉ではなんというのですか。そのひとを見るたびに詩が踊りだし、歌が舞い、曲が歌えと命じるようなこの高揚を。そしてそれを為すことが誇りと思わせるようなそんな存在を。…ね、なんと言うのですか?」
甘い香は孟徳のものに似て、でもそれよりずっとお菓子に近かった。
「なんて…言うんでしょう」
あまりに狼狽して掠れた声で言うと、ふふ、と笑う吐息が髪を揺らした。
「温かい」
「子建さんってば、孟徳さんみたいです」
「それは大変に複雑ですね」
ぴしりと声が低くなった。花は慌てた。
「え、ええと…芸術の神様なら…うーん、ミューズってひとりの神様の名前だったかなあ…」
「み、うず?」
舌足らずな声が甘えたようで、花はくすりと笑った。
「ミューズ、です」
「みゅう…ず」
耳に掛かる息がくすぐったい。何度か繰り返して子建はようやく満足したのか、花を開放した。満足そうに笑いながら、花の手を取る。
「では、お送りしましょう。あなたの大事なあるじのところへ」
「ありがとうございます」
お姫様と扱われることは抵抗がある。花の手を受け取るように差し出された彼の手を、花は友のように握り返した。
子桓は届けられたばかりの簡を読み、目を眇めた。かたわらの仲達が顔を上げる。
「どうなさいました」
「子建からだ。」
軽く放り投げられたそれを、仲達は無難に受け止めてざっと目を通した。子桓は頬杖をついた。仲達が子桓と同じように目を細める。
「珍しいご進言だ」
「そうだな。今まであいつが、自分に取り入ってきた官を売るようなことはなかったんだが。兵糧の私費流用、か。確かにあの『鼠』の甥が管理をしている棟があった」
鼠、と呟いて仲達が唇を歪めた。
「うますぎて笑いも出ませんね。あの顔で鼠、とは。弟君はどうやら目を覚ましたようだ」
「まだその評価は早かろう。女に依るものは女で滅ぶと言うぞ」
「おや、お父上の批判ですか」
子桓は分かりやすくにやりとした仲達に筆を投げた。頭を下げた仲達の上を筆が通り過ぎ、壁に当たって落ちる。点々と散った墨の染みを気にするでもなく、二人はまた簡の点検を始めた。このふたりは常々こうしているので、既に誰もが諦めている。
「鼠の駆除には猫を使うべきですか」
「とびきり毛並みのいい猫をな。虎が出ぬうちに」
「鼠など、虎のほうで放っておきますでしょう」
顔を上げぬまま言う仲達に、子桓はかすかに笑った。
「虎の餌を喰う鼠は放っておかぬだろう」
「さて、こたびの鼠を見付けた猫は、虎の前足にも憩うお可愛らしい方だ。虎はいかがなさいますかな」
子桓は肩を竦め、さあてな、と言った。これ以上、話題にするのも無駄だという風情であった。
(つづく。)
(2010.12.10)
回廊で出会ったタイミングが良すぎる、と花はちょっと膨れていた。たいそう緊張して魏の尚書令と話をして、安堵でぼうっとしたまま歩いていたところを子建に東屋まで連れられてきてしまった。
お茶はおいしい。砂糖をつかったお菓子もとてもおいしい。美しい女官が控えめに弾いている琴は素朴だけれど、甘く緩く心地よい。
「…子建さん」
「はい」
濃い緑の、いつになく華やかな上衣を着た子建が花を見た。
「わたし、どうしてここに連れて来られたんでしょう」
「もう少しお待ちください」
「…その言葉、さっきから、三回目です」
「きちんと蜀のみなさまのところまでお送りいたしますので、それでお許しくださいね」
柔らかに見えて、子建は一歩も譲らない。花は諦めて茶を飲んだ。
その時、足音が聞こえた。子建がすらりと花の肩を引き寄せた。花は驚いて彼の顔を見たが、彼はちっともこちらを見ない。力はとても強く、花は東屋の入り口を焦って見やった。
現れた人に、花は意外な気がした。
彼女がこっそり、鼠さんと呼んでいる中年の高官だった。魏の官で、細い目に長めの顔はむしろ狐に似ているのだが、足早に歩くところが鼠を思わせるのだ。孟徳や子桓の執務室でよく出会うので、花が覚えておかなければならない官のひとりであった。しかし東屋まで押し掛けるとは。
彼は深々と礼を取り、子建は鷹揚にそれを受けた。花の肩を抱く手は緩まず、高官は少し目を見張ったようだったが、気づかないことにしたらしい。淡々と掠れた声で話し始めた。
「公子におかれましては、ご機嫌麗しゅう」
「あなたも。」
「公子には是非、此度の詩作の宴においでいただきとうございます」
「ああ、以前からお話がありましたね」
「屋敷の花もちょうど頃合いでございます」
「お受けしましょう。」
「有り難き幸せにございます。」
高官はまた、大仰なほどに礼をして後ずさった。東屋から見える回廊で待っていた侍者とおぼしき三人ほどを促し、花が覚えている速度で去っていく。その時になって、子建は花の肩から手を離した。肩がふわりと軽くなり、花は子建の力がひどく強かったことを知った。
花は、ゆるく扇を使っている子建を見た。そうして思い切って口を開いた。
「子建さん」
「なんでしょう」
「あのひと、不思議ですね」
子建はちらと花を見た。
「わたし、子桓さんや孟徳さんのところでもあのひとを見ました。でも、孟徳さんや子桓さんの前では仕事の、それも必要最低限の話しかしませんでした。だのに、子建さんの前では屋敷の花だの宴だの、そんなことばかり話すんですね」
子建は、扇を卓の上に置いた。
