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「玄徳さんちの花ちゃん」と、芙蓉姫。
「しかし、本当に信じられないわ」
香ばしい焼き菓子をひとくち囓って、芙蓉は、赤子をあやしている花を横目で見つめた。赤子は、ゆらゆらと揺れる不思議な籠に入れられてうとうとしているようだ。相手は顔を上げてちいさく首を竦めた。
「うん、わたしも不思議。でも、たのしいよ」
「楽しいってねえ…」
あるじの妻となったこの女友達は、こともあろうに「他の世界の自分」と会っているのだと言う。何回説明されてもどうも腑に落ちないのだが、「ここに居る自分」と違う自分が居る世界があるという考えは、花にとって当たり前のようなのだ。玄徳に仕えていない自分がいるなど考えること自体、とうてい耐えられないのだが。
花はにこにこしたまま続けた。
「玄徳さんもわたしも、芙蓉姫が心配するようなことはしゃべってないよ。それに、あっちの孟徳さんはこっちの孟徳さんと違うんだし」
「分からないわよ。どういう手段であっても使い尽くすのよああいう男は!」
花はちょっと困ったように笑った。
「芙蓉姫は孟徳さんのことを高く評価してるよね」
「…あなたね」
「分かってるよー。でも、そうだよね?」
まったく、ふいと核心をつくのだ、この子は。
花は、顔の前でひらひら手を振った。そしておもむろに上目遣いになった。
「でもね、孟徳さんのところのわたしや、文若さんのところのわたしに、芙蓉姫に会いたいって言われてるんだよね。」
「どうして」
芙蓉から目を逸らし、花は赤子をのぞき込んだ。その眼差しがわずかに陰ったように見えた。
「やっぱり、ねえ。芙蓉姫は、こっちだって魏にほいほい行くわけに行かないでしょう?」
「むろん、玄徳様の命があれば行くわ」
「そんな危険なこと命令しないよ」
花は柔らかく、しかもきっぱりと言った。芙蓉はかすかに笑って何も言わなかった。
真っ先に友としての立場を心配する彼女がほろ苦い。軍師としてあるじの前に現れ、いまはその半身として居る彼女がそういう心根を見せるのはおそらく正しいのだろう。けれど玄徳は、本当にその必要があれば何事も芙蓉に命じる。そして芙蓉は飲み下すだろう。彼女は座り直した。
「でもねえ花。あなただってどうやって行くのかよく分かっていないんでしょう?」
「うーん」
花は小首を傾げた。
「とりあえず、一緒に眠ればいいんじゃないかな?」
「とりあえず~?」
「仕方ないじゃない、それしか分からないんだもの。ああでも、行ってくれるのね?」
「…行けないかもしれないしね」
低い呟きを花は聞かない振りで小刻みに頷いた。そして真顔になった。
「鉄扇は置いていってね?」
芙蓉はせいぜい、意地悪に見える笑顔を作った。
「約束できないわ、夢、なんでしょ?」
花が頬を膨らませた。
「ちょっと違うってば」
「はいはい」
芙蓉姫ってば、と言い募ろうとする花を横目に、芙蓉は赤子の籠をのぞき込んだ。芙蓉は花に似ていると思うが、花は玄徳に似ていると言う子だ。いまはただ赤子らしく寝ているばかりの世継ぎ。
「ははうえはおかしいひとねえ」
「芙蓉姫ってば!」
花が憤然とした様子でうすい茶を飲み干す。その様子がずいぶん子どもっぽくて芙蓉は小さく声を立てて笑った。
(2012.6.9)
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