「わたしに取り入っているからです。」
「分かっててそんなふうに黙っているのは、おかしいです」
子建はざらりと上衣を動かし、花に向き直った。彼の表情は穏やかだったが、何かが緊迫していた。孔明が怒っている時の笑みのように分かりやすいものではなかったが、それでも花は姿勢を正した。
「おかしい…とは?」
花はごくりと喉を鳴らした。
「子桓さんは孟徳さんの跡継ぎだと聞きました。」
「ええ」
「だから、実の弟である子建さんの立場が微妙だと、わたしにまで言ってくるひとがいます。さっき来たひとは以前、仲達さんの昇進にずいぶん反対したことがあるって噂を聞きました。そのせいでしょう? 子建さんにばかりあんなこと…あのひとのように、それを煽っていると分かっているのに受け入れるなんて、おかしいです。」
子建は少し困ったように眉をひそめた。
「先程の官には、妙齢の娘がおりましてね。『花』が頃合い、とは、そのことでしょう。それをわたしに娶らせたいのですよ。」
「だったらなおさら!」
子建の笑みは変わらない。それがもどかしく、花は子建の膝ににじり寄った。
「子建さんの詩には、いつも憧れがあるような気がするんです。師匠が教えてくれた、泥酔した詩でも、泥酔してみたいなあ、って思いがあるんじゃないかって。綺麗な柳や鳥や花をあんなにきれいに詠えるのはその憧れのせいじゃないかって思うんです。本当は同じ世にもう居ないつもりなのかな、って、わたしは子建さんの詩がいつも寂しい。それが子桓さんに遠慮した結果だったり、ああいうひとたちの隙を煽るようなことは嫌なんです。わたし、子建さんの詩が好きですから」
花は、どうしてこんなに言葉が出てこないのかと思った。
子桓や子建は、いつも自分に優しい。贈り物なんていらない。いつも変わらず声が掛けられればいい。
自分に向けられる顔だけが「彼ら」でないことなど十分に知っている。それでもみなに笑っていて欲しいと思うのは傲慢か。彼女は繰り返し自問する。玄徳や孔明、そして帝とさえもひとしなみに「大切なひと」と思うのはそれほどいけないことか。
子建は、ゆっくり微笑んだ。それはいつもの笑みではなく、曇り空に陽が出てきたような柔らかなものだった。それに見とれている間に引き寄せられ、花は固まった。
「わたしの幼い女神」
「し、子建さん」
「ああ、そんな呼び方は大仰です。なんと呼べばよいのでしょう。神というほど万能ではないのに、確かにあなたは…
ねえ、あなたの言葉ではなんというのですか。そのひとを見るたびに詩が踊りだし、歌が舞い、曲が歌えと命じるようなこの高揚を。そしてそれを為すことが誇りと思わせるようなそんな存在を。…ね、なんと言うのですか?」
甘い香は孟徳のものに似て、でもそれよりずっとお菓子に近かった。
「なんて…言うんでしょう」
あまりに狼狽して掠れた声で言うと、ふふ、と笑う吐息が髪を揺らした。
「温かい」
「子建さんってば、孟徳さんみたいです」
「それは大変に複雑ですね」
ぴしりと声が低くなった。花は慌てた。
「え、ええと…芸術の神様なら…うーん、ミューズってひとりの神様の名前だったかなあ…」
「み、うず?」
舌足らずな声が甘えたようで、花はくすりと笑った。
「ミューズ、です」
「みゅう…ず」
耳に掛かる息がくすぐったい。何度か繰り返して子建はようやく満足したのか、花を開放した。満足そうに笑いながら、花の手を取る。
「では、お送りしましょう。あなたの大事なあるじのところへ」
「ありがとうございます」
お姫様と扱われることは抵抗がある。花の手を受け取るように差し出された彼の手を、花は友のように握り返した。
子桓は届けられたばかりの簡を読み、目を眇めた。かたわらの仲達が顔を上げる。
「どうなさいました」
「子建からだ。」
軽く放り投げられたそれを、仲達は無難に受け止めてざっと目を通した。子桓は頬杖をついた。仲達が子桓と同じように目を細める。
「珍しいご進言だ」
「そうだな。今まであいつが、自分に取り入ってきた官を売るようなことはなかったんだが。兵糧の私費流用、か。確かにあの『鼠』の甥が管理をしている棟があった」
鼠、と呟いて仲達が唇を歪めた。
「うますぎて笑いも出ませんね。あの顔で鼠、とは。弟君はどうやら目を覚ましたようだ」
「まだその評価は早かろう。女に依るものは女で滅ぶと言うぞ」
「おや、お父上の批判ですか」
子桓は分かりやすくにやりとした仲達に筆を投げた。頭を下げた仲達の上を筆が通り過ぎ、壁に当たって落ちる。点々と散った墨の染みを気にするでもなく、二人はまた簡の点検を始めた。このふたりは常々こうしているので、既に誰もが諦めている。
「鼠の駆除には猫を使うべきですか」
「とびきり毛並みのいい猫をな。虎が出ぬうちに」
「鼠など、虎のほうで放っておきますでしょう」
顔を上げぬまま言う仲達に、子桓はかすかに笑った。
「虎の餌を喰う鼠は放っておかぬだろう」
「さて、こたびの鼠を見付けた猫は、虎の前足にも憩うお可愛らしい方だ。虎はいかがなさいますかな」
子桓は肩を竦め、さあてな、と言った。これ以上、話題にするのも無駄だという風情であった。
(つづく。)
(2010.12.10)
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